登記簿の黒い指
朝の事務所に届いた不審な封筒
その日も例によって、朝からバタバタしていた。机の上には依頼書類の山、電話は鳴りっぱなし、サトウさんはすでに無言でキーボードを叩いている。
郵便受けから戻ってきた彼女が、無言で一通の茶封筒をデスクの上に放り投げた。
「差出人不明です。中、開けてみてくださいよ」——言い捨てるようにして彼女はまた席に戻った。
封筒の中の奇妙な登記事項証明書
中身は、見慣れた法務局の登記事項証明書だった。だが違和感がある。筆跡も印字も正規のものだが、どこかが変だ。
ふと目に留まったのは、所有者欄に記された名前。——見たことがない。依頼された覚えも、関与した覚えもない。
登記されているのは、隣町の山奥にある古い一軒家。もう十年以上前に取り壊されたと聞いていた物件だった。
誰も知らない所有者の名前
記されていた名義人の名前は「永井しのぶ」。だが、私の記憶にも、地元の名簿にもその名はなかった。
登記の履歴をたどってみると、前の所有者の相続によって名義変更された形跡がある。
だが、その相続人の記録が、どこにも存在しない。謄本上には名前があるのに、現実には存在しない人物——まるで幽霊だ。
サトウさんの冷たい推理
「これって、書き換えられてますよね」
「これ、地番ごと乗っ取られてますよ」
書類を覗き込んだサトウさんが、コーヒーを片手に言い放つ。まるでコンピューターのバグでも見つけたかのように淡々としていた。
「本来の地目が『宅地』だったのに、途中から『山林』に書き換わってます。しかも、その申請日が妙に古い」
旧登記簿から消された名義人
昔の登記簿を取り寄せた。そこにはかつての所有者「沢渡三郎」の名前があった。
だがその後、申請もなく突然「永井しのぶ」に切り替わっている。まるで誰かが書類の裏で手を回したように。
私の額からじわりと汗が流れる。これは——偽造、いや、登記簿そのものを操作している誰かがいる。
過去の記録に潜む不在者
謄本の中の空白
「サザエさん方式で言えば、突然波平が違う人に差し替わってるようなもんですね」
私の冗談に、サトウさんは目もくれずファイルをめくる。
謄本の中の空白——それは、名義が移転されたことを示す記載がすっぽり抜けている部分だった。
元所有者が最後に残した一筆
沢渡三郎が生前残した遺言が、偶然にも地元の公証役場に保存されていた。
そこには、土地を娘の「沢渡美沙」に相続させると明記されている。しかし美沙の名前は、登記簿のどこにも現れていない。
「これで決まりですね」サトウさんはあっさりと言った。「誰かが、美沙さんの存在ごと消したんです」
司法書士シンドウの現地調査
誰も住んでいないはずの古民家
車で1時間半。現地は苔むした瓦屋根が残るだけの廃屋だった。だが、建物の中に、誰かが最近入った形跡があった。
雨戸が一部だけ開き、靴の跡が泥の中に残っていた。——誰かがここを使っている?
私は知らず、喉を鳴らした。「やれやれ、、、またホラーじみた話になってきたな」
登記簿の指は誰のものか
封印された過去の取引
地元の元区長から話を聞き出すと、十数年前にこの土地を巡る「口約束」の売買があったことが分かった。
沢渡三郎が金に困って、娘に無断で他人に売る契約書を交わしたらしい。——だが、それは正式な登記を経ていない。
不正な売主と偽装された買主。そこに、悪魔のような第三者が登記を利用して入り込んだのだ。
亡霊ではなく、人間の仕業
所有者欄に記された「永井しのぶ」は、架空の名義だった。だが、その名で売買を繰り返して利益を得ていた人物がいた。
それは、私も過去に一度だけ登記の依頼を受けた不動産業者だった。あのとき提出された委任状も、今思えば不自然だった。
やっと、登記簿に住んでいた“悪魔”の正体が浮かび上がってきた。
犯人の正体とその動機
正当な継承者になりすました悪魔
犯人は、沢渡美沙になりすまし、司法書士にも偽造書類を提出していた。
彼女になりすましたその女は、かつてこの土地に出入りしていた近隣の住人。昔から土地に執着があったという。
彼女は、美沙が海外に移住した隙を狙い、地元の弱い監視体制を突いて登記の書き換えを試みたのだった。
司法書士が暴いた真実の証明
私は偽造書類の筆跡鑑定と、郵便記録、当時の不在証明などを添えて、登記抹消の申請を行った。
地方法務局は異例の対応で調査を行い、やがて「永井しのぶ」名義の登記は職権で抹消された。
「司法書士さん、頼もしいですね」——依頼者である本物の沢渡美沙が、わずかに微笑んだように見えた。
エピローグ 登記簿は嘘をつかない
サトウさんの一言が響いた日
事件が終わった翌日。事務所はいつものように静かだった。
「結局、書類ってのは人間がいじれるから怖いんですよね」——サトウさんが、誰に言うでもなくつぶやいた。
「でも結局、いじった人間が必ずボロを出す。そこが唯一の救いです」
そして今日もまた依頼が来る
電話が鳴る。また新しい相談だ。今度は遺言の真贋らしい。
私はため息をついて、椅子にもたれかかる。「やれやれ、、、休む暇もないか」
だが、どこかで胸の奥が、ほんの少しだけ誇らしく温かくなっていた。