登記簿に浮かぶ疑惑
八月の朝は、妙に静かだった。事務所のエアコンがいつもより頑張って唸っていたのに、それすら気にならないほどぼんやりしていた。 そんな時に鳴った電話は、僕の一日をかき乱すには十分な一本だった。 「父の遺産について相談したいんです。遺言書はないのですが、どうもおかしいんです」――女の声だった。
朝の静寂と一本の電話
電話の主は、父親を亡くしたばかりの娘さんだった。相続人は姉と自分の二人だけだと言う。 登記簿にはその父親名義の土地があり、家も建っていた。しかし、不動産の登記簿を確認してみると、そこには見慣れぬ第三者の名前が。 「え? これは……売買ですか? 贈与……いや、委任?」と、思わず独り言が漏れた。
登記申請に潜む違和感
登記の変更が行われたのは、父親が亡くなる直前の日付だった。しかも、その申請人が父本人になっていた。 「これは、、、死亡日と登記日がかぶってる?」と眉をひそめる僕の横で、サトウさんが端末を操作していた。 「この申請、法務局の記録上は正当な委任に見えますが、添付書類が……雑ですね」 ――鋭い指摘に、僕の眠気は一気に吹き飛んだ。
依頼人の隠された事情
依頼人は言葉少なだったが、話を進めるうちに、ある真実が浮かび上がってきた。 父は亡くなる数週間前から寝たきりだったという。署名どころか、ペンを握ることすら難しかったはずだ。 「つまり、登記の申請は誰か別の人間が勝手に進めた可能性がある」と僕は口に出した。
遺産分割協議書の落とし穴
提出された協議書には、父の署名が記されていた。しかし、その筆跡は過去のものと明らかに違っていた。 「あの人、字は綺麗だったんです。これ、絶対に父のじゃない」と、依頼人は涙ながらに言った。 事務所に戻り、サトウさんが過去の登記記録と照合して、あるパターンに気づく。
争族の火種はどこに
どうやら、依頼人の姉が提出した協議書にこそ、争いの火種があったようだ。 相続する不動産をすべて自分名義にする内容となっていた。それを父が承認したかのように装っている。 だが、それを裏付ける資料の信ぴょう性は、薄かった。
サトウさんの冷静な観察
サトウさんは相変わらず無表情でパチパチとキーボードを叩いていた。 「この登記、添付書類のうち委任状だけPDFなんですよね。これ、スキャンした原本の画質が粗すぎて……」 画面に映し出された委任状の印影は、どこか既視感があった。
不自然な印影と日付のズレ
印影は、以前別の登記申請に使われたものとまったく同じだった。つまり、流用されていたのだ。 「これは、コラかも」と言った僕に、サトウさんは「今さら気づいたんですか」と冷たく返した。 やれやれ、、、またしても出遅れた感がある。
過去の登記簿から見えたもの
過去の登記を遡ると、同じ司法書士名義で不自然な申請が三件見つかった。しかもすべて、相続をきっかけに名義が動いていた。 「怪しいですね……この司法書士、かなり悪質です」とサトウさんが呟く。 正直、同業者の不正を見るのは辛い。しかし、それでも真実は明らかにしなければならない。
僕が野球部だったころの勘
僕が高校球児だった頃、盗塁を見抜くのが得意だった。相手の視線の揺らぎやタイミング、そういうものに敏感だったのだ。 今回も、ある一点の「ズレ」が気になっていた。それは委任状の記載日と登記申請日とのズレ。 「一日、ずれてるんだよな……なぜだ?」それが逆に、偽造を裏付ける大きな証拠になると気づいた。
書類のフォーメーションは崩れている
提出された申請書類の順番も、通常とは異なっていた。 本来は添付書類が一体になっているべきなのに、順番がバラバラだったのだ。 それを見た瞬間、僕の中で何かがカチリとハマった。「これは第三者が雑に作った証拠だ」
登記簿の中の死角
登記簿は正直だ。だが、見る人が見なければ、その正直さすら闇に隠れる。 不自然な所有権移転、繰り返される委任状。しかも毎回、本人が確認できない状況での申請。 「これは……完全にクロですね」僕は確信を持って言った。
古い建物と遺された鍵
現地調査に赴くと、すでに誰かがその家に住んでいた形跡があった。 しかし、表札は旧姓のまま。ポストには姉の名前の郵便物。隣人に話を聞くと、姉は父の死後すぐに越してきたという。 「まるで、サザエさんの引っ越し先に磯野家がそのまま居座ってるみたいだな」と、つい口に出た。
固定資産税通知に隠された真実
市役所に問い合わせた固定資産税の通知書には、まだ父の名前が記載されていた。 つまり、姉は登記を変えたにも関わらず、税金の手続きだけは手を抜いていたというわけだ。 これもまた、不正の証拠となる。
近隣住民の証言と矛盾
隣の住人は「お父さんが亡くなる前には見かけなかった人が、急に家に住み始めた」と証言した。 さらに、医療関係者の証言では、父は筆記どころか意思疎通も困難だったという。 これで、登記が本人の意思によるものでなかったことは明白となった。
犯人は司法書士を狙っていた
調べを進めると、その登記申請を代理した司法書士が、過去にも複数の懲戒処分を受けていた人物だと判明した。 「最初からこの登記を通して、遺産を姉に集中させるつもりだったんでしょうね」と、サトウさん。 確かに、相続手続きに疎い依頼者なら、完全に騙されてもおかしくない。
罠だった委任状
最終的に、偽造が明らかになった委任状は、筆跡鑑定と医師の診断書によって無効とされた。 姉と司法書士は警察に呼ばれ、事件は刑事告発に発展。依頼人は、ようやく父の遺志を継げることとなった。 僕はといえば、またしても後味の悪さを感じていた。
最後に活きるサトウさんの一言
「しかし、あのPDFの画質でよくここまで掘り下げましたね」と僕が言うと、 サトウさんはそっけなく「司法書士が見落としたら、意味ないですから」と言い放った。 やれやれ、、、これはもう、サトウ探偵事務所に改名すべきかもしれない。
やれやれの結末と反省会
帰り道、コンビニでビールを一本買った。珍しくサトウさんも缶コーヒーを手に取った。 「今日はお疲れ様でした」と言ってくれるでもなく、黙って窓の外を見ている。 やれやれ、、、僕の出番はいつも最後だ。
解決したのに肩は重い
真実を突き止めても、誰かが傷つく。それがこの仕事の辛いところだ。 依頼人は涙を流して感謝してくれたが、心に残るのは父親の名を勝手に使われた悲しみだろう。 そう思いながら、僕はそっと缶を空にした。
僕は今日もただの司法書士だった
事件を解決したのは僕かもしれない。でも、動いていたのはサトウさんの目と指だ。 やれやれ、、、明日もまた、机の前でコーヒーをこぼす気がする。 それでも、司法書士ってやつは――やめられない仕事だ。