登記簿が隠した家族の境界

登記簿が隠した家族の境界

はじまりの静寂

土曜日の午後。普段なら人の出入りも少ない事務所に、ひときわ地味な通知音が鳴った。Gmailの着信だ。差出人は「ミヤケナオト」とある。件名は「土地に関するご相談」だった。

一読して、俺は椅子にもたれた。内容はこうだ。「実家の土地について登記が不明瞭です。お力を貸してください」。よくある相続絡みかと思ったが、違和感を覚えた。

妙に書き方が丁寧すぎる。そして、誰かに怯えているような口調。嫌な予感がした。

一通の相談メール

メールには添付ファイルがあり、登記簿の写しと古びた測量図が含まれていた。所在地は隣町、ウチから車で40分の農村部。表面上は何の変哲もない農地のように見えた。

しかし、固定資産税の納税義務者が10年前に亡くなっている人物になっていた。それが何を意味するか。少なくとも、今その土地を使っている人物とは別の誰かが、所有者として扱われているということだ。

これはひと仕事になりそうだった。

忘れ去られた農家の土地

「農地ですよね」とサトウさんが確認する。俺はうなずきながら、「でも宅地になってるかもしれないな。ほら、ここ」と指をさした。

図面上の一角、明らかに建物の輪郭がある。最近になって建ったものだろうが、登記の変更がなされていない。「てことは、未登記家屋か、、、」と俺がつぶやくと、サトウさんはため息をついた。

「未登記ならともかく、使ってるのが誰かって話ですよ。見に行きますか?」

訪れた町の違和感

小雨が降る中、例の土地へ向かった。車を降りた瞬間、なんとも言えない重苦しい空気があった。田舎特有の閉塞感、というやつだ。

道沿いの家には、どれも表札が掲げられていたが、問題の土地にある家だけが無表札だった。新築というより、古家をリフォームしたような中途半端な外観だ。

「ここに誰が住んでるか、聞いてみますか」と言いかけた俺を遮るように、サトウさんがメモを取っていた。

表札のない家

訪問しても誰も出てこない。チャイムは反応がないが、カーテンの隙間からはわずかに光が漏れている。生活感はある。つまり「いる」のだ。

「不在っていうより、出てこないって感じですね」とサトウさんが言った。俺もそう思った。人を避けている。やましいことがある証拠だ。

まるでサザエさん一家が引っ越してきたら、波平がすぐに町内会の役員にされてしまいそうな、そんな閉鎖的な地域だ。

隣人たちの視線

近くで農作業をしていた老夫婦に声をかけてみた。話は曖昧だった。「あそこはねぇ、、、あんまり関わらん方がいいよ」。どうやら土地にまつわる何かがあるらしい。

「前に住んでたミヤケさんは亡くなったでしょう?」と俺が言うと、老夫婦は口ごもった。「うん、まあ、、、そういうことになってるね」と。

なるほど、話が見えてきた。どうやらこれは相続と隠された所有関係が絡むややこしい話だ。

古い登記の記録

事務所に戻り、登記簿を精査した。所有者は確かにミヤケナオトの父であるカズオのままだ。死亡は十数年前。その後、相続登記はされていない。

「まぁ、よくある放置系だな」と俺が言うと、サトウさんが机を叩いた。「いえ、これ、たぶん意図的にやってます」。

俺は目を見開いた。そうか、相続登記しないことで、権利関係をごまかしてる可能性がある。

昭和の境界線争い

さらに調べると、昭和40年代に一度、境界線を巡る訴訟が起きていた記録が出てきた。敗訴したのはミヤケ家ではないが、それ以降登記がピタリと止まっていた。

相手方は土地を売り、その後持ち主は転々としていたようだ。だが、どうやら現地に住んでいたのは、ミヤケ家の親類にあたる別家だった。

つまり、「名義と実体がズレている」という状況だった。

もう一つの名義人

登記簿には一つだけ妙な記載があった。数年前に提出された地役権の設定登記だ。権利者が現地の家に住んでいる男と一致する。

彼の名義で登記されているのはおかしい。どうしても疑惑が深まる。つまり、勝手に印鑑証明を使って登記をした可能性がある。

「やれやれ、、、またそういう案件か」と、俺は天井を見上げた。

不審な固定資産税通知

ミヤケナオト氏に届いていた固定資産税の通知は、実際には誰か別の人物が支払っていた。自治体に問い合わせたところ、支払い者の名前は伏せられた。

だが、役場の担当者がぽろっと漏らした。「ええ、あの方ですね、、、」という言葉に、決定的なヒントがあった。

支払い者はあの家に住んでいた男だった。つまり、所有者を偽っていた。

亡くなったはずの所有者

一番驚いたのは、戸籍をたどった時だ。なんと、名義人の父・カズオの死亡届が提出されていなかったのだ。

つまり、法的にはまだ「生存」している扱いで、その間、息子は何もせずに土地を利用していたわけだ。

これは悪質だった。

サトウさんの鋭い指摘

「司法書士でもない限り、このカラクリには気づきませんよ」とサトウさんが言った。まったくその通りだ。表面上は何も問題がないように見える。

だが、登記と税のデータと現地調査を突き合わせたことで、初めて浮かび上がった事実だった。

「これ、刑事にもなり得ますね」と彼女が呟いた。

遺産と地目の謎

問題の土地は、数年前に農地から宅地に変更されていた。しかし、これは正式な農地転用許可を経たものではなかった。

つまり、違法な転用だ。だが、それを見逃していた農業委員会にも責任がある。

この構造、まるで怪盗キッドの変装のように、外見は完全でも中身は嘘だった。

畑に現れた住宅用地

Googleマップの過去画像を遡ると、確かに以前は畑だった。しかし数年前から徐々に小屋が建ち、やがて立派な家に変わっていた。

これは計画的な不正建築。市役所に通報すれば、少なくとも行政指導は免れないだろう。

あとは、どうやって表沙汰にするか、だけだった。

記録にない売買契約

調査を続けると、ある私文書が出てきた。手書きの売買契約書。だが、登記はされていない。つまり、この契約は「隠された」ものだった。

買ったフリをして住み続けた人物が、登記と税と役所の隙間をうまくすり抜けていた。

これは法的な問題というより、倫理の問題でもあった。

解決とその後

ミヤケナオト氏の協力で、相続登記と同時に地目変更申請、そして未登記家屋の登記申請を行った。地元役所も不手際を認め、特例的に受理される運びとなった。

結果として、真っ当な形で土地は整理された。あの男は姿を消し、誰も居なくなった家は空き家となった。

「すっきりしましたね」とサトウさんが言った。「でも、また次が来ますよ。司法書士ってそういうもんでしょう?」

家族が選んだ新たな境界線

数週間後、正式に登記簿が更新された。境界線も再測量され、明確になった。

そこには、かつて争い合った家族が選んだ「距離」がそのまま線として刻まれていた。物理的な線と、心の線。

俺は登記完了報告書を閉じながら、つぶやいた。「やれやれ、、、また一件落着か」

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓