登記簿の裏側にもう一人

登記簿の裏側にもう一人

登記簿の裏側にもう一人

朝一番の来客はいつも怪しい

八月の朝。湿気を含んだ空気の中、いつものように事務所の扉が軋む音を立てた。 革のカバンを抱えた中年の男が入ってくる。シャツは汗で濡れ、額には不自然な笑顔。 「土地の名義変更をお願いしたいんですが」と言うその声には、妙な震えがあった。

二重売買の匂いがする

彼が差し出した売買契約書には、確かに署名と実印があった。だが日付がどこか妙だった。 確認のため登記簿を閲覧すると、なんと同じ不動産がすでに別人に名義変更済み。 二重売買――聞くだけで胃が痛くなる単語が、頭をよぎった。

登記簿に映らないもう一人の名義人

その契約書の裏に、何気なく書かれた走り書きのメモ。「K.Tに要連絡」 この“K.T”という人物の存在が、今回の依頼人とは別のもう一つの顔を思わせた。 しかし登記簿にも住民票にも、K.Tなどという人物は出てこない。

売主は一人じゃなかった

過去の取引履歴を洗うと、同じ土地を売っていた人物が、別の名前を使っていたことが見えてきた。 しかもその名義は、十年前に商業登記で見かけたような記憶がある。 やれやれ、、、これはちょっとした謎解きになってきた。

サトウさんの冷たい推理

「印影が違います」 サトウさんが差し出した印鑑証明と契約書を比べれば一目瞭然。 「わざと印鑑を似せて作ったんでしょうね。登記は通らないはずです」そう言いながらも、コーヒーはくれなかった。

私はただの書類屋ではない

司法書士と言えば、ただの“手続き屋”だと思われがちだ。 だが、こういう場面で私の野球で鍛えた観察眼が活きる。 「この印鑑、元の名義人のじゃない。犯人は別にいる」――そうつぶやいていた。

昼の顔と夜の契約

依頼人を再訪したとき、彼は別の作業服姿で現れた。昼間は工務店の社長。夜は副業で土地を右から左へ。 しかもK.Tとは、彼の旧姓だった。婚姻により名前を変え、別人格として振る舞っていたのだ。 ルパン三世が変装して銀行に忍び込むように、彼も社会に紛れていた。

二重契約の証拠はどこに

机の奥から出てきた、古い契約書。その筆跡は、明らかに現在の彼と同一人物のものだった。 問題は、印影と日付。印影は僅かにズレており、日付は後から書き加えた痕跡があった。 これは立派な登記妨害の証拠だ。

登記簿が語らない真実

法務局の登記簿には、事実の断片しか載っていない。 名義は一つでも、その裏にある人間の意図や関係性までは映らない。 “裏側にもう一人”がいることを、書類だけでは誰も気づけないのだ。

サザエさんの世界じゃない

「まるでカツオが宿題を忘れて、波平に嘘ついてるみたいですね」 サトウさんが呟いた。サザエさんのように、日曜の夕方にはすべてがリセットされればいいのに。 だが現実の嘘は、誰かの生活を壊してしまう。

最後のひと押しは野球の勘

印鑑の角度、押し方、そして朱肉の濃さ。昔、バントの構えで相手投手のクセを見抜いた感覚が蘇る。 「これは同じ印鑑じゃない。誰かが複製したに違いない」 証拠を揃えて、私は決め球を投げ込んだ。

警察ではなく法務局へ

刑事事件にする前に、まずは法務局へ不正登記の申出。 本人確認情報の不備と二重売買の証拠を添えて提出する。 行政の対応は遅いが、確実に事実を回収していく。

二人目の生活は終わった

K.Tとしての生活は、訂正登記の完了とともに幕を閉じた。 彼は何も語らず、ただ印鑑だけを置いて事務所を去った。 その背中は、妙に小さく見えた。

サトウさんはコーヒーをくれなかった

「やっぱり、うちの仕事って探偵っぽいですよね」 そう言いながらも、サトウさんはコーヒーを淹れてくれる気配はなかった。 やれやれ、、、いつかは「お疲れ様」と言ってくれる日が来るんだろうか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓