ふとした瞬間に思い出すあのひと言
たった一言で、ここまで心に残るものかと自分でも驚く。忙しい日常の中、机に向かいながら書類に追われると、ふと、昔のあのひと言が浮かんでくる。「がんばってるね」と、優しい目をして言ってくれたあの人。特別な出来事があったわけでもない。ただその瞬間、なぜか胸にすっと染み渡った。司法書士という仕事は、日々が戦いであり、孤独であり、ミスは致命傷だ。その中で、たったひと言の温もりが、今も心のどこかに火を灯している。
声をかけてもらうこと自体が珍しい仕事
司法書士をしていて思うのは、「ありがとう」よりも「当然でしょ」と言われることのほうが多いということ。仕事柄、依頼された登記や書類の処理は完璧が当たり前。クライアントからすれば、間違いがないのは前提条件。そこに「よくやったね」なんて言葉が乗ることは、ほとんどない。だからこそ、過去にたった一度「がんばってるね」と言われたことが、こんなにも深く残っているのかもしれない。応援されることが少ない世界で、人はどうやって心を保つのか、自分なりに考えることが増えた。
いつも「できて当たり前」と思われている日常
世の中には、成果が見える仕事と見えにくい仕事がある。司法書士の仕事は、後者の代表格だ。提出期限を守る、法的に正確である、それは当然。誰かが「これはよくやった」と褒めてくれるようなことはほとんどない。むしろ、静かにスムーズに終わることが理想とされるからこそ、「何も問題が起きなかった=誰の記憶にも残らない」になってしまう。でも、その影には毎日の気遣いや神経のすり減らしがある。そこを誰かが見ていてくれることなんて、滅多にないのだ。
誰も見ていないと思っていた裏方の努力
学生時代、野球部でベンチを温めていた頃のことを思い出す。スタメンじゃない自分に、ある日先輩が「お前、がんばってるな」と声をかけてくれた。そのときと同じ感覚を、司法書士になってから味わったことがある。事務員にも話してない、誰にも気づかれない努力を、依頼人がふと気づいてくれて「こんな細かいところまで、ほんとにがんばってるんですね」と言ってくれた。あの瞬間、自分の存在が誰かの中に届いた気がして、泣きそうになったのを覚えている。
その言葉が刺さった日のこと
日々ルーチンのようにこなしている仕事の中にも、「今日はちょっときついな」という日がある。その日は、朝から法務局とのやり取りが難航し、午後にはトラブル処理の電話が続いた。正直もう限界と思いながら帰り支度をしていたら、依頼人が一言、「がんばってますね」と言ってくれた。大げさな言葉じゃない。でも、その一言がその日の疲れを吹き飛ばしてくれたのだ。司法書士として必要なのは法的な知識だけじゃない、人とのつながりだと気づかされた日だった。
依頼人の何気ないひとことが胸に残る
その依頼人は、老夫婦だった。登記の相談に来たとき、私はいつも通り丁寧に、ミスのないよう慎重に対応したつもりだった。特別なことをした覚えはない。それでも手続きが終わった帰り際、奥様が笑顔で「先生、がんばってらっしゃるんですね」と言った。ほんの何気ない、でも心を見透かされたような言葉だった。私が「がんばってます」と口に出すことはほとんどない。だからこそ、そのひと言がとても重たく、あたたかく響いた。
「自分はまだやれている」と思えた瞬間
がんばっている自覚なんて、いつの間にか薄れていた。毎日同じように仕事をして、ミスのないようにだけ気を配る。気がつけば、何のためにやってるのか分からなくなることもある。そんな中でふと「がんばってるね」と言われたとき、自分が無価値じゃなかったと確認できた気がした。誰かが見てくれている、それだけで人間はもう少しだけ、明日もやれる。言葉はエネルギーになる。それを実感した瞬間だった。
言葉って、人を支える道具だと実感した
昔、父親が病気で倒れたとき、誰も「大変ですね」とは言ってくれなかった。誰にも言えないし、言ったところで気休めだと自分を納得させていた。でもある日、同期の司法書士がぼそっと「お前、がんばってるよな」と言ってくれた。それがどれだけ心を軽くしたか、今でも覚えている。言葉はただの音じゃない。その人の気持ちごと、心に届く。自分もいつか、誰かに同じような支えになれる言葉をかけられる人間でいたいと、ふと思った。
司法書士という孤独な仕事の中で
この仕事、基本的には一人で完結することが多い。チームで動くわけでもないし、声を掛け合いながら作業する環境でもない。事務員がいてくれるとはいえ、責任は最終的にすべて自分。だから、感情を共有する相手がいないというのが最大の孤独だ。トラブルが起きたときも、褒められたときも、自分で処理する。そんな世界の中で、「がんばってるね」は、まるで冬の日差しのようにあたたかく、心の奥にじんわりと届くのだ。
ミスは叱られるが、正解は評価されない現実
ミスをすれば怒られる、でもミスをしないことは誰も褒めない。それが司法書士の世界の常識だ。登記申請の書類を完璧に整えて提出するのは、ただの前提。逆に、もし提出先で修正があれば「なぜ確認しなかったのか」と責められる。正確さが当たり前になると、努力は評価されなくなる。そんな中で誰かがふと「よくやってますね」と言ってくれるだけで、救われる。こんなにも言葉に飢えているのかと、自分でも驚くほどだ。
事務員と二人きりの静かな戦場
うちの事務所は、小さな田舎の事務所だ。事務員と私の二人で、毎日淡々と処理をこなしている。彼女はとてもよくやってくれるが、必要以上に会話はしない。愚痴もこぼさず、黙々とやっている。そんな空間の中で、感情を表に出すことは少ない。でも、ある日ふとした拍子に「先生、最近すごく忙しそうですね。がんばってますね」と言われた。それだけで、涙が出そうになった。誰かに見られている、それだけで世界の見え方が変わる。
応援のない場所で、どう心を保つか
「誰も見てないなら手を抜いてもいいじゃない」と思う瞬間もある。実際、誰も咎めないし、結果さえ整っていれば誰も疑わない。でも、自分の中の「ちゃんとやろう」という気持ちだけが、心を繋ぎ止めている。そしてそれを支えてくれるのが、過去にもらった一言だったりする。「がんばってるね」と言われたあのときの自分に、恥じない仕事をしたい。誰かのひと言を胸に、今日もまた静かに机に向かっている。