司法書士のしごと、現場のリアル

司法書士のしごと、現場のリアル

朝イチからトラブル、今日も始まった司法書士の一日

朝9時。デスクについた瞬間に電話が鳴る。内容は「昨日話した登記の件、やっぱり今日中にお願いできませんか?」。もう慣れっこだが、毎回心の中で「無理だよ」と呟いている。司法書士の仕事は予定通りに進まない。ちょっとした相談が2時間コースになることもザラだ。事務所は静かだが、内心は常にバタバタしている。世間が思っている以上にこの仕事、体力も気力も必要だ。

依頼人からの「ちょっとだけ」が重すぎる

「ちょっとだけ確認してほしいんですが…」という言葉が、実は一番厄介だ。軽く見えて、内容は複雑で、結局30分以上話し込まれることもある。しかも、終わったあとに「じゃあ、これもお願いしていいですか?」と第二波がくる。悪気はないのはわかってる。だけど、積み重なると「気軽に話しかけられる=暇そうに見える」と思われてるのではと不安になる。こちらも人間、時間には限りがあるのに。

電話1本が予定を全部崩す

予定を立てて動いていても、一本の電話でそれが全部崩れる。たとえば、午前中に登記書類を3件仕上げようとしていたところに、相続で揉めている家族から「至急面談したい」と連絡がくる。そうなると、他の予定は後回し。昼食も食べ損ねて、気づけば夕方。司法書士の業務は、段取りより「今困っている人」が優先される。予定を立てるのがバカらしくなる日もある。

「すぐやってくれると思ってました」の破壊力

「あれ?もう終わってないんですか?」という一言に、どれだけ精神を削られてきたか。簡単に思える書類の裏には、膨大な確認作業とリスク管理がある。特に不動産登記や相続関係は、ミスが許されない。そのくせ、「司法書士さんならすぐできるでしょ?」と軽く言われることも多い。技術職に対するリスペクトが薄いのか、ただ単に知られていないのか。どちらにしても、モヤモヤは残る。

書類の山に埋もれて溜息が出る

日々届く郵便物、FAX、メール。紙とデータの狭間で、目が回るような忙しさだ。しかも、法務局提出用、顧客控え、自分の保存分と、同じ内容の書類が三重にも四重にもコピーされる。どれが最新か混乱することもしばしば。ひと息つきたいが、気づけばもう夕方。いつも書類とにらめっこしてる気がして、夢にまで登記簿が出てきた夜もあった。

どうしてこんなにハンコ文化が強いのか

今どき電子署名だ、オンライン申請だと騒がれてるが、現場は未だに「実印」と「印鑑証明書」が当たり前。しかも「どの印鑑で押したか覚えてない」とか、「夫に印鑑を隠された」なんてトラブルも珍しくない。紙の書類にこだわるのは、信用問題と法律上の要請だというのはわかっている。でも、もう少しスマートにならないものかと思う。毎回、ハンコが合わなくてやり直しになると、ぐったりする。

電子化って、どこの国の話なんですかね?

法務局のオンライン申請システム、確かに便利な面もあるが、結局「原本確認のため郵送してください」と言われる。結局、紙に頼ってるじゃないか。顧客に「オンラインでサクッとできますよ」と言いながら、裏では紙と格闘している自分がいる。デジタル化の波は確かにきているはずなのに、現場は置き去り。誰がための効率化なのか、考え込む日もある。

相続登記の現場は、人間ドラマの連続です

「相続」と聞くと、多くの人はお金の話だと思うかもしれない。でも、司法書士として関わると、それはむしろ家族の感情のぶつかり合いの場だと気づかされる。兄弟姉妹、親族同士の確執、過去のわだかまり。登記はその出口に過ぎず、こちらはその火消し役を担うことになる。書類一枚で片付く話ではないことが多すぎる。

兄弟ゲンカに巻き込まれる日々

「兄とは口もききたくないんです」という相続人が来たと思えば、「でも手続きは進めたい」と言う。間に立つのは司法書士。ときには怒鳴り声の電話、LINEのコピーを延々と読まされる。こちらにできるのは、中立な立場で淡々と進めることだけ。でも、正直言えば心が疲れる。感情に巻き込まれないようにするのが、一番難しい。

「うちの家族は揉めないと思ってました」は信用ならない

どの家庭でも、最初は「うちは大丈夫」と言う。でも、通帳の残高を知った瞬間に雰囲気が変わる。笑顔で話していた兄妹が、1週間後には完全に連絡を絶っているなんてこともあった。相続は感情の蓋を開けるきっかけになる。こちらは冷静に進めたいのに、目の前の現実はドラマのようにこじれていく。だから、常に構えてしまうのだ。

それでも続けている理由を、少しだけ話します

正直、やめようと思った日は何度もある。でも、そのたびに思い出すのは、ある依頼者の涙と「本当に助かりました」という言葉だ。感謝されることがすべてではないけれど、あの一言が今の自分を支えているのかもしれない。孤独で報われない日も多いが、それでも、誰かの人生の節目に関われることは、誇るべき仕事だと思いたい。

感謝の言葉に救われる瞬間がある

ある日、相続手続きを終えたご高齢の女性が、帰り際に小さなお菓子を手渡してくれた。「息子たちが口もきいてくれなくて…でもあなたがいて助かりました」そう言って深々と頭を下げられた瞬間、涙が出そうになった。事務的な手続きの裏側にあるのは、誰かの人生の痛みや、思い出。その重さに応える覚悟が、自分を司法書士として支えている。

この仕事じゃないと見えない景色もある

不動産登記、相続、遺言、会社設立――どれも書類上の手続きに見えるかもしれない。でも、そこには人の歴史が詰まっている。小さな町の司法書士事務所から見えるのは、大都市の華やかさではなく、地道で人間くさい営みばかり。でも、そこにこそ自分の役割があると信じている。今日もひとり、誰かの背中をそっと支える仕事をしている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。