登記簿の名前が消えた
朝届いた一通の封筒
その封筒は、土曜の朝に限ってようやく一息つこうとした矢先にやってきた。分厚く、けれど妙に軽い茶封筒。差出人は不動産業者ではなく、個人名だった。中には古びた登記簿の写しと、雑にコピーされた遺産分割協議書の写しが入っていた。
それを見た瞬間、背筋に嫌なものが走った。そこにあるべき名義人の名前が、なぜか一切印字されていなかった。消えた、というより「初めからなかった」ような不気味さがそこにはあった。
サトウさんの塩対応と冷静な分析
「まさかとは思いますけど、登記官の入力ミスじゃないですよね」 いつもどおりの無表情で、サトウさんが言う。まるで冷蔵庫の中のキャベツが腐ってることを指摘するみたいに、静かで正確だ。
彼女の指摘に従い、私は原本と照合した。だが確かに、どこにも名義人の名前が載っていない。これは、ただのミスでは済まない何かが潜んでいる。
相続人は一人だけのはずだった
依頼書には「長男一人の単独相続」と書かれていた。兄弟姉妹はなし、母親は既に亡くなっているとの説明。しかし、それが本当か確かめる手段は一つしかない。
戸籍を追い始めてすぐ、私は違和感を覚えた。どこか、情報が唐突すぎる。まるで書かれるべき誰かの存在を意図的に飛ばしているような、不自然さがそこにはあった。
古い謄本に残された手書きの余白
コピーの端、斜めに折れていた部分をめくると、そこに鉛筆で小さくメモ書きがあった。「次男 カズト」と、走り書きで記されている。
これはいったい誰なのか?サザエさんのタラちゃんのように、いつのまにか知らない家族が増えていたパターンか?私はやれやれ、、、とつぶやいた。
本籍地からの回答が遅れる理由
本籍地である遠方の村役場に戸籍謄本の請求をしたが、なかなか返ってこない。電話をしても、「確認中です」とのこと。なぜそこまで手間取るのか。
疑念が膨らむ。そこに記されている何かを、誰かが見せたくないのではないか?私は経験からくる嫌な直感を覚えていた。何かが隠されている。
被相続人の戸籍に潜む違和感
ようやく届いた謄本には、たしかにもう一人、次男の存在が記されていた。ただし、出生後すぐに養子に出されており、その記載は抹消線で消されていた。
だが、法律上は実子であり、相続人としての資格は残っている。依頼人はその事実を「知らなかった」のか、それとも「知っていたが隠した」のか。
司法書士としての違和感と勘
こういう時こそ、昔の野球部の感覚が役に立つ。投手のクセ、打者の間合い、そしてこの書類の「間」も。何かが抜けている、けれどそれは意図的だ。
司法書士は書類に強くなければ務まらないが、同時に「空白」を読む力も必要だ。私は相続人に会って話をするべく、予定を調整し始めた。
もう一人の相続人の影
次男・カズトは、今は別姓で都内に暮らしていた。無口で、記憶を語りたがらない男だったが、「兄とはずっと会っていない」と言った。
だが彼の声にはどこか悔しさがにじんでいた。「俺に相続の話なんか、来るわけないですよ。そう決めてたんです、アイツは」。
やれやれ、、、またかという思い
争族、か。相続に絡む人間の業は、時として殺人事件よりも根が深い。「人を殺すのに包丁はいらない、印鑑と沈黙で十分だ」と誰かが言っていた。
やれやれ、、、いつもの仕事とはいえ、気が重い。けれど、やるしかない。少なくとも、登記簿には真実を刻む義務がある。
実印が押された日付の謎
遺産分割協議書の日付が、不自然に古かった。その日、被相続人は既に入院中だったはず。実印の押印は、誰がやったのか?
指印でもなければ代筆でもない、明らかに健康な人間の文字と捺印。偽造か、それとも隠された協力者がいたのか。法務局に問い合わせると、興味深い話が出てきた。
法務局の審査官が漏らした一言
「この書類、前にも一度見たことある気がするんですよね」 審査官の言葉に私は反応した。「どういう意味ですか?」と問うと、「いや、別の申請で出された書類と…ちょっと似てる気がして」。
私はすぐに過去の登記記録を洗い直すことにした。似ている、という感覚は、思っている以上に確かな証拠につながる。
すれ違った男の正体
事務所の前で偶然すれ違った男。どこか見覚えがあると思ったら、数年前の相談者だった。名義変更の相談に来ていたが、途中で音信不通になった男だ。
彼は、今回の依頼人のいとこだった。そして、その男が所有していたはずの土地が、今まさに問題となっている土地と隣接していた。
登記を止めた真の理由
彼らはいとこ同士で結託し、相続人を「存在しないもの」として扱うために書類を整えた。まるで怪盗キッドのマジックのように、現実から人を消したのだ。
だが、登記簿は記憶する。人間が忘れても、紙は覚えている。私は正しい記録を戻す手続きを取り始めた。真実が一歩、戻ってきた。
遺言書は本物か偽物か
最後に出てきたのは、「自筆証書遺言」だった。日付は古いが、内容は次男を相続人から外す旨が書かれていた。
だが筆跡鑑定の結果、それは兄のものではない可能性が高かった。誰かが、未来を都合よく書き換えようとしたのだ。
名義が動かぬことで守られたもの
結果として、今回の登記は一旦停止された。名義が宙ぶらりんになったことで、土地は保留地扱いとなり、いかなる売買もできなくなった。
だがそれで良かったのだ。誰のものでもないことで守られるものもある。時間をかけて、正しい答えを出せばいい。
サトウさんの一言で締まる事務所の一日
「結局、兄弟ってのが一番やっかいですよね」 書類の山を片付けながら、サトウさんがつぶやいた。私は深くうなずきつつ、椅子にもたれかかる。
やれやれ、、、今日もまた、終わらない仕事がひとつ片付いた。 サザエさん一家のようにはいかないのが、現実の家族というものだ。