登記簿に咲いた花
忙しい朝の始まりと妙な依頼
八月の朝。事務所のエアコンは壊れたままで、扇風機が唸り声をあげていた。
そこへ現れたのは、花柄のワンピースに日焼け止めの香りを漂わせた若い女性。
「祖父の名義になっている土地がありまして……確認していただけませんか?」
花屋の女性が遺したもの
依頼人は地元で花屋を営むという女性だった。名を沢田ユカリ。
彼女が差し出した登記事項証明書には、昭和時代の名義がそのまま残されていた。
「亡くなった祖父が、母に何も言わずに名義を放置していたみたいなんです」
土地の名義と消えた婚約者
不思議だったのは、その土地に住んでいるはずの母親が「知らない」と言っている点だ。
さらに調査を進めるうちに、過去の名義人の一人が数年前に婚約破棄をして失踪していたことが判明。
司法書士にしては珍しく、事件の匂いがしてきた。
サトウさんの冷静な推理
「このユカリさんの話、なんか変ですね」サトウさんがポツリと呟いた。
「相続登記を放置する理由にしては、不自然すぎます」
彼女は資料をざっと眺めると、付箋を一箇所にまとめて貼り付けた。
過去の所有者の影
登記簿の閉鎖事項を閲覧していくと、一人の男性の名前が頻繁に現れる。
その名義人は昭和50年代に何度も所有権を移転しており、しかも全て「贈与」となっていた。
まるで、愛人に土地を配っていたようにも思えるが、、、
閉じられた謄本の奥に
法務局の職員に頼んで、古い閉鎖登記簿のコピーを取り寄せた。
そこに現れたのは、「ユカリ」の名前と同じ筆跡の委任状だった。
「…あの花屋の娘さん、本当は何者だ?」
恋と登記のあいだで
依頼人は再び事務所に現れた。「あの土地、思い出の場所なんです」
淡い表情でそう語る彼女に、オレは一瞬だけ高校時代の淡い初恋を思い出した。
だが、感情に流されてはいけない。これは法の世界だ。
サザエさんと名探偵の狭間に
「サザエさんの家だって、名義は波平さんのままなんじゃないですかね」
冗談交じりに言ったサトウさんに、オレは苦笑いで返した。
「まぁ、あそこは“磯野家”という強固な秩序があるからな」
消えた実印ともう一つの謎
沢田家の実印が見つからない。相続登記にはそれが必要不可欠だった。
だが、ユカリは「持ち出していない」と言う。ここで妙案が浮かぶ。
「もしかして、印鑑登録証明書を本人が偽造してる可能性もあるな…」
花に隠された真実
調査を進めるうちに、ユカリの母が実は“婚約者の元恋人”であり、名義人の恋人だったと判明。
土地は愛の証として贈与されたもので、ユカリはそれを守るために隠していたのだ。
「登記を戻してもらえませんか? 母の記憶が正しいうちに」
やれやれ、、、これも仕事のうちか
結局、名義変更は無事に完了。だが、その過程には甘くも切ないドラマがあった。
サトウさんは最後にひとこと、「恋って、面倒ですね」と笑った。
やれやれ、、、司法書士って、雑用係じゃないんだけどな。
恋と名義の整理がついた午後
事務所に戻ると、扇風機はまだうるさく回っていた。
だが、どこかで一つの恋の整理がついたような気がして、少しだけ心が軽かった。
恋も登記も、結局は整理と確認の連続だ。
そしてまたいつもの事務所へ
郵便受けには、また新しい謄本のコピー依頼が届いていた。
サトウさんはすでに次の仕事に取りかかっていて、俺に目もくれない。
……まぁ、これくらいがちょうどいい。やっぱり、独身は気楽だ。