境界標に立つ影

境界標に立つ影

朝の電話と無愛想なサトウさん

「隣の土地の件でご相談がありまして」 朝一番、まだコーヒーの湯気も立ちのぼる中、事務所の電話が鳴った。 電話の主は、数ヶ月前に建売を購入したという若い夫婦だった。

隣地トラブルのはじまり

「家の裏に立ってるブロック塀が、うちの土地に入ってるみたいなんです」 不安そうな声が受話器越しに届く。土地の境界線――司法書士という職業柄、避けて通れない地雷だ。 僕は机の端に積まれた書類を見つめたまま、目を閉じた。

「越境かもしれませんね」と彼女は言った

「これは、、、法務局の図面とズレてますね」 サトウさんが図面を指差して言った。いつものように塩対応だが、言ってることは的確だ。 それにしても、どうしてこんなにトラブルばかり僕のところに集まってくるんだろう。

現地調査という名の遠足

午後、僕らはその夫婦の家に向かった。真夏のアスファルトが靴底からじんわり熱を伝えてくる。 僕は不慣れな日傘を差しながら、サトウさんの後ろを歩く。 彼女はさっさと歩き、僕だけがバタバタしていた。

雑草だらけの境界

敷地の裏手には、笹とツタが絡みついたブロック塀があった。 その根本には、かろうじて確認できる境界標がひとつ。だが、、、なぜか位置が微妙にずれていた。 しかも杭の周囲の土が、他と比べて不自然に柔らかい。

古びた境界標に刻まれた数字

境界標には、昭和の年号がかすかに刻まれていた。平成どころか令和に入った今となっては、かなり古い。 「これ、動かされてますね」とサトウさん。彼女の言葉に、夫婦は顔を見合わせた。 やれやれ、、、また泥沼の予感がする。

隣人の証言

隣地の所有者は、白髪の老人だった。言葉少なだが、目は鋭い。 「その杭は、昔っからそこにあった。ウチのもんだ」 頑なに主張する姿に、僕は少し嫌な予感を抱いた。

「あの土地はウチのもんだ」

「前の地主が勝手に塀を建てただけだ。何も問題ない」 そう言い張る隣人。だが、登記簿の境界と実際の杭の位置が合っていない。 そもそもこのブロック塀が誰の所有物かすら怪しい。

境界の杭が語る過去

僕はしゃがみ込み、杭の根元の土を少し掘ってみた。 驚いたことに、杭の下からは別の古い杭の痕跡が出てきた。 つまり、現在の杭は後から打たれたものだということだ。

登記簿の空白

事務所に戻って登記簿を見直してみたが、問題の一角には微妙な空白があった。 どうやら、隣地と今の建売住宅の間には、もう一つ「所有者不明」の地番が存在するらしい。 まるでミステリー漫画のような展開だ。

地番が抜け落ちた理由

その地番は、合筆処理の際に処理されず、地図からだけ消えていた。 しかし、法的にはまだ存在していた。つまり――所有者不明地。 これは一筋縄ではいかない。

古い地図の矛盾

法務局で取り寄せた昭和50年の公図には、問題の土地が「私道」扱いで描かれていた。 「誰が使ってた道かも記録されてませんね」サトウさんが呟いた。 まるで、ルパンが痕跡を一切残さず盗みに入ったみたいだ。

昔の名義人の行方

法務局の閉架書庫で、ようやく見つけた古い所有者の名前は「イケガミハルオ」。 しかし既に死亡、相続登記も未了。所有権が宙ぶらりんになっていた。 ここまで来てようやく、謎の全貌が見え始めた。

昭和の売買と平成の怠慢

調べるうちに、昭和の終わり頃に売買が行われたが、登記がされていなかったことがわかった。 買主も既に亡くなり、相続人は所在不明。 不動産というより、呪われた箱庭のようだ。

消えた所有者の謎

サトウさんが地元新聞の縮刷版で、「イケガミ」の孫が最近まで近所に住んでいたという情報を見つけた。 その人物を訪ね、ようやくブロック塀が祖父の代に建てられたことが明らかになる。 「でも、塀はずっとこっち側にあったと思うんですが、、、」孫は困惑していた。

地面の下の真実

改めて地面を掘り起こすと、なんと元の杭の位置に一致するコンクリ片が出てきた。 やはり、現在の杭は意図的に移動されていた。 これが決定的証拠となった。

埋もれた杭と掘り返された記憶

「これ、十中八九、土地を広げようとした誰かがやってますね」サトウさんの声は冷静だった。 手口があまりに雑で、逆に不気味な印象すら与える。 僕は汗をぬぐいながら、黙ってうなずいた。

誰がいつ杭を動かしたのか

結局、前の前の所有者が境界を拡張していた形跡が見つかった。 だが既に時効取得の要件も満たしておらず、裁判で争えば敗ける可能性も高い。 僕らは、その事実を淡々と報告するしかなかった。

土地家屋調査士の一言

「シンドウさん、これは典型的な“動かされた杭”ですよ」 馴染みの調査士がそう言って、測量結果を差し出してくれた。 ズレは9センチ。微妙だが、法的には十分アウトだった。

「これはわざとですよ」

「風で倒れるような方向じゃないし、施工も甘すぎる」 図面を見ながら調査士がつぶやいた。 やはり、これは計画的な犯行だったのだ。

法務局の記録が語るもの

昔の境界確認書がファイルの奥から見つかり、そこには現在とは違う杭の位置が記されていた。 決定打だった。 それが全ての謎をつなぎ合わせた。

サトウさんの鋭い推理

「登記簿、裏のページまで見ました?」 サトウさんが呟く。僕がページをめくると、裏面には未処理の地役権設定の記載があった。 それが、境界線の証拠だった。

登記簿の余白にあった鍵

登記の備考欄に、うっすらと「旧杭位置に基づく所有権確認済」と書かれていた。 おそらく消されかけていたが、印字の凹みで読み取れた。 すべてのパズルのピースが揃った。

「もう一枚、裏を見ましたか?」

彼女の言葉がなければ、気づけなかっただろう。 本当に、サトウさんには頭が上がらない。 やれやれ、、、僕はため息をついた。

シンドウの奮闘

最終報告書をまとめるのに、夜までかかった。 一つの杭、一枚の図面にこれほど時間を割くなんて、司法書士冥利に尽きるのか尽きないのか。 「報酬、もっと上げた方がいいですよ」とサトウさんが真顔で言った。

やれやれ、、、これだから土地は

登記も土地も、人の欲が絡むと複雑になる。 だからこそ面白いのかもしれない。いや、面倒くさいだけか。 やれやれ、、、僕は苦笑しながら、冷めたコーヒーを一口飲んだ。

背後から差し込む日差しの先に

事務所の窓から、夕日が差し込む。 その光は、境界標のある方向にまっすぐ伸びていた。 僕はしばらく、その光をぼんやりと眺めていた。

解決と残された影

夫婦には丁寧に説明し、必要なら調停を勧めると伝えた。 彼らは深くうなずき、僕に何度も頭を下げた。 こういう瞬間だけは、司法書士も悪くないと思える。

地主の孫が語った真実

「祖父は境界にすごくこだわってました。たぶん、間違いを正したかったんだと思います」 孫の言葉には、静かな誠意があった。 それを聞いて、僕も少し救われた気がした。

そして杭は元の場所に

数日後、土地家屋調査士によって杭は元の位置に戻された。 コンクリートでしっかりと固定され、もう動かされることはないだろう。 僕はその杭を見つめながら、そっと帽子を脱いだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓