愚痴をこぼすくらい許されたい夜
「男は黙って耐えるもんだ」と刷り込まれてきたせいか、なかなか愚痴を口に出せないまま年齢を重ねてしまった。司法書士としての看板を背負い、日々依頼者と向き合っていると、いつの間にか自分の心の声が遠のいていく。そんな夜は、ふと「せめて誰かに弱音を吐けたら」と思ってしまう。コンビニの帰り道、夜風に吹かれながら缶コーヒーを握りしめて立ち止まる。自分だけが止まっているような、そんな夜に、ただただ愚痴をこぼすくらい許してほしいのだ。
孤独な夜に染みる蛍光灯の明かり
仕事が終わったあと、事務所の照明を消すと途端に心細くなる。蛍光灯の光って、妙に冷たい。人の気配が消えた部屋にポツンといると、なんだか取り残されたような気分になる。昔は帰宅すれば誰かが待っていてくれたわけでもないのに、なぜか今の方が寂しさを感じるのが不思議だ。ふと、自販機の明かりに吸い寄せられるように缶コーヒーを買って、その場に立ち尽くす。そんな夜、ただ一言「疲れた」と誰かに言えるだけで違うのにと思う。
仕事が終わっても終わらない
司法書士の仕事は、物理的に「終わる」ことが少ない。登記申請が完了しても、次の相談がすぐに舞い込む。メールの未読も、机の上の書類も、どれも「片付いた」という感覚を与えてくれない。だからか、ふと仕事が一段落しても、「まだ何か忘れてないか」と心が休まらない。まるで試合が終わったのに、ベンチから立ち上がれない元野球部の気分だ。自分だけ、まだゲームの中にいるような感覚から抜け出せずにいる。
タスクは片付いても気持ちは整理できない
ToDoリストには完了のチェックが並ぶ。だが、心の中のリストにはチェックがつかない。あの時、もっとこうすれば良かったのではとか、あの人の表情が気になって眠れなかったりする。実務の正確さが求められる分だけ、感情の処理が置き去りになる。特に相続や離婚案件など、人の感情が渦巻く相談を受けたあとは、心に何かを引きずってしまう。誰かに話しても解決しないと分かっているからこそ、余計に孤独だ。
誰にも言えない愚痴が溜まっていく
仕事の愚痴って、身内にも言いにくいものだ。特に士業という立場だと、外には出せない話も多い。顧客の愚痴を言えば信用問題になりかねないし、同業者に言えば噂の種になるかもしれない。だからこそ、愚痴は溜まる一方だ。たまにYouTubeのコメント欄に似た境遇の投稿を見つけて「わかる!」と思っても、画面越しでは何も発散されない。言葉にできないから、気持ちが腐っていくような感覚がある。
正論よりも共感が欲しいときもある
「それはあなたにも原因があるんじゃない?」そんな正論が胸に突き刺さる日もある。でも、愚痴って、必ずしも解決を求めているわけじゃない。ただ「そうだよね」と頷いてくれるだけで救われるときがある。事務員の子は優しいが、さすがに業務外の話までは付き合えないし、むしろ気を使わせてしまう。だから誰にも言えずに飲み込む。元カノにだけは話せたんだけどな、なんて昔話を思い出して自分が面倒くさくなる。
「まだマシ」なんて言葉がいちばん堪える
「もっと大変な人もいるよ」「まだマシじゃん」――そう言われるたびに、自分のしんどさが否定されたような気分になる。比較すればキリがない。けれど、自分の感じていることを他人の基準で軽く見られると、ふと心が折れそうになるのだ。「つらい」と感じた気持ちに正解も不正解もないはずなのに、なぜか我慢を選んでしまうのは、やっぱり性分なんだろうか。
モテない自分とモヤモヤする週末
土曜の夜、近くのスーパーでひとり分の惣菜を選ぶとき、ふと我に返る。「ああ、俺、独りなんだな」と。別に彼女がほしいわけじゃないけど、話し相手くらいいてもいいんじゃないか。そんなとき、LINEの通知は営業メールだけ。高校時代の野球部仲間はみんな家庭持ちだ。グループLINEは子どもの話で盛り上がっていて、なんとなく既読だけつけてそっと閉じる。このままでいいのか、自問自答ばかりしてしまう。
誘う相手もいない金曜の夜
金曜の夜、ちょっと飲みに行きたい気分でも、誘う相手がいない。昔は「今日は付き合ってよ」なんて気軽に言えた友人も、今では家族サービスに忙しい。居酒屋にひとりで行くのも慣れたけど、店員の「お一人様ですか?」の声に毎回ちょっとだけ心がざわつく。カウンターでぼんやり飲むビール、染みるようで空しい。いつの間にか、自由と孤独の区別がつかなくなってきた。
結婚の二文字がますます遠くなる
職業的には「安定してそう」と思われるかもしれない。でも、実際の生活は不規則で、感情の浮き沈みも激しい。そんな中で誰かと家庭を築くなんて、正直イメージが湧かない。かといって、ずっとこのままでいいのかと問われれば、明確な答えは出せない。親も年を取り、結婚を急かす声も聞かなくなった。それがかえって寂しさを深めていく。
明日もまた机に向かう僕たちへ
こんな夜でも、朝は必ず来る。そして、また依頼者の笑顔や、感謝の言葉に救われる瞬間がある。愚痴をこぼすことで、自分の中の何かが少し整理されて、またやるべきことが見えてくる。完璧じゃなくても、不器用でも、不満を抱えながらでも、それでも仕事を続ける理由は、やっぱりどこかに誇りがあるからだと思う。だから今日は、愚痴をこぼすくらい許してほしい。それが、また前を向くための儀式なのだから。