債権が動いた日

債権が動いた日

依頼人は債権譲渡を望んだ

その男は、突然現れた。昼休みに差しかかろうという時間、背広にしわを寄せながら「登記、お願いします」と一言だけ。目を泳がせ、声もかすれていた。

債権譲渡登記——そう聞けば聞こえは堅いが、司法書士にとってはそれほど珍しい案件ではない。ただ、その場にいたサトウさんは、男の目元を見逃さなかった。

「どうも、ああいう目をしてる人は、書類よりも嘘が先に出てくるタイプですね」と彼女は後に言った。

書類だけが先に届いた

男が帰ってきたのは翌日だった。だがそれよりも先に、封筒だけが郵便受けに届いていた。中身は債権譲渡契約書、通知書、そして登記原因証明情報。どれもそれなりの様式は整っていた。

ただ、どれも「完璧すぎる」。書類が綺麗すぎると、逆に怪しいというのは、現場でしか得られない感覚だ。

「…エクセルで一から作ったわね、これ」とサトウさんが呟いた。まるで模造品を見破る鑑定士のような目だった。

差し出し人不明の封筒

封筒の差出人欄には、なぜか筆ペンで「タナカ」とだけ書かれていた。フルネームもなし、会社名もなし。

なにより消印がない。まるで郵便局を通っていないかのように、ポストに直接差し込まれたような形跡だった。

「ルパンなら煙玉でも使うところよね」とサトウさんが呟いたが、私はピンとこなかった。

急ぎの登記依頼

男は再び現れ、「とにかく今日中に登記してくれ」と言った。理由は語らない。とにかく急げ、と。

普通なら断るべきだった。が、「急ぎ」案件に弱い私は、「やれやれ、、、」と嘆きながらも資料に目を通し始めた。

何かが引っかかる。そう思いながらも、私は昔から流れに飲まれるのが得意だった。

午後一番の電話

その日の午後、サトウさんが受けた一本の電話。相手はある信用金庫の職員だった。「実は先ほど、タナカさんという方が、債権譲渡の通知を持ち込んできまして……」

「あれ? それってうちに来たやつと同じ?」

彼女の顔色が変わった。「シンドウ先生、これはただの債権譲渡じゃありません。誰かが走ってます。裏で何かが」

サトウさんの冷たい推理

「たぶん、ダブル譲渡ですね」とサトウさん。「譲渡先が二つある。AにもBにも売った。それで急いで登記だけでも先にしたい」

「でも書類にはちゃんと名前が……」と私が言いかけると、彼女はため息をついた。

「名前は証拠になりません。時系列と通知がすべてです」

消えた債務者の謎

不動産の謄本を調べたら、確かに登記簿の名義人は存在していた。だが住所には誰も住んでおらず、電話番号も不通だった。

債務者がいない。つまり、誰も「通知を受け取る側」が存在しない世界。登記だけが一人歩きしていた。

「サザエさんで言うなら、波平さんが土地を売ってカツオが勝手に登記してるようなものよ」とサトウさんが真顔で言った。

債権者変更通知の不自然な点

通知書には日付がある。しかし、その日付が「翌日」になっていた。

「タイムトラベルか何かですかね」と私が言うと、サトウさんは鼻で笑った。

「単なるミスか、急いで作って日付を適当に打っただけ。でもそれが命取り」

登記簿に残る過去の足跡

過去の登記履歴を見ると、似たような譲渡案件が2年前にも行われていた。その時も同じく「タナカ」という名前。

しかも、そのときの登記申請人も同じ男だった。顔写真はないが、申請代理人が「司法書士シンドウ」となっていた。

私は机に頭をぶつけたくなった。「俺、、、2年前もこの人の代理人だったのか、、、?」

銀行口座が語る真実

通帳のコピーを手に入れた。そこには複数の入金と、それをすぐに引き出す動きが。

しかも債務者と思しき名義の口座に、複数の譲渡先から金が入っていた。

つまり、債権者はひとつ、でも譲渡先は複数。それぞれが「正当な受取人」として騙されていた。

通帳の中の奇妙な入金

ひとつの口座に、数時間おきに異なる金額が入金されていた。そして引き出しは全て同じコンビニATM。

「このリズム、プロの仕業ですね。逃げの速さが違う」とサトウさん。

「……ルパン三世の次元か」と私が呟くと、「せめて銭形警部の気概を持ってください」と返された。

誰が何のために動いたのか

すべての証拠をつなげていくと、そこにはひとりの主導者がいた。名義を借り、複数の買い手を作り、最後に金を回収して消える。

一見地味な手口だが、法の隙間をすり抜けるには十分だった。

「それでも、登記は現実を記録します」と私は言った。

登記申請と偽名の影

申請書にある署名。筆跡鑑定まではできないが、二年前のものとは明らかに異なる。

「別人が同じ名前を使ってる?」と聞くと、サトウさんが無言で頷いた。

やれやれ、、、どうしてこう、面倒な話ばかりが来るんだ。

書類の署名が別人

筆跡の癖が違う。角の丸み、止めの鋭さ。それに「田」の書き順がおかしい。

「サザエさんでいうとマスオさんが突然剣道を始めたくらいの違和感」とサトウさんが言った。

うまいたとえだが、私はそれどころじゃなかった。

サトウさんの一言が突破口に

「この債権、実は存在しないんじゃないですか?」とサトウさんが言った。

最初は何を言ってるかわからなかったが、彼女は通帳の裏書を見せた。

「入金の名義がすべて同じ。つまり一人芝居なんですよ」

過去の類似事件との一致

調べてみると、別の県で似たような手口があった。しかも、そこでも同じく司法書士が巻き込まれていた。

登記を「信じた者」が損をする構造。それがあまりにも似ていた。

「先生、今回こそは騙されずに済みましたね」とサトウさん。

意外な黒幕

結局、警察に相談することで動きが止まった。債務者の名義人は実在しなかった。

全ては偽装された情報と、登記制度の信頼を悪用した詐欺だった。

だがその中心にいた男は、今もどこかで別の名前を使っているかもしれない。

債権譲渡を仕組んだのは

登記は記録を残すが、真実を保証するものではない。

それでも私は、それを「信じたい」と思っている。いや、思いたいだけかもしれない。

「少なくとも、今回は俺たちが一歩先だった」と私は呟いた。

司法書士の逆転

地味で、目立たないけれど、私は法務局に訂正を申し出た。

そして、正しい記録を残すことができた。それがこの職の「勝利」だ。

派手な逮捕劇はない。拳銃も、爆発もない。ただ書類の上で逆転する。

シンドウの地味な一撃

「でもね、サトウさん」

「何です?」

「俺がミスってたら全部台無しだったんだよな、、、」

事件は静かに幕を閉じる

依頼人は姿を消し、警察が動く気配も薄い。

登記が受理されたあと、何も起こらなかった。ある意味で「勝利」だった。

だが私はその静けさに少しだけ寂しさを覚えた。

誰も告発しない結末

登記に正義はない。ただの記録に過ぎない。

それでも、誰かが「これはおかしい」と気づくことが、大切なのだ。

今回は、それが私たちだった。

そして日常へ

朝、また新しい依頼が届いた。

内容は相続放棄の申述書作成。今度はちゃんと役所発行の戸籍付きだ。

「さすがに今回は、普通の依頼ですよね?」と私が言うと、

サトウさんのチクリ

「普通の人が、わざわざうちを選ぶと思います?」

私はコーヒーをすすりながら、また書類の山に向き直った。

やれやれ、、、今日も忙しくなりそうだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓