焦げついた鍋と遺産の行方

焦げついた鍋と遺産の行方

夕方の事務所に届いたひとつの封筒

その日も変わらず、夕方になると事務所には煮詰まった書類と、サトウさんの冷たい視線が漂っていた。
そんな中、玄関のチャイムが鳴り、依頼人と名乗る年配の女性が現れた。手にはなぜか、新聞紙に包まれた中型の鍋が抱えられていた。
「この鍋も、父の遺産の一部なんです」と彼女は言った。

香ばしいカレーの匂いと一緒に

新聞紙越しにも香るスパイス。よく煮込まれたカレーの匂いが、事務所の空気を一変させた。
「…カレー?」と呟くと、サトウさんがピシャリと「司法書士は嗅覚じゃなく、書類で判断してください」と冷たく釘を刺す。
やれやれ、、、今日も胃にくる日になりそうだ。

依頼人は鍋を片手にやってきた

女性はテーブルの上に鍋を置くと、茶封筒を差し出した。
「父が亡くなる前日に、このカレーを作ってくれて。これが“最後の晩餐”でした。そしてこの封筒を渡されたんです」
中には、手書きの遺産分割協議書と、ぎっしりと書き込まれた付言事項があった。

遺産分割協議書に潜む違和感

協議書の内容は、ごく一般的なもので、相続人の名前と分配の比率が記されていた。
だが、どこか引っかかる。名前の書き方に微妙な揺れがあり、特定の相続人の記載だけ妙に詳しい。
「これは…何か意図があるな」と呟いたその時、サトウさんが手書き文を読み始めた。

手書きの付言事項に込められた想い

「“味見しない人間に分ける金はない”って…」
まるでアニメの怪盗からの挑戦状のような、唐突で風変わりな文言。
父親は亡くなる前日、全員にカレーをふるまった。そのカレーをどう評価したかで、分け前が変わるというのだ。

スパイスと相続税の比率は同じなのか

「このカレー、結構クセありますね。クミン強めで酸味がある」とサトウさんが真顔で言った。
味を覚えていることに驚いたが、彼女は「家裁帰りにご相伴にあずかりましたから」と当然のように言う。
さすがサトウさん、香辛料にも強い。

サトウさんの冷静な分析

彼女は協議書と味の記憶、相続人の証言を照合しながら、なにやらメモを取り始めた。
鍋の中身を少し取り出し、匂いを嗅ぎ、何かをつぶやいている。
僕は隣で、もう一度協議書を読み返していた。

分量を間違えたのは誰なのか

「これ、スパイスの分量を間違えたな」とサトウさんが呟いた。
「誰かが鍋に何かを足したかもしれません。つまり、鍋そのものが遺産分割を狂わせた証拠品なんです」
彼女の視線が依頼人を捉えた。動揺の色が見てとれた。

カレー鍋に隠された秘密

鍋の底に貼り付いていたのは、溶けかけたメモの切れ端だった。
乾かして読むと、こう書かれていた。「一番残さず食べた者に、すべてを託す」
つまり、父の真意は協議書ではなく、この鍋にあったのだ。

やれやれ、、、また面倒な案件だ

僕はメモと協議書を持って、法的にどこまで効力があるかを検討し始めた。
「付言事項にここまで拘束力を持たせるのは難しいですが、状況証拠がそろっていれば…」
うっかり鍋の蓋をひっくり返して中身をこぼし、サトウさんにため息をつかれた。

元野球部の直感が動くとき

カレーの香りと遺産のにおい、どちらも譲れない。
ここで気づいた。協議書の日付とメモのインクの違い。
「これ、誰かが書き足してるな」と、ようやく僕の直感が走った。

封印された鍋底のメモ

鑑定の結果、鍋底のメモは依頼人の筆跡と一致した。
つまり、父の意思を利用して、他の相続人を排除しようとした偽装だったのだ。
カレーはうまくても、法はごまかせない。

記憶の焦げとともに現れた真実

本物の協議書は、父の旧友の司法書士に預けられていた。
それが後日、郵送で届いたことで事実が明らかになった。
カレーではなく、心で分け合う遺産。父の本当の願いはそこにあった。

兄弟間の確執と未練

「私だけが看取ったのに」と涙ぐむ依頼人に、僕は言った。
「それでも、相続は法律と向き合わなきゃならない。そこに情を交えるなら、皆が納得する形を探すしかない」
感情もまた、配分の対象になるのかもしれない。

遺産か感情か 争っていたのは何か

「本当は兄さんと、もう一度カレーを食べたかったんです」
その言葉に、他の兄弟も黙って頷いた。
財産ではない何かが、この鍋には詰まっていたのだ。

法と情の交差点で

事件というには小さすぎる。でも、解決しなければ誰かの心が焦げてしまう。
そんな小さな“鍋事件”にも、司法書士の出番はある。
地味だが、僕の仕事だ。

司法書士としてできること

法的には小細工だが、調整の余地はある。
第三者による遺産分割調停を提案し、兄弟全員が鍋の前で向き合った。
最終的に、鍋の中身も、遺産も、均等に“味見”されることになった。

一匙のカレーが導いた解決

料理一皿が、争いを導き、また終わらせる。
言葉よりも、香りや味が人をつなぐこともある。
この事務所で起きる出来事は、どれも一筋縄ではいかない。

火加減ひとつで変わるもの

「ま、焦がしたのは私だけどね」と依頼人が笑った。
どこかほっとしたような表情で、鍋を大事そうに抱えて帰っていった。
次は焦がさないように、火加減に気をつけて。

それぞれの帰り道

外はすっかり夜。兄弟たちはそれぞれの車に乗り、別々の方向へ去っていった。
争いのあとは少しだけ静かだったが、どこかぬくもりも残った。
その夜、事務所にはカレーの匂いがしばらく残っていた。

遺された者たちのこれから

「シンドウさん、カレーにごはんかけたまま寝てません?」
サトウさんの声で目が覚めた。どうやら、疲れて机で寝てしまったらしい。
焦げた鍋の幻影が、まだ鼻の奥に残っていた。

そして今日もサトウさんは塩対応

「司法書士って、大変ですね」とサトウさん。
「大変だから、僕がやってるんだ」と答えたら、サトウさんは目も合わせず書類を綴じた。
やれやれ、、、胃薬が切れそうだ。

焦げた鍋だけが机に残された

次の依頼人は、すでに玄関先に立っていた。今度はなんの匂いを連れてくるのだろう。
人生も鍋も、焦がさないように気をつけていきたいものだ。
僕は静かに立ち上がり、扉を開けた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓