仮処分に消えた命
朝の来訪者と不穏な依頼
朝一番、事務所のドアがバタンと開いた。重たい革靴の音を響かせて入ってきたのは、顔色の悪い中年の男だった。手に持っていた封筒を机の上に投げるように置くと、彼は深いため息をついた。
「仮処分の件で相談があるんです。空き家の持ち主が、最近になって名義を変えたようで……」 嫌な予感しかしなかった。
争点は空き家と仮処分命令
男の話によると、亡くなった叔父の空き家について、まだ相続登記も終わっていない状態で、突然見知らぬ男が所有者として登記され、仮処分命令を出したという。 「いや、それは……かなり、変ですね」 サトウさんの声が冷たく響いた。
私が戸籍の収集を始めた矢先、その空き家がすでに売買契約の対象になっていたことがわかった。いや、仮処分の対象物件が売買される? 何かがおかしい。
持ち込まれた遺言書の矛盾
クライアントの男が出してきたのは、叔父の遺言書のコピーだった。しかし、どう見ても筆跡がおかしい。 しかも、「令和三年九月吉日」と書かれている。吉日って、まさかサザエさんの三河屋さんかよ、とツッコミたくなるような日付指定だった。
司法書士としての勘が働く。これは、どこかで誰かが「作った」ものだ。しかも手慣れている。やれやれ、、、また面倒な案件に踏み込んじまった。
サトウさんの冷静な推理
「この遺言書、文言が怪しすぎます。典型的なテンプレートの引用です」 そう言ってサトウさんは、パソコンを叩き始めた。検索に出てきたのは、某有名司法書士ブログの文例集。
「これ、丸写しです。日付も含めて」 ため息まじりにコーヒーをすすった私は、元野球部の本能で、これはバッターではなく、ピッチャー側が投げ損ねたフォークボールだと感じた。
不自然な固定資産税の滞納
市役所に確認すると、その物件は固定資産税が三年間滞納されていた。そして、最後に支払った人物の名義が、件の「新しい所有者」だった。
「支払った人間が登記したわけですね。あり得ない話ではないですが……」 私が言いかけると、サトウさんが静かに睨んできた。「“でも”が多いと、仕事が増えますよ」
近隣住民が語る謎の転居劇
空き家の隣人に話を聞くと、1ヶ月ほど前、夜中に引っ越しのような騒ぎがあったという。そして、それ以来、見知らぬ男が出入りしていると。
まるでキャッツアイのような夜間作業だが、こちらは美人三姉妹ではなかったらしい。 「作業員にしては、妙にスーツが似合ってた」と隣人は言った。やはり只者ではない。
届かぬ通知と消えた郵便受け
内容証明を送っても「宛先不明」で返ってきた。サトウさんが現地で確認すると、郵便受けがごっそり外されていたという。
「サザエさん家の波平でも、そんな雑な隠し方はしないと思います」 このままでは通知が届かない。つまり、誰かが意図的に“宛先を消している”のだ。
元所有者の影と仮の命
念のために、古い登記簿を閲覧すると、以前の所有者は、数年前に亡くなっていた。しかし、その名義を根拠に作られた委任状が登記に使われていた。
まさに「仮の命」だ。死人に口なし、しかし死人を使って登記とは、完全に一線を越えている。
法務局からの一通の照会
そんな中、法務局から私あてに照会が届いた。件の物件に関して、過去にも似たような仮処分案件が繰り返されているという。
「これは……常習犯ですね」 サトウさんがそう呟いたとき、私はようやく、あるパターンに気づいた。
仮処分記録に残された過失
仮処分命令の申立書を精査すると、一部に“前の案件”の地番が混ざっていた。コピペミス。 そこが突破口だった。
不動産の仮処分を巡る案件では、申立書の精度は命取りになる。そこにこそ、この「仮の命」の綻びがあった。
サトウさんの一撃
「この件、裁判所にも情報提供しておきます」 サトウさんは淡々とFAXを送信していた。既に私の出番はないのかもしれない。
しかし、最後の確認だけは俺がやる。もはやこれは、元野球部キャプテンの意地だった。
真相はひとつとは限らない
実はこの物件、別の仮処分が二重にかかっていた。登記簿の記録では見えない微細なズレが、それを証明していた。
どちらの仮処分が本物なのか。それを判別できるのは、司法書士だけだ。 久々に、俺の職業魂がうずいた。
背後にいた第三の司法関係者
登記申請書に添付されていた認証印を見て、私は凍りついた。旧知の司法書士の名前がそこにあった。 「やれやれ、、、昔のよしみで済む話じゃなさそうだな」
彼は数年前、事務所を畳んで消息不明になっていた。なぜ、今ここに名前が?
命の行方と消えた権利者
すべての書類と情報をまとめ、依頼者に報告した。仮処分は無効になる可能性が高く、登記の取り消しも視野に入る。
「でも、叔父の家を誰が欲しがるのか……」と男は呟いた。 その答えは、まだ仮のままだった。
事件が残したものと明日への登記
事件は終わったが、私は疲労困憊だった。 サトウさんは黙ってコーヒーを淹れてくれたが、目は「次の案件がもう来てますよ」と語っていた。
やれやれ、、、これだから司法書士はやめられない。明日もまた、登記簿とにらめっこだ。