通帳は知っていた

通帳は知っていた

通帳は知っていた

朝一番、事務所の電話が鳴った。時計を見るとまだ九時前。コーヒーも入れていないのに、また何かトラブルの匂いがした。着信の表示は見覚えのない市外局番。やれやれ、、、今日も波乱の予感だ。

午前九時の電話

電話の相手は、少し年配の女性だった。声の張りはあるが、何かを隠しているような湿った響き。話の内容はこうだ。亡くなった父親の遺産相続で、通帳に妙な数字が記されていたという。それも、誰かに意図的に足されたような形跡があると。

依頼人は無口だった

事務所に来たのはその娘と、その弟を名乗る男。二人とも明らかに仲が悪く、会話らしい会話はなかった。依頼人の女性は終始口をつぐみ、弟が代わりに通帳と相続資料を差し出した。見れば、最終残高が不自然に大きい。前後の取引履歴とつじつまが合わない。

サトウさんの冷静な視線

「この通帳、インクが濃すぎますね。最近書き換えたかもしれません」 書類に目を通していたサトウさんが、ふいに呟いた。いつもの塩対応とは別人のように、手際よく資料をスキャンし、偽造の可能性を指摘する。元野球部の俺は、打順が回ってくる気配を感じていた。

不可解な数字の並び

問題の通帳には、数ヶ月前の入金が一件記録されていた。その金額は三百万円。だが、通帳上の取引履歴には記録されておらず、明らかに不自然だ。しかも、それ以前の残高と合算しても説明がつかない。数字が多すぎるのだ。

一桁多い残高

試しに繰越計算をしてみると、一桁多く計算されていることがわかった。おそらく、誰かが数字を手書きで改ざんしたのだ。金融機関の記録と照合すれば一発でバレるようなレベルだが、それでもなぜか今まで誰も気づかなかったという。

遺産相続と知られざる過去

通帳の持ち主である父親は、数年前まで一人で電気工事会社を営んでいたという。顧客リストを調べると、複数の法人からの高額な振込があったが、帳簿には記載されていない。それが遺産なのか、それとも何かの裏金か、状況は混沌としてきた。

かすれた印影と偽造疑惑

通帳には、最後の数ページに印影が押されていたが、そのいくつかは明らかに他と異なる形式だった。銀行印を偽造して捺印した可能性がある。ここまでくると、ただの家族間の相続トラブルでは済まない。

通帳はいつ書き換えられたのか

通帳の紙質やインクの劣化具合から、最近書き換えられたページと、十年以上前の記録とが明確に異なっていた。問題の数字が記されていたのは、まさに「最近加筆された」ページに集中していた。やっぱり誰かがやっていた。

登記簿との奇妙なズレ

亡父名義の不動産登記簿を確認すると、相続前に一度だけ所有権移転の申請がされていた。しかも、移転先の名義は娘ではなく、弟の名前。だが、法務局にはなぜか申請書類の控えが存在しなかった。不審極まりない状況だ。

親族たちの嘘と真実

再び二人に問いただすと、弟の顔色が変わった。しどろもどろになりながらも、「兄が手を加えたかもしれない」と口を滑らせた。だが、依頼人の女性はそれに対して無言。家族の中にひとつ、誰も知らない闇があった。

誰が最初に通帳を見たのか

一連の流れから見て、最初に通帳を確認したのは弟で間違いなかった。そして、その後すぐに相続人としての申請書類を提出していた。つまり、偽造の動機も、機会も、すべて彼にあったということになる。

行方不明の長男と空白の二年

驚くべきことに、亡父にはもう一人息子がいた。数年前に行方不明となり、戸籍から除籍されていた。その除籍届を提出したのは、ほかでもない弟本人だったのだ。通帳の数字は、彼の存在を帳簿上から消すための偽装だったのだ。

サトウさんの鋭い一言

「それ、登記識別情報通知書と違いますか?」 通帳の間に挟まれていた一枚の紙を見たサトウさんが、静かに告げた。それは父親名義の不動産の識別情報で、登記の際に必要な書類だった。つまり、誰かがこれを使って勝手に登記を進めようとしていた。

預金封鎖をめぐる勘違い

弟は「父が遺言で財産をすべて譲ると言っていた」と主張したが、遺言書は存在しなかった。代わりにあったのは、手書きのメモと、偽造された通帳だけ。その通帳がすべての発端であり、終点だった。

やれやれという前に

資料をすべてそろえ、管轄の家庭裁判所に提出する段階になって、ようやく依頼人の女性が口を開いた。「兄が帰ってきたんです」——失踪していた長男が、すべての真実を語りに帰ってきたという。やれやれ、、、またやり直しか。

真相にたどりつく司法書士

最終的に、長男の証言と資料により、通帳偽造は弟の仕業と判明した。登記識別情報を無断で使い、遺産を自分のものにしようとしたのだ。だが、すべては通帳に残された数字によって暴かれた。

裏付け資料は押入れの中に

決定的な証拠となったのは、父親が保管していた領収書と手紙。そこには、自分が長男にすべてを託すという意思がはっきりと書かれていた。押入れの奥から見つかったそれらは、通帳以上に雄弁だった。

通帳の数字が語った犯人の正体

結局のところ、すべてを語ったのは「金額」だった。数字にしか興味がなかった弟の行動が、彼の動機をあぶり出した。通帳はすべて知っていた。ただ、それを読む目が必要だっただけだ。

事件は静かに終わりを迎える

弟は偽造の事実を認め、遺産分割協議はやり直しとなった。長男と妹は和解し、父親の意志を大切にするという形で決着をつけた。小さな町の司法書士として、ひとまずの仕事は終わった。

遺産の行方と家族の再生

財産は、金額にしては決して大きくなかった。けれども、それをめぐって浮き彫りになった家族の軋轢と、わずかな希望がそこにはあった。数字では測れないものが、確かにあったのだ。

今日もまた書類の山に囲まれて

事件が終わっても、机の上の書類は減らない。サトウさんはさっさと昼休みに出ていった。俺はコーヒーを啜りながら、またもや次の依頼人の電話に手を伸ばす。やれやれ、、、終わりはいつも地味だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓