ひとりで過ごす日曜の午後

ひとりで過ごす日曜の午後

静かな日曜日、事務所にも電話は鳴らない

日曜の午後。世間ではショッピングモールや公園が家族連れでにぎわっているのかもしれない。でも私の事務所は静まりかえっていて、電話も来客もなく、ただ時計の針だけが音を刻んでいる。月曜から金曜まで鳴り響く電話や補正の連絡に追われている日常とは別世界のようで、いっそ夢の中にいるような気さえしてくる。

普段の喧騒が嘘のような午後

平日はあんなに「静かな時間が欲しい」と思っていたはずなのに、いざこうして静かすぎる日曜を迎えると、どうにも手持ち無沙汰になる。溜まっている書類を整理しようとしても、やる気が出ない。せっかくの休みなのに、心はどこか落ち着かない。時間があるということが、こんなにも落ち着かないものだとは。

あまりに静かすぎて逆に落ち着かない

テレビもつけず、スマホも見ず、ただ自分の呼吸の音が響く空間。事務所の椅子に深く座って天井を見上げる。たしかに休めてはいる。けれど、「誰かから必要とされていない」ような感覚に、不安が忍び寄る。司法書士としての存在価値って、いったいなんなんだろうと。

「このまま誰にも頼られなくなるのでは」という不安

私はもう45歳。新しいことに挑戦する体力も、気力も、昔に比べれば衰えてきている。今のお客さんたちが減っていったら? 登記申請の手続きがAIに置き換わったら? ふと、そんな未来を思い浮かべてしまう。電話が鳴らないという静けさが、まるで終わりの予兆のように思えて、気が滅入ってくる。

休めるはずなのに、気が休まらない理由

「今日は休もう」と決めていても、心のどこかが常にスタンバイ状態になっている。登記の補正通知が突然来るかもしれないし、思いがけないトラブルが起きるかもしれない。たとえ電話が鳴らなくても、完全に気が休まる日は、年に何日あるだろうか。

オフなのに頭は登記のことばかり

午前中にコーヒーを淹れながら、ふと「先週の相続登記、添付書類はこれで十分だったか」と考えてしまう。依頼者からは何も言われていない。でも、気になる。日曜の午後にすることじゃないと分かっていても、頭から離れないのがこの仕事の厄介なところだ。

日曜でも「補正通知が来たら…」という緊張感

最近は登記情報提供サービスの自動メールもあるから、日曜に補正が届くことはない…はず。でも、体が染みついた感覚で反応してしまう。スマホの通知音にびくっとしてしまう自分が情けない。安心して昼寝すらできないのは、私だけではないと思いたい。

誰にも会わない午後に浮かぶこと

人と話すことが一切ない午後は、自分自身と向き合う時間になる。普段は目を背けていたこと、先送りにしてきた気持ちが、こういう時に浮かび上がってくるのだ。

「これでよかったのか」と問いかける声

司法書士という仕事を始めて20年近く。誇りもあるし、後悔ばかりでもない。でも、「もっと他の人生もあったのでは」と思う日もある。結婚していたら、今頃子どもと公園にでも行っていたかもしれない。そんな“ありえたかもしれない未来”に思いを馳せる午後。

司法書士になった日の自分に聞いてみたい

「今の生活、どう思う?」と、若かった自分に聞いてみたくなる。彼はきっと「ここまで頑張ったじゃないか」と言ってくれるだろう。でも、同時に「もう少し楽しめよ」とも言うだろうな、と。自分の若さに慰められるというのは、なんとも皮肉なものだ。

近所の家族連れを見てしまったときの、なんともいえない感じ

日曜の午後、買い物帰りらしき家族とすれ違うと、胸の奥がきゅっとする。別に羨ましいわけでもない。ただ、「ああ、こういう日曜もあるのか」と思うだけ。それでも、心のどこかがポッカリと空いたような感覚になる。

「独身貴族」と笑う余裕なんて、もうない

昔は「気楽でいいよね」と笑って言えた。でも、今はその言葉を自分に向けても、まるで響かない。孤独に慣れすぎて、逆に怖くなってきている。老後のことを考えるにはまだ早いかもしれないけれど、「このままでいいのか」と思う日が増えているのは確かだ。

こんな日こそ、内省するにはちょうどいい

落ち込むことばかりではない。誰とも会わない日曜の午後だからこそ、自分の足元を見直す時間にできる。うるさい誰かがいないからこそ、自分の心の声に耳を傾けられるのだ。

今の事務所の課題と、自分の甘さ

一人でやっていると、つい現状に甘んじてしまう。「どうせ自分しか見てないし」と気が緩むこともある。でも、ふとした時に、仕事の質が落ちていないか心配になる。忙しさの中で、成長を止めてしまってはいないか。自分に問い続けることは、やっぱり大事だ。

事務員に任せすぎ? いや、任せなきゃやっていけない

ありがたいことに、うちには優秀な事務員がいる。でも、「つい全部任せてしまっているかも」と思う瞬間もある。かといって、自分ひとりですべてを背負うのは無理だ。任せることと、任せきりにすることの境界線に悩むのが、個人事務所の現実だ。

これから先、どうしたいのか、どうなりたいのか

今の仕事をこのまま続けていくのか、それとも何か新しいことを始めるのか。答えは出ていない。でも、考え続けることに意味があると思う。答えがないからこそ、日曜の午後に考えてしまうのだろう。

答えは出ないけど、問い続けることに意味がある

人生は、司法書士のように一つの正解があるわけじゃない。だからこそ、迷いながらも進むしかない。日曜の午後に浮かんだ問いは、もしかしたら明日からの自分を少しだけ変えてくれるかもしれない。

共感してくれる人が、どこかにいるかもしれない

こんなことを誰かに話す機会はあまりない。でも、同じようなことを考えている司法書士や士業の人は、意外と多いんじゃないかと思っている。そう思うだけで、少し救われる。

同じように「なんだかなぁ」と思ってる司法書士さんへ

日曜の午後、ふとした瞬間に「自分って何してるんだろう」と思ったあなたへ。この文章が、少しでも「自分だけじゃない」と思えるきっかけになれば嬉しい。そんなふうに思えることが、明日を乗り切る力になると信じている。

今日もお疲れさま、あなたの苦労は誰かが見てる

目に見えない苦労を抱えて働くあなたへ。たとえ誰も褒めてくれなくても、報われた気がしなくても、その仕事は誰かの生活を支えている。私はそれを知っている。だから、今日も一人で過ごす日曜の午後に、あなたのことを思ってこの記事を書いた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。