静かに終わった真実

静かに終わった真実

午後四時の電話

八月の蒸し暑さにうんざりしながら、書類の山と格闘していると、事務所の電話が鳴った。受話器を取る前に、手が止まる。発信元は非通知だった。嫌な予感がしたのは、たぶん長年のカンだ。だが、受けないわけにもいかない。

「はい、司法書士シンドウです」と言っても、返事はない。ただ無音の時間だけが流れた。切れたのは十数秒後。こんなことはよくある。だがこの時、すでに何かが終わっていたのだと気づくのは、もう少し先の話だった。

無言の留守電メッセージ

電話の直後、留守電に通知が入っていた。聞いてみると、そこには無言の空白が広がっていた。ただ、ほんのかすかに風鈴の音が聞こえたような気がした。風の強い日ではなかったから、録音された音だろう。

気になって録音時間を確認すると、ちょうど一週間前の午後四時。誰かが同じ時間に何度も電話をしてきていたらしい。だが、その正体はメッセージの中でも明かされることはなかった。

予定表に書かれた最後の予定

デスク脇の月間カレンダーを見ると、先週の金曜に「M様 完了確認」と書かれていた。その名前は見覚えがある。確か、相続登記の相談をしてきた老婦人だった。だが、あの日の午後に事務所へは来なかったはずだ。

どうも様子がおかしい。念のため、書類棚からM様のファイルを取り出した。そこには、申請に必要な書類はすべて揃っていたが、委任状にサインがなかった。それでも、完了確認とはどういうことなのか――。

消えた登記依頼人

M様の連絡先に電話をかけてみた。だが、番号は現在使われておりませんのアナウンス。次に住所をGoogleマップで検索すると、そこは既に更地になっていた。なんだこれは、と思わず独りごちた。

たしかに、相談時にはそれなりの築年数の一軒家だった。壊すにしても、早すぎる。この1週間で一体何があったのか――。

登録免許税だけが振り込まれていた

通帳を確認すると、不思議なことに登録免許税と手数料相当の金額が振り込まれていた。しかも、ちょうど一週間前の日付で、送金者の名義は個人名ではなく、見慣れない合同会社の名前だった。

「こんなの、M様がやるとは思えないよな」とぼやくと、背後からサトウさんが鋭く言った。「その合同会社、調べてみましょうか?」塩対応ながらも、こういうときの彼女は本当に頼もしい。

サトウさんの冷静な違和感

サトウさんは数分で合同会社の情報を洗い出した。「代表者は若い女性。設立日はなんと三日前。登記目的は『不動産管理』。怪しいですね」冷静に言いながらも、目は鋭く光っていた。

「やれやれ、、、こういうのって漫画でしか見たことなかったんだけどな」思わず漏れた本音に、サトウさんは「ええ、サザエさんでもこんな展開はありません」とピシャリ。まったく、容赦がない。

借用書の余白に見たもの

M様のファイルを見直していると、借用書のコピーの余白に薄く鉛筆で何か書かれているのに気づいた。「地番変更済 A町三丁目十六番地」――それは元の住所と違う土地だった。

しかもそこは、先ほどの合同会社が所有する土地一覧にも記載されていた。どうやらこの書類のやり取りの裏で、すでに土地の名義が動いていたようだ。つまり、この登記は表向きだけのカモフラージュだったのか。

フリクションで消された証言

別の書類に目を通すと、まるで何かが消されたような不自然な空白があった。試しにブラックライトを当てると、うっすらと字が浮かんできた。どうやらフリクションボールペンで書かれた文字らしい。

「確かにこの土地はMのものではありません」――そんな文言が書かれていた。つまり、M様のフリをしていた者がいたということだ。僕の背中に冷たい汗が流れた。

古い案件に潜んでいた罠

その後、登記情報をさかのぼっていくと、驚きの事実が判明した。数年前に所有権移転の仮登記が入っていたが、本登記には至っていなかった。その登記義務が消えた今、誰でも実体を隠して名義変更できてしまう。

つまり、今回の登記は「すでに終わっていた」仕組みの上で成立していたのだ。そう思うと、怒りよりも、ただただ脱力感があった。

売買契約書の落丁ページ

契約書のコピーを確認すると、ページが一枚抜けていることに気づいた。これも最初から仕組まれていたのか? 落丁されたページには、実は真の売主の情報が記載されていた可能性がある。

サトウさんがつぶやいた。「こんな古典的な手口、まるで金田一少年の犯人みたいですね」僕は返す。「あとは“じっちゃんの名にかけて”って言えば完成だな」

真実に気づいた夜

その日の夜、事務所で一人、謄本ファイルを閉じたときにすべてがつながった。この一連の登記は、M様を騙った者が手続きを進め、土地を手に入れるための巧妙な偽装劇だった。

本物のM様は、たぶんもう――この世にはいない。そう直感したとき、ぞっとした。登記制度の隙間を突いた犯罪。気づいたときには、すでに終わっていた。

閉じられた謄本ファイルの中

ファイルを閉じながら、ふと「正義とはなんだろう」と考えてしまった。僕はただ、書類の通りに処理しただけだ。それでも、誰かの思惑に加担した気がして、心がざらついた。

「やれやれ、、、」と、またつぶやく。誰も見ていなかった真実を、ただ一人見届けるのが僕の仕事なのかもしれない。

その人はもういなかった

後日、近所の住民に話を聞くと、M様は半年ほど前に老人ホームへ入居したと聞いた。だが、その施設にも「そのような方はいません」と言われた。やはり、M様はもうどこにもいないのだろう。

あのときの留守電。風鈴の音。誰も知らない夏の終わり。全てが静かに幕を下ろしていた。

すでに名義変更は完了していた

法務局の確認では、すでに土地の名義は例の合同会社へと正式に変更されていた。僕はその記録を、ただ業務として書類に転記するだけだった。誰も何も知らずに。

「静かに終わった真実」とは、こういうものなのかもしれない。誰にも気づかれず、誰にも止められず、終わっていく真実が世の中にはある。

サトウさんの冷たい一言

事件の後、サトウさんが言った。「それ、最初から終わってましたよ」まるで答え合わせのように、淡々とした口調だった。

僕はただ、うなずいた。「そっか。もう最初から、手遅れだったんだな」なんだか、いつもより涼しい風が、書類の山を吹き抜けたような気がした。

ぼくはただうなずくしかなかった

窓の外を見ると、夏の夕暮れがゆっくりと落ちていた。事務所には、僕とサトウさんのキーボードの音だけが響いていた。

事件は終わった。でも、心のどこかに小さな違和感が残ったままだ。たぶん、この仕事をやっていく限り、それはずっと消えない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓