遺言書に書かれた住所の謎
古びた公正証書と見知らぬ町名
遺言書の表紙には、しっかりとした筆致で「公正証書遺言」と記されていた。だが、その内容に目を通した私は眉をひそめた。被相続人が指定した不動産の住所が、私の記憶にも、サトウさんの調査にも引っかからない地名だったのだ。
被相続人はなぜ隠された地を選んだのか
その地名は、市内の区画整理で既に消えていたものだった。だが登記上は現存しており、なぜか数年前に登記が移転されている。被相続人がそこに何を残したかったのか、そして誰に知られたくなかったのか——その意図を探る必要があった。
法務局で見つけた空白の履歴
登記簿の変遷に現れた不自然な移転
法務局の端末で閲覧した登記簿には、平成初期に一度抹消された後、なぜか令和に入って再度復活した記録が残っていた。土地の所有者は一貫して「藤崎」とあったが、その後見役だった司法書士の名前が、あまりに見覚えのあるものだった。
名義変更の背後にいた謎の司法書士
それは、10年前に廃業したと噂される司法書士、赤座だった。彼の名が再び現れたことに、サトウさんが小さく舌打ちしたのを私は聞き逃さなかった。「廃業届、出てなかったんですね。こういうの、アリなんですか?」と。私はため息をついた。
サトウさんの鋭い一言
「ここ、登記が生きてるの変じゃないですか」
古い土地のはずなのに、なぜか登記簿には定期的な住所変更の記録があった。それも、どれも「関係者非公開」で処理されている。そんな中、サトウさんが不意に呟いた。「これ、たぶん誰かがわざと動かしてますよ。相続税、逃れるために」
休眠不動産の動きに潜むもの
私は椅子から立ち上がりながら頭をかいた。やれやれ、、、こういう仕事は専門外なんだがな。けれども、この不自然な動きには明確な意図がある。しかも、それが「相続放棄」を偽っていたなら、話は一気にややこしくなる。
シンドウの現地調査は泥だらけ
倒壊寸前の平屋と隣人の証言
現地に向かった私は、軒が崩れかけた平屋の前で長靴を泥にはめたまま立ち尽くしていた。隣の家の老婆が顔を出し、「あの家? 十年以上誰も住んでないよ」と言った。それなのに、固定資産税はずっと誰かが納めているのだという。
かつての住人の影と消えた台帳
市役所の台帳も破棄され、現存しているのは古い手書きの住宅地図だけだった。だがその地図にだけ、ある名前が小さく残っていた。旧姓「藤崎澄子」——被相続人と同姓だが、住所を照らし合わせても一致しない。何かが隠されている。
一枚の住宅地図が語る真相
町内会名簿に残された旧姓の持ち主
近くの公民館に保管されていた古い町内会名簿をめくっていたサトウさんが、ふと指を止めた。「ありました。ここに藤崎澄子って書いてあります。……あ、でもこれ、亡くなったはずの年の翌年にも書かれてる」私は思わず身を乗り出した。
土地に刻まれた過去と再会の約束
どうやら被相続人は「亡くなったふり」をして、土地を誰かに託していたらしい。その「誰か」は登記簿に表れていないが、郵送物と町内会の集金から、近隣に住む別人になりすまして管理していたと見られる。誰かを守るための偽装だったのだ。
やれやれ司法書士の出番だな
故意に消された共有名義の仕掛け
ここにきて初めて気づいた。登記簿の所有者欄には、あるはずの共有者名が抹消されていた。しかも「本人確認書類の不備」という理由で。それは、かの赤座が仕組んだ細工だった。これ、まるで探偵漫画でよくある「名前の消去トリック」だ。
サザエさん的どたばた調停劇
調停の場では、「ワカメ」と名乗るような口うるさい親族たちが入れ代わり立ち代わり主張を始めた。私はまるで波平になった気分だった。「話を聞きなさい!」と怒鳴りたくなるが、代わりにサトウさんが「登記ってそういうものです」と一刀両断した。
あらわになる相続放棄の嘘
過去の登記ミスが生んだ人間模様
最終的に明らかになったのは、相続放棄とされていた人物が、実は生存しており、定期的に不動産を管理していたという事実だった。それを知っていながら、親族たちは見て見ぬふりをしていた。登記簿は、嘘をつかない。
真相に辿り着いた瞬間の静寂
私は静かに調停書類をまとめ、そっと目を閉じた。サトウさんが何も言わずにカップのコーヒーを置いた。事件は解決した。いや、事件というより、人の業が一つ整理された、というほうが近いかもしれない。
サトウさんの塩対応が冴え渡る
「そんなの最初から気づいてましたけど」
事務所に戻って報告書を書いていると、サトウさんがぼそり。「最初の住所見た時点でおかしいと思いましたけどね。まぁ、口には出しませんけど」……この人は本当にこわい。私は黙ってキーボードを打ち続けた。
ご褒美のコーヒーはコンビニの安いやつ
その日の帰り、私は自販機の前で思わず立ち止まった。「よし、今日は奮発してカフェラテだ」と財布を開いたが、500円玉しかなかった。やれやれ、、、釣り銭切れとは、今日一日を象徴するような結末だった。
登記簿が照らす新たな一歩
依頼人に返された真実の地図
後日、依頼人にすべてを報告すると、彼は黙って涙を流した。「これでやっと姉に顔向けできます」とだけ言った。登記簿に刻まれたその一筆が、彼の人生の重石を外したのだろう。司法書士として、少しだけ役に立てた気がした。
失われた居場所を取り戻す時
失われた住所、消された名前、偽りの相続。それらすべてがつながり、ようやく一つの居場所が取り戻された。書類ではなく、心の奥にある「帰る場所」が。私はそっとファイルを閉じた。
そして誰も損をしなかった
司法書士の仕事は今日も地味で静かだ
この事件には、逮捕者もいなければ、明確な犯罪もない。ただ、不器用な家族の、静かな和解があっただけだった。そんな地味な終わり方こそ、司法書士の物語にふさわしいのかもしれない。
次の依頼はまた月曜にやってくる
事務所の電話が鳴る音がした。見ると月曜日の朝。サトウさんが無言で電話を取る。新たな依頼の始まりだ。私はコーヒー片手に思った。「やれやれ、、、また一週間、泥臭く生きるか」