誰にも縛られないけど 誰にも頼れない日常
地方の司法書士として一人で事務所を切り盛りしていると、何にも縛られない自由は確かにある。誰に命令されるわけでもないし、朝何時に出社しろとも言われない。けれどその代償として、何か困ったときにすぐに相談できる相手がいない孤独もつきまとう。仕事の判断はすべて自分、トラブルがあっても自分の責任。ふとした瞬間に「全部自分で決めてるけど、これで良かったのか?」と不安になることもある。でも、それが僕の選択だったと自分に言い聞かせている。
自分で決めたはずなのに 心が揺れるとき
この生き方を選んだのは他でもない自分だ。都会の事務所で雇われる道もあったけれど、地方で独立することを選んだのは「自由」が欲しかったから。でも、たとえばふと夜にコンビニに立ち寄って帰る道すがら、車の中で静かすぎる空気に押しつぶされそうになることがある。家に帰ってもテレビの音が鳴るだけ。ああ、なんでこの選択をしたんだろう、って思う夜もある。それでも、引き返せない道を選んだんだから、なんとか進むしかない。
「自由」の裏側にある「責任」という重さ
自由という言葉は、時に甘美に響く。でもその裏には、全責任を引き受けるという現実がある。登記にミスがあれば全部自分のせい。事務員の子が休めばその穴も自分で埋める。誰かに相談して責任を分担できる環境じゃないからこそ、ミスが怖い。何度も書類を確認して、それでも間違ってないか不安で眠れなくなる日もある。「自由業」と言われているけど、実際には「孤独業」に近いと思う。
ひとりで全てを背負う覚悟と不安
この仕事は、一人で回してると常に「何かあったらどうしよう」と思ってしまう。たとえば自分が熱を出したら、事務所が止まる。それが怖くて、多少体調が悪くても無理して働く。年末年始やGWも、電話が鳴らないかビクビクしてる。何かトラブルがあっても代わりはいない。そんな覚悟で始めた仕事だけど、実際にその重圧を感じると、やっぱり人って一人じゃ生きていけないんだなって実感する。
忙しさのなかで見えなくなる自分の輪郭
目の前の書類、登記の締切、電話対応に追われていると、自分が何者なのかすら分からなくなるときがある。何のためにこの仕事をしてるのか、そもそも自分は司法書士に向いてるのかすらも疑う。朝から晩まで働いて、気づけば日が暮れている。そんな日々を繰り返しているうちに、「自由」だったはずの生活が、ただのルーティンに見えてしまうときがある。
事務員さん一人でも 心配かけたくない気持ち
うちの事務所には一人だけ、事務員の女性がいる。若いけれどしっかりしていて助けられてばかりだ。とはいえ、僕の愚痴や弱音をその人にぶつけるわけにもいかない。頼れる存在がいることはありがたいけど、だからこそ無理してでも元気なふりをすることもある。自分が崩れたら事務所が回らないし、事務員さんを不安にさせたくない。誰かに頼れるようで、結局はまた自分がすべてを抱えてしまう。
繁忙期の夕暮れがやけに寂しくなる理由
3月や12月の繁忙期、書類の山に囲まれて机に向かう時間が長くなる。そのくせ夕方になると外はやけに静かで、夕焼けが妙に胸に染みる。仕事があることはありがたいけど、その分だけ誰かと過ごす時間はなくなる。世間が「年度末」「クリスマス」と浮かれる中、自分は机の前で印鑑を押してる。そんな自分が惨めに感じる瞬間もあるけど、「俺はこれでいいんだ」と言い聞かせるしかないのが現実だ。
独身司法書士というライフスタイル
結婚もしていないし、子どももいない。自由といえば聞こえはいいが、実際には「誰とも生活を共有していない」という意味でもある。土日に誰かと出かける予定もなければ、夕飯を一緒に食べる相手もいない。そんな生活が当たり前になっていて、それが楽だと感じることもあるけど、ときどき無性に寂しくなる瞬間もある。きっと、そんな自分の人生を選んだのも、どこかで「人に迷惑をかけたくない」と思っていたからだ。
恋愛に割く余裕がなかったことに気づいた日
若い頃は、それなりに恋愛もした。けれど、開業してからというもの、仕事が最優先になった。予定を合わせるのも難しくて、結局連絡が減り、自然消滅していく。そんなパターンばかりだった。あるとき、元カノに「あなたはずっと仕事が恋人みたいな人ね」と言われて、返す言葉がなかった。恋愛に使うエネルギーを仕事に全部持っていかれてた。気づいたときには、もう恋愛に戻る道が見えなくなっていた。
モテないって割り切ると少し楽になる
この歳になると、もう「モテたい」とか「結婚したい」と思うよりも、「どうやったら気楽に生きられるか」が大事になってくる。合コンや紹介の話があっても、「どうせ無理だろ」と思ってしまって乗り気になれない。モテないのは昔から分かっていたけど、今ではそれを受け入れて開き直っている。別に無理して相手を探すより、自分のペースで生活できるほうがストレスが少ない。それはそれで悪くない。
同窓会が地味に刺さる理由
地元の同窓会に行くと、みんな結婚して子どもがいて、家族の話で盛り上がっている。自分だけがぽつんと取り残されているような感覚になる。「お前もそろそろ落ち着けよ」なんて軽口を叩かれるたびに、笑顔を作りながらも内心はザワザワしている。でも、それでも参加するのは、どこかで「自分の選択は間違ってなかった」と証明したい気持ちがあるのかもしれない。そう思えるうちは、まだ自分にも希望があると思っている。
家に帰って誰もいないことに救われる夜もある
誰かと暮らすことの温かさに憧れる一方で、家に帰って誰にも気を遣わず、好きな時間に風呂に入って、静かに本を読める時間が、実は自分にとって大切だったりする。独身であることは確かに寂しいけれど、そのぶんだけ自由だ。仕事で疲れ果てた日、誰にも会わずに眠れるという安心感もある。そうやって、自由と寂しさの間で、僕は毎日なんとかバランスを取って生きている。
一人の時間が好きだと言い聞かせる日常
「一人が好きなんだ」と言い聞かせるのは、ある意味で防衛本能かもしれない。人に期待して傷つくより、一人でいればいい。そう思えば心は少し楽になる。けれど、誰かとラーメンを食べた後に「美味しかったな」と言い合えない瞬間、ちょっとだけ虚しくなる。誰にも縛られない自由の中で、寂しさをどう処理するか。それが独身司法書士としての課題なのかもしれない。
テレビから流れる笑い声がしみる夜
夜、なんとなくつけたバラエティ番組から聞こえる笑い声。それを聞いていると、楽しそうな人たちの輪の中に自分がいないような感覚になる。テレビの中の話と現実は違うけど、どこか自分だけが取り残されている気がしてくる。そんなときは、リモコンを無言で握りしめ、音量を少し下げる。そして、またひとりの時間に戻る。それが、僕の日常だ。
それでも辞めなかったのはなぜか
いろいろ思うところはあるし、正直しんどい日も多い。でも、それでもこの仕事を辞めなかった理由は確かにある。誰にも褒められなくても、誰かの役に立っているという実感が、何よりの支えになっている。そしてもうひとつは、「続けることでしか見えない景色がある」と信じているから。元野球部の根性論かもしれないけど、それでも僕は、今日もまた書類に向き合っている。
誰かの役に立ってるという手応えが心を支える
不動産登記が無事に終わって「ありがとうございます」と言ってもらえたとき、「やっててよかった」と思える。たった一言でも、その言葉があるだけで一週間分の疲れが吹き飛ぶ気がする。派手じゃないけど、確かに人の人生の節目に関わっている。その小さな手応えが、僕の背中を支えてくれているのだと思う。
「ありがとう」が心に刺さったあの瞬間
以前、高齢のご夫婦の相続登記をお手伝いしたとき、手続きが終わって深々と頭を下げてくれた。「先生に頼んで本当によかった」と言われたあの一言は、今でも鮮明に覚えている。涙ぐんでいたその姿を見て、心の中で「この仕事を続けてよかった」と思えた。そんな瞬間がある限り、たとえ孤独でも、まだやっていけると思える。
登記完了の報告メールに込めた自分の小さな誇り
登記が完了して依頼者に送るメール。その一通に、どれだけの書類のやりとりや確認作業があったかは、誰も知らない。でも僕はそのメールを送るとき、小さな達成感と誇りを持っている。目立たなくても、人知れず地道にやってきた仕事が、こうして誰かの暮らしに繋がっていく。それが、僕の選んだ司法書士という生き方だ。
元野球部の根性論がまだ生きてる
学生時代、野球部だった。泥だらけになりながら、声を枯らして練習してた。あのとき培った根性が、今でも僕を支えている気がする。逃げたいとき、諦めたくなったとき、「あと1日だけ頑張ろう」と思えるのは、あの時代があったからかもしれない。司法書士の仕事も、毎日が積み重ね。ヒット一本打つために、何十回もバットを振る感覚に似ている。
諦めるのは簡単だけど それじゃ終われない
辞めたいと思うことは何度もあった。特に報酬が安くてトラブルの多い案件に振り回されたとき、「なんで俺だけこんな目に」と思ったこともある。でも、諦めたらそこで終わり。クライアントのためにも、自分自身のためにも、そう簡単に逃げるわけにはいかない。どんなにしんどくても、自分が選んだ道だからこそ、最後までやり切りたい。それが、僕なりのプライドだ。
「続ける」ことでしか得られない景色
仕事を長く続けていると、若い頃には見えなかったものが見えてくる。信頼、信用、そして人とのつながり。それは一朝一夕では築けない。だからこそ、今この瞬間も、僕は目の前の仕事に向き合い続けている。寂しいけど自由、それが僕の選択。そしてその選択が、きっといつか、誰かの役に立つと信じている。