事務員としか話さなかった一週間

事務員としか話さなかった一週間

事務員としか話さなかった一週間が教えてくれたこと

今週一週間、事務員さん以外と口をきいていない。ふと気づいたのは木曜日の午後だった。「あれ、今週、誰ともまともに会話してないな」と。もちろん業務連絡や電話の受け答えはあった。でも、それは“会話”とは呼べないものだった。話しかけてくれるのは、うちの事務員さんだけで、それも最低限の業務報告。別に嫌われているわけじゃない。むしろ、向こうも気を遣ってくれているのはわかる。でも、この静けさの中で、自分がただの“業務処理機械”になっていくような気がして、心の奥が冷たくなった。

気づけば声を出していなかった数日

最初はなんとも思っていなかった。司法書士という仕事は、そもそも一人で黙々とこなす時間が多い。でも、それにしたって、こんなに“声を出してない”日が続いたことはなかった。夜、自宅に戻ってテレビをつけて気づく。あれ、自分の声ってこんなだったっけ?コンビニのレジで「袋いりません」と言った声がかすれていたのを思い出し、ゾッとした。

人と話すことがこんなに少ないとは

独立して10年以上。仕事の波も、人間関係の波も経験してきたつもりだったけど、“誰とも話さない”というのは想定外だった。打ち合わせや登記の相談が減った今、連絡のほとんどがメールとFAXになった。便利な時代の裏側で、声を交わすという基本がごっそり抜け落ちていた。元野球部だった頃、どんなに調子が悪くても仲間と声をかけあっていた。あの頃は、会話が生活の一部だったのに。

独り言すら減っていたという現実

以前の自分は、書類整理中に「よし、あとちょっと」とか「これは間違ってるな」なんて独り言をよく言っていた。でも、今週はその独り言さえ出なかった。静かすぎる事務所、キーボードの音だけが響く時間。無意識に、感情を出すことを控えていたのかもしれない。人に見られてないと、声って本当に出なくなるんだと知った。

電話すら鳴らない日もある

昔は鳴りやまなかった電話。クレームもあれば急ぎの依頼もあった。それが今では、午前中が終わっても一度も鳴らない日がある。電話が鳴らないことが、最初は“落ち着いてる”証拠だと思っていた。でも、最近は逆に不安になる。「何か忘れてるんじゃないか」「誰にも必要とされていないのではないか」と。

平和なのか不安なのか分からなくなる瞬間

人間関係のトラブルもなく、ミスもない。書類は順調に進む。これは理想の状態のはずなのに、どこか満たされない。刺激がなさすぎると、不安になるものだ。静かすぎる毎日は、確かに心には優しい。でも、同時に“自分の存在が社会とつながっていない”という感覚も強くしてくる。これって、精神的にはけっこう危ないラインじゃないか?

誰にも求められていない感覚との戦い

「誰も困っていない=自分の出番がない」って、考えすぎだとは思う。でも、毎日淡々と処理するだけの生活が続くと、自分がただの入力マシンになっている気がしてくる。依頼者に「先生、助かりました」と言われるだけで救われていた頃が懐かしい。今は、そう言われる機会すら減った。

唯一の会話相手は事務員さん

週明けの月曜、朝の挨拶。「おはようございます」と事務員さん。たぶん、今週いちばんの癒やしがその一言だった。彼女は悪くない。むしろ、いなかったら自分はもっと壊れていたと思う。ありがたい存在。でも、その“ありがたさ”に頼りすぎている気もする。

気を遣わせていないか気になる自分

「先生、今週ずっと静かですね」って、金曜の昼に言われた。自分でも気づかないうちに、雰囲気が暗くなっていたのだろう。彼女に心配させてしまった。何か声をかけようとしても、うまく言葉が出てこなかった。これが“話さなすぎ”の副作用かもしれない。

ありがとうと言われる側になりたいけれど

感謝されたい、頼られたいという気持ちはずっとある。でも、それを口に出すのはなんだか恥ずかしい。元野球部のプライドも邪魔をする。「言わなくても伝わってるだろう」なんて都合のいい言い訳をしながら、実は誰かの優しさを待っている自分がいる。

相談されない日々が続くと

相談がないのは平和だから?それとも、信用を失ったのか?そんな風に自分を疑ってしまう。特に若い依頼者との接点が減ったのが気になる。年齢のせいか、SNSの発信不足か。自分が“選ばれない側”になっていく感覚が少しずつ忍び寄ってくる。

役割ってなんだったっけと思うとき

司法書士って、相談されて初めて力を発揮する仕事だと思う。でも、今の自分は“待ってるだけ”になっていないか?攻めの姿勢を忘れていないか?でも、攻めるって何?SNSで発信?セミナー?名刺配り?正直、もう疲れている。でも、このまま埋もれていくのも、もっと嫌だ。

昔の自分と今の自分のギャップに凹む

20代、独立したばかりの頃。とにかくがむしゃらだった。夜中まで登記簿と格闘していた。今の自分はどうか。疲れた顔でPCを見つめるだけ。気力と情熱が、どこかでこぼれ落ちてしまったのかもしれない。

それでも一通の依頼が救ってくれた

そんな空気を破ったのが、木曜の夕方に届いた一通のメール。「急ぎで相談したい登記があります」とのこと。すぐ電話をかけると、相手の声があたたかく響いた。ああ、自分、声出たわ。電話を終えた後、ちょっと泣きそうになった。

名前を呼ばれるだけで嬉しかった

「いながき先生、大丈夫でしょうか?」という一言に、久しぶりに“誰かとつながっている”感覚を味わった。名前を呼ばれるって、思っている以上に心に響く。存在を確認されたような安心感があった。

声が震えたのは歳のせいだけじゃない

受話器を置いたあと、手が少し震えていた。緊張?いや、違う。嬉しさと、張りつめていたものが解けた感覚。声が震えたのは、たぶん歳のせいじゃない。ずっと誰かに必要とされることを待っていたんだ。

今日もまた、事務員さんと一言交わして一日が終わる

一週間が終わり、今日も「お疲れさまでした」と声をかけてくれた事務員さんに「ありがとう」と返す。それだけの一言が、今は何よりもあたたかい。たった一言だけど、それがあるから続けていけるのかもしれない。

その一言が救いになっていることもある

業務連絡でも、あいさつでも、人と人との言葉のやりとりには意味がある。誰とも話さない週を過ごしたからこそ、あらためてそれに気づけた。忙しさに流されていると忘れてしまうけど、誰かと交わすたった一言が、どれだけ自分を支えているか。

静かな日常に、そっと感謝を込めて

また来週も、きっと静かだ。でも、たとえ事務員さんとしか話さなかったとしても、その一言があるなら大丈夫。そう思えるだけで、今日の自分はちょっとだけ強くなった気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。