夢に出てきた同僚の言葉が忘れられない夜
夢の中に現れた懐かしい顔
久しぶりにぐっすり眠れた夜、目覚めた瞬間に胸の奥が少しザワついていた。夢の中に、昔一緒に働いていた同僚が出てきたのだ。もう何年も会っていないその人と、まるで昨日のようなテンポで、自然に会話をしていた。夢の中の彼は、あの頃と同じ雰囲気で笑っていて、それがなんだか妙にリアルだった。起きてしばらくは、その夢の内容ばかりを反芻してしまい、仕事の段取りも頭に入ってこなかった。
職場を離れたあの同僚の笑顔
その同僚とは、もう連絡も取っていない。私が事務所を独立して開業する前、司法書士法人に勤めていた頃の話だ。歳は私よりも3つ下だったが、仕事の進め方も人付き合いも器用で、上司からも信頼されていた。私とは真逆の性格だったが、なんだかんだ言い合いながらも、妙に気が合っていたのかもしれない。彼の笑顔が夢に出てきた時、当時よく「また愚痴かよ」と笑われたことを思い出した。
もう話すこともないと思っていたのに
退職してから、なんとなく気まずくなってしまった。特別な喧嘩をしたわけでもないが、お互い立場が変わってしまったことで距離ができた。夢の中で「元気にしてる?」と何気なく言われただけなのに、その一言がやけに響いた。現実の私は、愚痴ばかりこぼしながら、ひとり事務所でパソコンと向き合う日々だ。誰かに「元気か?」と聞かれるだけで、こんなにも胸がざわつくとは思わなかった。
夢の中で交わした言葉が心に刺さる
夢の中では、私が「最近しんどくてさ」と言うと、彼が「そういう顔してると思った」と笑っていた。なんてことないやり取りなのに、涙が出そうだった。夢の中で涙ぐんで、目が覚めた後もしばらく呆然としていた。あれは夢の中の彼じゃなくて、自分自身の心の声だったのかもしれない。誰かに「頑張ってるな」と言ってほしかったのかもしれない。
起きたあとに残る妙な余韻
起きてすぐ、スマホの画面を眺めながら、数分間ぼーっとしていた。あまり夢を見るタイプではないし、ましてや昔の知り合いが出てくることなんてほとんどない。それなのに、その朝は妙に感情が動いていた。日々の忙しさの中で蓋をしていたものが、夢という形で顔を出してきたような気がした。
夢か現実か曖昧な境界線
司法書士という仕事は、現実の処理ばかりだ。書類、手続き、期限、法令。すべてが白黒はっきりしている。しかし、その朝は珍しく、夢と現実の境界が曖昧で、どこかファジーな感覚が残っていた。「あれ、あいつ本当に来てたんじゃないか」とさえ思うほどリアルだった。普段感情を押し殺している分、夢でバランスを取っているのかもしれない。
忘れていた感情がこみ上げてくる
夢の中の出来事を思い返しているうちに、自分が「寂しい」と感じていることに気づいた。それは決して誰かに会いたいとか恋人がほしいとか、そんなシンプルなものじゃない。ただ、誰かと他愛のない会話を交わすこと、くだらないことで笑える時間。それが、自分にとってはすごく貴重なものだったのだと、ようやく気づかされた。
たった数分の夢が一日を支配する
その日は何をしても集中できず、仕事中にも何度もその夢を思い出した。依頼者と話していても、事務員が書類を持ってきても、ふとした瞬間に彼の顔がよぎる。たった数分の夢なのに、一日中心を奪われてしまった。こんなことなら、一言でもいいからあのとき感謝を伝えておけばよかった。後悔というより、懐かしさと優しさが入り混じった、変な感情だった。
あの時言えなかったひと言
夢の中で「ありがとう」と言った記憶はない。現実でもたぶん、言えてなかったと思う。「お前がいたから乗り越えられたよ」なんて言葉は、どうしても恥ずかしくて飲み込んでしまっていた。男同士って、どうしてこんなにも不器用なんだろう。
気まずいまま終わった関係
最後に会ったのは、私が辞める前の送別会だった。彼は少し寂しそうな顔をしていたが、それ以上の言葉は交わさなかった。あの時、ちゃんと「ありがとう」と言っていたら、何かが違っていたかもしれない。でもそれも、今となっては夢の中でしかやり直せない。
仕事に追われて放置したままの感情
独立してからは、毎日が戦いだった。顧客対応、書類の山、役所への提出、裁判所からの電話。感情を処理する暇なんてなかった。だけど、心のどこかに「ちゃんと話したかったな」という想いだけは、ずっと残っていた。それが夢という形でようやく出てきたのかもしれない。
今さらながら謝りたい気持ち
夢から覚めて一番に思ったのは「ごめんな」だった。気まずいまま、勝手に距離を置いた自分を謝りたかった。でも、今さら連絡を取るのも気恥ずかしくて、結局また何もせずに今日も仕事をしている。けれど、あの夢のおかげで少しだけ、自分の中の何かが和らいだ気がしている。
司法書士としての孤独と対話の欠如
事務員がひとりいるとはいえ、基本的に私は孤独だ。相談を受けても、解決しても、誰かと感情を共有することはない。淡々と処理し、次に進む。そんな日々が続く中で、対話の重みが恋しくなる瞬間がある。
毎日人と接しているのに会話がない
皮肉なことに、司法書士という仕事は人と接するのに、深い会話が少ない。依頼人とは業務の話ばかり、同業者とも打算的な情報交換。そこには「今日さ、ちょっと泣きたくなったんだよね」なんていう会話は存在しない。夢の中の同僚との会話のほうが、よっぽど心に寄り添ってくれていた。
職場の沈黙が余計に夢を濃くする
静まり返った事務所で、パソコンのキーボード音だけが響いている。誰にも愚痴をこぼせず、ため息だけが増えていく。そうやって言葉を飲み込んでいると、夢がその分を代弁してくれるのかもしれない。心が勝手にバランスを取ろうとしているようだ。
話し相手が夢にしか現れない現実
日常の中で本音を語れる相手がいないと、人は夢にすがるのかもしれない。夢の中なら、気まずさも照れも乗り越えて会話ができるから。けれど、それはやっぱり虚しい。現実でちゃんと向き合えるような関係を、少しずつでも築いていかなければ、心が置いてけぼりになってしまう。
なぜこの夢を見たのかを考える
ただの偶然かもしれない。けれど、今の自分が少し疲れていて、誰かと話したいと思っていたのは確かだ。夢は、それを自分に気づかせるサインだったのかもしれない。
脳が心のバランスを取ろうとしているのか
感情の処理を後回しにしすぎると、脳が夢という形で処理を始める。とくにストレスや孤独が続くと、脳は過去の安心感やつながりを引っ張り出してきて、自分を守ろうとする。だからあの夢は、単なる回想ではなく、自分を保つための大切な作用だったのかもしれない。
未処理の感情が夢に現れるという説
心理学の本で読んだことがある。処理できなかった感情は、夢に溜まるのだと。ならば、あの夢は「お前、ちゃんと気持ちに向き合えよ」という心の叫びだったのだろう。普段は笑ってやり過ごすようなことも、本当はひとつずつ大切にしたほうがいいのかもしれない。
心の声に耳を傾けるタイミングかもしれない
この夢を見たのは偶然じゃない気がしている。孤独や疲労が重なっていた今だからこそ、自分の心が「誰かに話を聞いてほしい」と訴えてきたのだろう。それに少しでも応えられるように、無理せず、愚痴もこぼしながら、やっていこうと思う。