いつも机の上がごちゃごちゃしている理由
司法書士という仕事をしていると、どうしても紙の資料やファイル、印鑑にUSBメモリと、あれこれ机の上に積み重なっていく。気がついたら、コーヒーを置くスペースすら確保できなくなっている。片付けようという気はあるのだが、毎日新しい依頼が入ってきて、処理に追われる中で、机の上の片付けなんて「あとまわし」になってしまうのが現実だ。
気づけば紙の山、でも捨てられない
古い依頼書、コピー済みの書類、メモ書き。どれも「もしかしたらまた使うかも」という思いがあって、捨てられない。実際、半年以上前の紙切れが突然役に立つこともあるから厄介だ。気づけば紙の山ができて、その山の下に埋もれた重要書類を探すのに一苦労。まるでタイムカプセルを掘り出しているような気分になる。
「あとでやろう」が生む書類の地層
「あとで確認しよう」「あとで整理しよう」と思って、ひとまず積んでおく。この“あとで”が何重にも重なっていくと、机の上には自然と“地層”ができる。上にあるものほど最近の案件、下に埋もれているものほど昔の案件。けれど、その地層を崩すと何か大事なものが崩壊しそうで、触れるのが怖くなる。
何が大事か見失う日々
資料が多すぎて、結局「本当に大事なもの」がどこにあるのかわからなくなる。事務員さんに「例の書類ってどこですか?」と聞かれて、自分の机の下に潜り込むこともしばしば。整理整頓ができないことで、時間も信用も少しずつ削れていく。わかってはいるのに、目の前の業務に追われて、また“片付け”が後回しになる。
片付けられないのは性格か?それとも環境か?
片付けができないのは、自分の性格のせいだろうか。あるいは、職業柄の特殊な事情が関係しているのか。そんなことを考えているうちに、また机の上に新たな書類が積まれていく。結局どちらの理由でも、現状は変わらない。
性格のせいにすれば少し楽になるけど
「自分はそもそも整理が苦手なんだ」と開き直ると、少しは気が楽になる。だけどそれは問題を放置しているだけ。お客様の前で「机がぐちゃぐちゃな司法書士」として印象づけられてしまうこともある。自分のだらしなさが、そのまま仕事の評価に繋がるのがこの仕事のつらいところだ。
業務過多がすべてを飲み込む現実
毎日10件以上の問い合わせがあり、1件1件に対応していくだけで1日が終わる。新しい依頼、急ぎの書類、法務局への対応。気がつけば1日が終わっていて、「今日は片付けよう」と思っていた自分はどこかへ消えている。時間の余白がないからこそ、片付けという行為が“贅沢”に感じてしまう。
事務所の風景は、そのまま頭の中を映す
机の上がぐちゃぐちゃなときは、だいたい自分の頭の中もぐちゃぐちゃだ。やることが散らばって、何から手をつけていいかわからない。そんな自分を映しているのが、まさに目の前の風景だ。
混乱した机の上=混乱した心
整理された机を見ると、それだけで仕事ができる人に見える。不思議なもので、外見が内面を表すことはある。自分の机を見て、「この状態じゃミスもするよな」と納得する瞬間もある。頭の中の整理ができないままに業務を詰め込んでいるからこそ、物理的な混乱がそのまま表れてしまうのだ。
頭の中に「整理の余白」がないということ
自分にとって片付けとは、物理的な行動だけでなく、精神的な“整頓”でもある。でも、その余白がない。毎日新しい予定、新しい判断、対応を求められる中で、立ち止まって整理するという行為に時間を割けない。だからこそ、ぐちゃぐちゃな状態が続く。
片付けようとしても、時間が奪われる
よし、今日は机を片付けよう。そう思って始業前に意気込んでも、9時になるとすぐに電話が鳴り、急ぎの依頼が飛び込んでくる。結果、書類を片付けるどころか、さらに積み上がっていく。なんとも空しい。
毎日ギリギリの綱渡り
スケジュールは常にギリギリ。どの案件も「できるだけ早く」と言われ、ついその場の優先順位で動いてしまう。すると、「片付け」の優先順位は常に最下位。気持ちとしてはやりたいのに、やる時間が確保できない。そんな自分にまた落ち込む。
急ぎの依頼がやってくるたび、机の片付けは後回し
たとえば、午前中に予定していた案件の準備をしていたら、突然「至急、今日中に登記が必要」という連絡が入る。それに対応していたら、当初の予定はズレにズレる。すると、終わった書類も戻せないまま、次の作業に突入。結果、机の上には“未処理”と“処理済み”が混在した状態に。
事務員さんも気を遣って触れない
「先生、机……片付けますか?」と事務員さんに言われることがある。でも彼女も、こちらの仕事の流れを把握しているからこそ、下手に触れない。いろんな案件が混ざってる状態では、触れられると逆に困る。だから、自分で何とかしないといけないんだけど……ね。
司法書士という仕事の特性と散らかり
この仕事はとにかく“紙”が多い。そして“原本”が大事。だから、簡単に処分できないし、保管しておかないといけない。結果、どんどんモノが増える。
紙文化から逃れられない宿命
電子化が進んでいるとはいえ、司法書士の現場はまだまだ紙が主流。登記の添付書類は原本提出が必要だったり、本人確認資料のコピーも綴じておく必要があったり。クラウドに放り込めるものならどれほど楽か……と思いつつ、紙の山と格闘している。
一件終わるまでファイルをしまえない現実
登記は、一件完了してから初めて「片付け」に着手できる。でもその一件も、途中で補正が入ったり、書類の追加があったりして、結局すぐに棚に戻すわけにもいかない。だからこそ、終わるまでは常に机の上で“待機”している書類がどっさりと残るのだ。
同業者の机はどうなんだろう
他の司法書士はどうしているのだろう。意外と綺麗にしている人も多いが、その裏で努力しているのだろうか。それとも、自分だけが要領悪いのか。
意外ときれいな人も多い、けど
勉強会などで他の事務所に行く機会があると、意外にも机が整っている人がいる。「よくこの量で業務まわしてるな」と感心するけれど、自分が真似できるかと言われると難しい。環境も、業務量も違うし、何より性格が違う。
「整理整頓も仕事のうち」とは言われるが
確かにその通り。でも、そう言ってくる人に限って、片付けの時間を“業務時間外”にやっている気がしてならない。仕事が終わったあと、残って整理する気力がどこにあるのか、自分には謎だ。
片付かないことの小さな罪悪感
散らかった机を見るたび、自分のだらしなさを突きつけられる。けれど、そこまで深刻に思ってはいけないと、どこかで思いたい自分もいる。
「ちゃんとしてない自分」を突きつけられる
依頼者が来所するとき、机の上を慌てて片付ける瞬間がある。自分の仕事のスタイルを見せるべきか、見せるべきではないのか。判断に迷うが、結局「こんな机で申し訳ないです」と一言添えてしまう。それが自分にとっての精一杯の防衛線だ。
でも、完璧を目指すと壊れる
きれいな机、整った資料、それが理想。でも、完璧を求めすぎると、今度は仕事が回らなくなる。人間、どこかでバランスを取らないといけない。だから今の自分の机も、“働く中年司法書士のリアル”だと割り切ることにしている。
それでも何とか回っている日々
完璧ではないけれど、仕事は進んでいる。散らかった机の中にも、ちゃんと“秩序”はあるのだと自分に言い聞かせている。
散らかった机の中にも秩序がある(気がする)
山の上から3番目に置いた紙に、あの相続登記のメモがあるはず。そんな自分なりの位置関係が、意外と役立っていたりする。混沌の中に、独自のロジックがあるのだ。
事務員さんの視線が痛いときもあるけれど
時々、事務員さんの冷たい視線を感じる。「また散らかってますね」と無言で訴えてくる。でも、そんな中でも支えてくれていることに感謝している。机は散らかっていても、人間関係はなるべく丁寧に保ちたい。
少しずつでも整理する工夫
完全に片付けるのは無理でも、少しずつでも整えようと試みている。そうやって、自分なりに改善していくしかない。
「ここだけは片付ける」スペースを決めた
すべてを片付けるのは無理でも、「電話機の周りだけ」「印鑑だけは引き出しに戻す」など、部分的にルールを決めるようにした。小さな整理でも、気分はかなり違う。
チェックリストで“積み残し”を可視化
Excelで簡単なチェックリストを作って、どの案件がどこまで進んでいるかを“見える化”するようにした。それだけでも、頭の中が少し整理されるし、机の上の“放置書類”が減っていった。
片付かない人へ伝えたいこと
最後に、同じように机の上が散らかっていて悩んでいる方へ。無理に完璧を目指さなくても、ちゃんと仕事はできる。自分に合ったペースで、少しずつ片付けていこう。
無理に整えようとしなくていい
毎日忙しい中、無理に机の上をピカピカに保とうとするのは、逆にストレスになる。自分の仕事スタイルを受け入れて、必要な部分だけ整えるという発想でもいいと思う。
大事なのは、見失わないこと
どんなに散らかっていても、大事な案件を忘れず、しっかり処理していれば、それが一番。形より中身。そう信じて、今日もカオスな机と付き合っていく。