登記相談の朝に違和感
朝9時ちょうど、まだコーヒーの温度が心地よいタイミングで、事務所の扉が静かに開いた。入ってきたのは、やや緊張した面持ちの中年男性。手に一枚の書類を握りしめている。
「登記の相談をしたいんですが……」と遠慮がちに差し出されたその書類を見て、私はすぐに違和感を覚えた。形式は正しい。必要項目もすべて埋まっている。だが、なぜか胸の奥にざらついた感覚が残った。
「ふーん、仮登記の抹消ね……」と口に出してみたものの、その書面には何かが隠れているような気がしてならなかった。
依頼人が持ち込んだ一枚の申請書
書面に記された地番、当事者の氏名、そして添付書類の数。どれも完璧に見えた。ただ、どうにも見覚えのある字だった。特に申請人の署名欄。
こういうとき、昔の記憶というのは妙に鋭い。どこかでこの署名を見たことがある気がするが、それがどこだったかは思い出せない。まるで深夜に観たサザエさんの再放送のように、懐かしいがどの回か思い出せない。
私は一応、コピーを取らせてもらい、サトウさんに目を通すように頼んだ。
なぜか既視感のある署名欄
「これ、見たことありますよね」と私が言う前に、サトウさんは小さくため息をついた。「先月の抹消案件と同じ筆跡です。あと印鑑も」
彼女の目は鋭い。私は急いでファイルを開き、該当案件を探す。確かに、そこにはほぼ同一の署名が残っていた。しかも、まったく別の依頼人だったはずだ。
「これは……単なる偶然なのか?」と呟く私に、サトウさんは「偶然を装うのが一番手口としては古典的です」と冷たく言った。
サトウさんの即断と無言の指摘
「この依頼人、どこかで裏の仕事してる人かもしれませんね」サトウさんは、私の代わりにそう決めつけた。彼女の口調に不安はない。まるで答えをすでに知っているかのようだった。
「やれやれ、、、」私はため息をついた。予定では今日は午前中で仕事を終わらせ、録画しておいた再放送の名探偵コ○ンでも観ながら昼寝するつもりだったのだ。
だが、司法書士という職業は、いつもそう簡単に終わらせてくれない。
押された印影が示す不穏な兆し
印鑑証明書を見比べると、明らかに本物と印影が微妙にズレている。精度は高いが、完全な偽物。しかもその印影、過去に別件で使われたことがあるのだ。
「それ、旧姓のときの印鑑ですよ」とサトウさんが言った。つまり、今回の依頼人は、他人の旧姓の情報を使って登記申請を偽造しようとしている。
そこには、明らかに何らかの意図があった。単なる手続きミスではない。
過去の事件との一致点
ファイルをひっくり返し、数年前の登記記録を見ていると、まったく同じような事件があったことを思い出した。怪しい登記が立て続けに三件。
そしてそのすべてに関わっていたのが、今回の依頼人と同じ住所を持つ人物。名義は違っていても、共通する点が多すぎた。
それはまるで、何度も変装を繰り返す怪盗キッ○のように、巧妙かつ狡猾だった。
登記済証が語る二つの真実
依頼人が持参した登記済証を見て、私はあることに気づいた。用紙の発行元が違うのだ。一枚は確かに法務局のものだが、もう一枚はフォントも紙質も微妙に異なっていた。
「これ、コピーして偽造してますね」サトウさんがポツリと呟いた。まるで昼休みに弁当の中身を指摘するかのような自然さだった。
「つまり、この申請は……」私は言葉を濁したが、彼女はうなずいて答えた。「不正申請です」
日付のズレと記録の不整合
証明書類と日付が噛み合っていない。印鑑証明書の有効期限が切れているにも関わらず、申請日が未来になっていた。
「未来日付で申請してるって、堂々としてますね」とサトウさんが呆れたように笑う。私は苦笑するしかなかった。
「やれやれ、、、もう少しマシな嘘をついてほしいもんだな」
誰が本当に書類を作ったのか
依頼人の表情に、後ろめたさが浮かび始めていた。追い込まれているのが分かる。だが、書類の細部を詰めていたのは、どうやら本人ではない。
裏で誰かが指示をしていた。それは間違いない。プロの手口が滲み出ていた。
「下請けの不動産屋か、もしくは……」私は声を潜めた。「ブローカーだな」
司法書士会の先輩からの助言
私はかつての先輩司法書士に電話をした。彼は静かに、しかし確実な口調で言った。「ああ、その手口、もう3回は聞いたよ。同じ地域でな」
すでに司法書士会でも注意喚起されていた案件だった。私は額に汗を浮かべながら、その情報の一つひとつをメモした。
このままでは、また被害者が出るかもしれない。それだけは防がなければならなかった。
同様の手口が過去にもあった
先輩の話を聞いて、私はようやく点と点がつながった。犯人は同一人物だ。偽名を使い、過去にも登記を悪用していた。
そして今回、再び司法書士の目をかいくぐろうとしていたのだ。だが、それが我々の事務所だったのが運の尽きだった。
「シンドウ先生、たまには仕事してる風に見えますね」とサトウさんが皮肉を言った。
不動産ブローカーの影
調査の末、特定されたのは地元でも評判の悪いブローカーだった。過去に行政処分も受けていたが、名前を変えて活動を続けていた。
今回の依頼人は、そのブローカーに報酬をちらつかされて書類を持ってきただけのようだった。ある意味、被害者でもある。
「でもやっちゃったことはやっちゃったことですからね」とサトウさんはきっぱり言った。
ついに依頼人が語った本音
「すみませんでした、本当は分かってました……でも、金が必要で……」
依頼人の目に、ようやく後悔が浮かんだ。人はいつだって、間違える。だが、その後どうするかが問われるのだ。
私は静かにうなずき、然るべき処理を淡々と進めた。
偽造か誤記かそれとも脅迫か
ブローカーはすでに警察にマークされていた。今回の証拠が揃えば、いよいよ本格的な動きになるだろう。
依頼人は偽造書類を提出した罪で指導処分を受ける見込みだが、情状酌量の余地もある。
「本当の犯人は、書類の外にいるんですね」と私が言うと、サトウさんは小さくうなずいた。
サザエさん的な勘違いと真犯人
なお、調査の最中に私が別件の書類と間違えて処理を進め、サトウさんにこっぴどく叱られたのはここだけの話だ。
「それ、別の案件のです。ちゃんと確認してください」と冷たく言われたときは、床が割れて落ちたい気分だった。
やれやれ、、、名探偵のつもりが、ただの勘違い中年じゃないか。
真相は意外な場所にあった
最終的に事件を解決に導いたのは、地元の古びたファックスの送信履歴だった。そこに、ブローカーの名が残っていた。
アナログな証拠が、デジタルを欺く。皮肉な話だが、司法書士の世界ではよくあることだ。
こうして私はまた一つ、地味だが確かな一件を解決したのだった。