消えた返済者と三十年の家

消えた返済者と三十年の家

古びた家の登記簿

「この物件、住宅ローンが残っているのに抵当権が抹消されていますね」
そう言って書類を広げたのは、サトウさんだった。
一見して地味な一戸建て、しかし何かが引っかかる。三十年前の登記簿がやけに新しいのだ。

返済中の住宅に残された違和感

通常、ローンの返済が終わらない限り、抵当権の抹消はされない。
だがこの物件、ローン完済前に抵当が外れていた。しかも、関係者の所在が曖昧。
まるで誰かが痕跡を消そうとしたように見えた。

持ち主がいない不動産

「名義人が死亡しているかもしれませんが、死亡届も相続登記もないんです」
役所で戸籍を追ったが、転出の記録以降、空白だった。
この物件、法的には存在していても、現実では持ち主不在の幽霊屋敷だ。

名義人の現在地がわからない理由

驚いたことに、銀行側も「所在不明」と記録していた。
その割には毎月きちんと返済があった形跡が残っている。
一体誰が、誰の名義で、何のために住んでいるのか——

ローン契約書の空白

銀行に残っていた契約書を閲覧すると、不自然な点があった。
重要事項説明欄のページが、一枚だけ新しい紙に差し替えられていたのだ。
サザエさんなら「波平さん!また裏書きにサイン忘れてますよ!」と怒るところだ。

一枚だけ差し替えられたコピー

しかも差し替えられた紙の日付は、契約日より二年も新しい。
何者かが、後から手を加えていたのは間違いなかった。
ただ、誰が何の目的でそんな手間をかけたのかがわからない。

銀行員の沈黙

担当していた銀行員は三年前に退職していた。
現職の担当は「過去の件は把握していません」の一点張り。
マニュアル対応のその声に、私は思わず大きなため息をついた。

応対した担当者の退職と転勤

実はその元銀行員、退職後に行方不明になっていた。
自宅も引き払われ、連絡先も不通。
関係者が少しずつ姿を消していく、まるで怪盗キッドにでも狙われたかのように。

連帯保証人の不審死

名義人の連帯保証人だった男性が、十年前に変死していた。
当時は病死として処理されたが、検案書には「不明な原因による呼吸停止」と記されていた。
何かが、この住宅ローンを巡って動いている。

地方紙に載らなかった死亡記事

調べてみると、地方紙にも訃報が掲載されていなかった。
町内会でも「急に見かけなくなった」という証言のみ。
まるで記録と記憶の両方から削除されたようだった。

抵当権抹消の謎

登記簿に記された抵当権抹消の登記日が、妙に早かった。
返済が続いていたにもかかわらず、その一週間前に抹消申請がなされていた。
登記簿の方が、未来を予知していたのか。

抹消登記が一週間早かった理由

調査の結果、抹消書類の提出者は「代理人」とだけ書かれていた。
依頼人の委任状はなし、印鑑証明もなし。
法務局の職員も「当時はそこまで厳しくなかったんです」と苦笑していた。

サトウさんの冷たい指摘

「先生、これ、委任状の印影、左右逆です」
サトウさんはパッと見ただけでそう言った。
スキャンして印刷したとき、反転してしまったらしい。つまり、原本は存在していない。

これ 書類の順番がおかしいですね

さらにファイルを見ていたサトウさんは、小さくつぶやいた。
「順番、三番目と五番目が入れ替わってます」
そのミスが、全ての仕組まれた流れを浮き彫りにするきっかけとなった。

税務署からの照会

その数日後、税務署から通知書が届いた。
内容は「相続税申告の未処理案件についての確認」だった。
存在しない相続人、提出されていない申告、動かない財産——すべてが連鎖していた。

突然届いた相続税の通知書

通知書の宛名は「故 鈴木一郎 様の相続人各位」
だが、戸籍上、鈴木一郎に相続人はいなかった。
架空の人物を使った相続登記と、住宅ローンの名義操作。やれやれ、、、としか言いようがない。

過去の登記申請ミス

気になって自分の過去の登記記録を調べてみた。
すると、十年前、確かにこの家の抵当権抹消を代理申請していた記録があった。
だが私は、この案件を一度も受任した記憶がなかった。

私の名前が添付書類に記載されていた

押印された認印は、確かに私の旧事務所印だった。
しかしその印鑑は、数年前に盗まれていたのを思い出した。
つまり、私はこの詐欺の共犯にされかけていた。

隣人の証言

「ええ、あの家?三年前からずっと空き家ですよ」
隣の老婆は言った。「たまに誰か入ってるようだけど、顔は見たことないねえ」
空き家のはずの家には、灯りがともり、郵便受けには最新の電気料金の領収書が差し込まれていた。

あの家に もう何年も誰もいませんよ

つまり、誰かが意図的に存在を偽装している。
家が存在し、人が住んでいるように見せかけながら、全ての記録を虚構で塗り固めていた。
まるで二重登記と身分詐称をミックスした、住宅ローンを使った完全犯罪だ。

ローン会社の消滅

最後に行き着いたのは、ローン元金を貸し付けた金融会社だった。
だがその会社は五年前に清算・解散されており、記録もデータも破棄されていた。
これ以上調べても、法律上の責任者はいない。全ては虚無の中に消えていた。

登記簿に残る平成の影

残ったのは、平成八年の登記簿謄本のコピーと、退色した住宅地図だけ。
そこには確かに、「鈴木一郎」の名前が記されていた。
しかし彼が生きていた証拠も、死んだ証拠も、どこにもなかった。

鍵が合わない玄関

私は古い登記簿とともに、その家に向かった。
錆びたポスト、塗装の剥がれた玄関。
合鍵を差し込むと、かちゃりと開いた。誰もいないはずの家に、私は入った。

それでも中には誰かが住んでいた

リビングのテーブルには、まだ温かいコーヒーカップ。
台所には買ってきたばかりの惣菜。
そして壁には「登記は終わった」というメモ書きが、私の旧名で残されていた。

真夜中の登記所訪問

その夜、私はひとり登記所へ向かった。
旧記録を閲覧するには、理由書が必要だったが、窓口の女性職員は「この時間なら」と奥から書類を出してくれた。
開かれたファイルには、十年前の供託通知書の写しが挟まれていた。

古い資料と一通の供託通知書

その通知書には、「登記の抹消に関する供託金返還の件」と書かれていた。
そしてその提出者欄には、私の署名が。だがそれは、私の字ではなかった。
それでも、「シンドウ」の名は、確かにそこに刻まれていた。

住宅ローンと身代わりの人生

結局、名義人の鈴木一郎は、実在しなかった可能性が高い。
あるいは誰かが、彼になりすましてローンを組み、住宅を取得し、数年後に痕跡ごと姿を消したのだろう。
全てを消し、誰にも気づかれないように。

そして家は誰のものだったのか

私はその家の前で立ち尽くした。
「やれやれ、、、また厄介な話だ」
そしてサトウさんにLINEした。「例の家、君が一番正しかったよ」とだけ打って、ため息をついた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓