奇妙な依頼の始まり
机の上に置かれた白い封筒。差出人は不明、消印もかすれて読めない。表には達筆な文字で「相続登記についてご相談」とだけ書かれていた。
封を開けると、依頼書らしき文面と、なぜか便箋に綴られた手紙が同封されていた。文章は一見、相続とは関係ない愛の告白に見える。
「なんですかこれ、ラブレターですか?」と、サトウさんが眉一つ動かさずに言った。やれやれ、、、嫌な予感しかしない。
封筒とともに届いた登記の相談
依頼書の内容自体はごく普通だった。亡くなった叔父の不動産について、相続登記をお願いしたいという話だ。
添付された戸籍謄本や住民票も揃っており、形式的には何の問題もない。ただ、ラブレターのような文章が不気味だった。
しかも、その手紙には「あなたにすべてを託します」とあり、最後にはハートマークまで描かれていた。
差出人の名前に覚えがない
手紙の末尾に署名されていた名前は「カオル」。だが、依頼人一覧の中にその名はなかった。
「恋文相続って、もしかして新ジャンルかもしれませんね」と、サトウさんが皮肉を交えてつぶやく。
だがその表情は鋭く、何かに気づいているようだった。
ラブレターの主は誰か
筆跡はやや古風で、明らかに年配の女性か、あるいはそのふりをしている誰かだと直感した。
文章からは強い情念と、どこか哀しみのような感情がにじみ出ていた。まるで手紙自体が過去を語ろうとしているようだった。
「登記の相談じゃなくて、これは告発に近いですよ」と、サトウさんがぼそりと呟いた。
筆跡と文体が語る過去
筆跡鑑定などできるわけもないが、私はかすかな既視感を覚えた。かつて見たある遺言書の筆跡と似ていたのだ。
その遺言書の件では、養子縁組を巡って泥沼の争いがあった。まさか、と思いながら古い事件のファイルを引っ張り出した。
確かに、名前は違うが、筆跡は酷似していた。
内容に込められた違和感
文面には「このままでは彼の思いが報われません」と記されていた。“彼”とは誰だ?依頼人の叔父のことか?
よく読むと、手紙は相続財産に関する具体的な内容を避け、ただ「想いを継いでほしい」と繰り返している。
まるで財産に関する話を、あえて伏せているように見えた。
相続関係説明図が語ること
戸籍からは、依頼人とされる男性が唯一の相続人のように見えた。だが、旧謄本を見ていると、妙な空白期間が存在した。
誰かが一時的に所有していたようだが、その名義が見当たらない。抹消された可能性すらある。
こうなると、単なる登記手続きでは済まない。
法定相続人にはいない人物
「このカオルって人、法定相続人じゃない。でも、関係者ではあるかも」とサトウさんが呟く。
相続関係図には載っていないが、旧名義人との関係を調べる必要がある。婚姻歴や養子縁組が鍵になるかもしれない。
私は市役所に照会をかけた。
除籍謄本に現れた影
数日後、返ってきた除籍謄本には、かつて被相続人が短期間だけ婚姻していた記録があった。相手の名は「香織」。
離婚後、戸籍から除かれていたが、記録は残っていた。そしてその香織の筆跡が、あの手紙と一致していた。
やはりあの手紙は、香織からのものだったのだ。
サトウさんの冷静な推理
「この手紙、ラブレターのふりしてますけど、遺言の代わりですね」とサトウさんが分析を語る。
遺言としての形式は満たしていないが、意思表示としては強く出ている。「私は彼の妻でした」という暗黙の主張。
彼女の存在を示す痕跡としては、十分すぎるほどだった。
「これ登記の話じゃないですね」
「この人、本当は遺産なんてどうでもよくて、自分の存在を認めさせたいだけなんじゃないですか」
サトウさんの言葉に、私は言葉を失った。手紙がラブレターである理由、それは法律じゃなく、気持ちの証明だった。
愛の痕跡が、相続の現場で交差していた。
一枚のメモの意味を読む
封筒の裏には、鉛筆で小さく書かれたメモがあった。「これで本当に最後です」とだけ。
まるで、これまで何度も訴え続けてきたように。届かぬ想いの果てに、手紙だけが残された。
「この人、多分もう……」とサトウさんが言いかけて口を閉じた。
現地調査はいつもトラブル
遺産に含まれていた土地の現地調査に向かうと、そこは草が生い茂る空き家だった。
隣人に話を聞くと、「ああ、前に女の人が何度か見に来てたわよ。毎回泣いて帰ってた」
それが香織だったのか。何も言わず、ただ見ていたその姿が思い浮かぶ。
隣人の証言と空き家の異変
「最近、誰かが入ってる形跡がありますね」とサトウさんが足元の靴跡を指す。
中に入ると、掃除されたような形跡があり、仏壇だけが異様にきれいだった。
その前に一通の便箋が置かれていた。文面は、封筒の手紙と同じ筆跡だった。
私道の名義が語る過去の事情
さらに調べると、私道の一部が香織名義のままになっていた。つまり、完全に縁を切っていたわけではなかった。
「これは意図的に残してますね」とサトウさんが言った。彼女なりのメッセージだろう。
自分の存在を、記録の中に刻みたかったのだ。
かつての恋文と今の嘘
若いころの登記簿を見ると、共有名義だった時代もあった。その後、すぐに単独名義に変更されている。
「これ、偽装離婚かもしれませんね。財産分与対策で」とサトウさん。
恋と金。この二つがいつも一緒くたになるのが相続の現場だった。
封筒に挟まれていた別の手紙
もう一通、小さなメモが便箋の裏に挟まれていた。「あなたが誰に何を渡しても構いません。ただ、彼が私を愛したという事実を消さないでください」
それは、全ての争いを超えた一行だった。
思わず私は手を止めた。胸の奥が妙に重くなる。
誰が本当の相続人か
法的には、依頼人がすべてを受け取ることになる。だが、彼の遺志は、本当にそうだったのか。
「遺産の形をしてるけど、これ、本当は気持ちの整理を誰かにしてほしかっただけなんでしょうね」と、サトウさん。
司法書士の仕事が、こんなにも切ないものだとは。
登記簿に隠された真実
最終的に、私は手続きを完了させた。登記簿に記された名義は正しい。ただ、それだけでは何も伝わらない。
私は控えの隅に、カオルという名前をそっとメモしておいた。
それが、せめてもの抵抗だった。
合筆前の名義に鍵がある
古い登記簿を見直すと、確かに一時期だけカオルの名が載っていた。それは合筆によって消されてしまっていた記録。
しかし、土地の履歴をすべて追えば、彼女の存在は確かにそこに刻まれていた。
法律では抹消されても、人の記憶までは消せない。
旧所有者の意外な関係
旧所有者の名義と、香織の旧姓が一致していた。もしかすると、さらに遡った関係があったのかもしれない。
司法書士としての職務を越えるかもしれないが、私は調査を続けた。
それが、彼女に対するせめてもの敬意だった。
司法書士としての一手
私は、登記完了通知書とともに、封筒の中の手紙をコピーして同封した。
法的には不要だが、依頼人にもその存在を知らせる必要があると判断した。
届いたとき、彼が何を思うかは、私にはわからない。
遺産分割協議の裏取り
念のため、他の相続人がいないか再確認した。だが戸籍上は間違いなく一人だった。
「彼女は自分の立場を争おうとすらしなかったんですね」とサトウさん。
ただ、心に届くことを望んだだけだった。
ラブレターを証拠にできるか
手紙を法的証拠にするのは難しい。だが、それを読む人の中に何かが残れば、それでいいのかもしれない。
証拠よりも記憶、法よりも感情。人が生きた痕跡を辿るのが、司法書士の仕事なのだと改めて思った。
やれやれ、、、またひとつ、忘れられない事件が増えた。