未来から除かれた女

未来から除かれた女

遺言書の行方

奇妙な来訪者

ある春の日の昼下がり、事務所のドアが静かに開いた。黒いワンピースに身を包んだ中年の女性が、しっかりとした足取りで応接椅子に座る。「遺言書が、消えたんです」と言われて、胃が痛くなった。

この遺言は本物ですか

彼女が差し出したコピーは、明らかに何度も複写されたものだった。筆跡はかすれていて、印影も怪しい。けれど日付と書式は、しっかりしているように見える。何より気になったのは、そこに名前が一つ、見当たらなかったことだった。

依頼は一通の封筒から

開かれた過去の記録

封筒の中には、亡くなった男性の戸籍謄本と、古びたラブレターのような紙が入っていた。「私は彼の未来を信じていました」と書かれたそれは、明らかに法的効力のない、けれど重たい証拠だった。

サトウさんの冷静な推察

「これは感情の証拠ですね」とサトウさんは淡々と言った。その冷たさがかえって真実味を帯びていた。感情と法の隙間に沈んだものを、我々は登記簿から拾い上げなければならない。

相続人の影に消えた名前

被相続人の恋人という女

彼女は長年、事実婚のような状態でその男性と暮らしていたという。だが戸籍にも、遺言にも、彼女の名はない。まるで存在しなかったかのようだ。「彼は、私を未来に残さなかった」と彼女は言った。

名を連ねない女の焦燥

「せめて思い出の家だけでも残してほしかった」と彼女は訴える。だが、それを叶えるには証拠が足りない。愛情では登記簿は動かせないのだ。そこには、現実の壁がある。

登記簿に現れた齟齬

書き換えられた委任状

被相続人がかつて作成した委任状の日付と、遺言書に記されたものとが一致しない。さらに署名が微妙に異なる。「これ、本人が書いたものですかね」とサトウさんが呟く。

誰が何のために削ったのか

委任状には、彼女の名前が薄く残っていた痕跡がある。つまり、誰かが彼女を「未来から消そう」と意図的に働いた可能性がある。怪盗キッドよろしく、姿は見せずに証拠だけを消した犯人がいるのだ。

戸籍に記された最期の証拠

隠された婚姻の届出

市役所で手に入れた閉鎖戸籍の中に、1年だけの婚姻の記録が見つかった。だが、それは自筆遺言の作成日より前に解消されていた。「つまり、法的には他人扱い」というサトウさんの冷静な一言が刺さる。

本籍地と日付のズレ

本籍地が変わっていた。遺言書の住所と食い違っているのは、彼女がそこに住んでいなかったことを意味する。未来を共有していたように見えて、法的には赤の他人。皮肉な話だった。

被相続人の未来に残したもの

遺言の作成日は彼女のいない日

彼女が病院に入院していた日に作成されたその遺言は、あたかも「自由な一人の男性」として書かれていた。そこに愛も、過去も記されていない。静かにページをめくる音だけが虚しかった。

法定では語れない感情の重み

法廷ではなく、法定相続。つまり、愛ではなく数字と形式で処理される世界だ。シンドウの頭には、かつて観た『サザエさん』の波平の台詞がふとよぎる。「形式がすべてじゃないが、形式がないと話にならん」。やれやれ、、、司法書士ってのはつらい商売だ。

不動産の名義は誰のものか

亡き者が語る選択

調査の結果、家の名義は遺言どおり甥に移ることになった。彼女は淡々と受け入れ、「やっぱり私は必要なかったんですね」と笑った。だが、その笑顔の奥には、未来に置き去りにされた人の悲しみがあった。

彼にとってわたしは未来にいない

それは事実だった。しかし、登記簿に記されていなくとも、誰かの記憶には、確かに彼女の存在が刻まれている。書類が語れない想いが、そこにあった。

サトウさんの一言が鍵になる

声にしなかった遺志の在り処

「声にしなかった意思は、書かれた意志に負けるんです」とサトウさんが言った。その残酷な正論が、現実だった。彼女が未来を信じていたとしても、それは法の中には残らない。

公正証書にすればよかったのに

紙切れ一枚に託した想い。もしそれが公証人役場で正規の手続きを経ていれば、少なくとも今のように「存在しない人間」にはならなかっただろう。悔やんでも、もう手遅れだった。

やれやれ、、、名義以上のものは残らない

遺された女が最後に選んだこと

彼女は「彼が好きだった庭に花を植えさせてください」と言って、去っていった。その願いを甥は無言で了承した。法では裁けない、やさしさのようなものがそこにあった。

登記簿にない彼女の愛と別れ

名義には残らない、けれど確かに存在した愛。法では拾えない感情の記録。シンドウは机に突っ伏し、ぼそっと呟いた。「やれやれ、、、次の案件は、離婚登記だってよ」

結末のひとこと

書面にない未来

登記簿に書かれる未来と、書かれない未来がある。だが人は、書かれない未来にこそ、想いを託すのかもしれない。

そしてまた今日も依頼が届く

ファックスが鳴る。届いたのは、またしても遺産分割協議書の相談だった。やれやれ、、、未来ってのは、紙だけじゃ決まらないらしい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓