女性と話すときに異常に緊張してしまう自分
「なんでそんなに緊張してるの?」と笑われたことがある。たしかに、初対面の女性と話す場面になると、手に汗がにじむ。声が上ずる。普段の業務では依頼者の前でも冷静に対応できるのに、なぜプライベートではこんなにも不器用なのか。思い返せば、自分は長年、司法書士という“緊張”を糧にする仕事に没頭してきた。もしかしたら、これも職業病なのだろうかと最近は思い始めている。
雑談ができない——これはもう「業務モード」が抜けないから?
職場では一言一句に慎重になる。登記の説明、相続の確認、間違えられない言葉選び。そんな環境で数十年を過ごしていると、自然と「砕けた会話」ができなくなってくる。仕事では丁寧な応対が求められるし、それが信頼にもつながる。しかし、その“丁寧さ”が私生活にまで染み出してしまっている気がする。たとえば食事の場でも、つい「差し支えなければ」なんて言ってしまう。
無意識に敬語と硬さが出てしまう
本当に困るのは、カフェで隣に座った女性と世間話になったときなど。気づけば敬語ばかり使っていて、「司法書士の先生っぽいですね」と言われてしまう。それって褒め言葉じゃなくて、壁があるってことだよなと落ち込む。恋愛って、もう少し肩の力を抜いたところで芽生えるものだと思うのに、自分は常に肩が凝っているような感覚が抜けない。
「登記申請」と「世間話」は別次元の言語
登記申請書を書くときの文章と、日常会話の言葉はまるで別物だ。それなのに、私の口から出てくる言葉は、どこかで“承認された正確さ”を求める癖がある。たとえば「好きな食べ物は何ですか?」と聞かれても、「個人的な嗜好で申し上げますと…」などと、無意識に丁寧に答えてしまう。もう、これは笑えないレベルだと自覚している。
書類や数字は得意でも、視線を合わせるのは苦手
業務で使うPC画面や登記簿と向き合う時間が長いせいか、人の目を見て話すのがどうにも苦手だ。特に、意識してしまう女性となると、ますます視線が定まらなくなる。これは決して相手を軽視しているわけじゃなく、逆に真面目すぎてしまう自分の性格の表れなんだと思う。とにかく、仕事のように“正解”のある会話ばかりに慣れすぎてしまっている。
職場に女性が少ないから慣れない
私の事務所は事務員が一人、あとは基本的に一人きりで回している。相談に来る依頼者の多くも年配の男性か、家族連れの女性。恋愛対象となるような年代の女性と接する機会は、ほぼゼロに等しい。そうなると、たまに市役所や金融機関で若い女性職員に対応してもらっただけで、内心ドギマギしてしまう。「挙動不審な人」になっていないかと、不安になるくらい。
人と向き合うより紙と向き合ってきた
正直なところ、私は人よりも紙と向き合ってきた人生だと思う。誰かと感情をぶつけ合うよりも、書類を黙々と処理している方がずっと楽だった。でも、それを続けてきた結果、会話の“筋肉”が衰えていることに気づく。恋愛はスポーツと同じで、やはりある程度の経験や慣れがないと成り立たないものだと、痛感する日々である。
職業病か性格か、境目がもうわからない
気づけば、恋愛の悩みすら「業務分析」している自分がいる。緊張するのは性格なのか、それとも仕事のせいか? どこで線引きすればいいのかわからなくなってくる。仕事に打ち込むのは誇りでもあるけれど、その代償として“普通の感情表現”を置いてきてしまった気がして、時々、なんとも言えない寂しさを感じる。
司法書士としての丁寧さが仇になる瞬間
たとえば、LINEでのやりとり。業務連絡のような文面になってしまって、「堅すぎて怖い」と言われたことがある。こちらは気を遣っているつもりでも、相手からすれば“壁”に見えてしまうらしい。自分では自然体のつもりでも、相手からすれば堅物すぎる。そのギャップが恋愛のチャンスをことごとく潰しているのかもしれない。
優しさと緊張は紙一重の防衛本能
私は傷つくのが怖いのかもしれない。相手に対して変に緊張するのも、優しさの裏返しというか、自分なりに相手を大切に扱おうとするからこそ。だけど、それが結果的に壁になってしまう。そんな矛盾を抱えている自分がもどかしい。恋愛では、うまくいかないときほど「もっと雑に向き合えばよかったのか」と考えてしまう。
相手に嫌われたくない、という過剰な慎重さ
結局のところ、「嫌われたくない」という思いが強すぎるのかもしれない。業務ではミスを恐れて細心の注意を払う。それと同じように、人間関係でも失敗を恐れすぎて、何も始まらないまま終わってしまう。恋愛においては、多少の失敗や恥をかいてもいいのに、それができない。だから、ずっと“無風地帯”にいるような気分なのだ。
緊張の裏にある「自信のなさ」と「孤独感」
「女性の前で緊張しすぎる」と言えば、笑い話に聞こえるかもしれない。でも私にとっては、長年の蓄積された自信のなさや、根深い孤独感の表れでもある。仕事では一定の評価を得ていても、人としての自信とは別物だ。恋愛の場では、自分が“未経験者”であることを隠すのに必死になって、ますます自然体を失ってしまう。
忙しさにかまけて恋愛を避けてきた
「今は忙しいから」「落ち着いたら考えよう」と、いつも自分に言い聞かせてきた。でもそれは、ただ逃げていただけかもしれない。本当は、誰かに寄り添いたかった。誰かに「今日もお疲れさま」と言われたかった。ただ、それを望むには、自分の心の扉を少し開ける必要がある。でも、その勇気がなかなか出せなかった。
仕事が言い訳だったかもしれない
「仕事が忙しい」は万能な言い訳だった。恋愛もうまくいかない、人間関係も苦手——そんな自分を守るための盾。それを振りかざして、誰にも近づかせなかった。だけど、その盾を手放したとき、自分には何が残るのだろう。そう思うと、ちょっと怖くなる。
誰かと向き合う勇気より、書類を仕上げる安心
人と向き合うよりも、書類を丁寧に仕上げる方が安心する。だって、書類は文句を言わないし、ミスを訂正すれば済む。でも、人間関係はそうはいかない。正解のない感情のやり取りが怖い。でも、だからこそ、今の自分には人との関係が必要なのだと思う。
それでも、少しだけ変わりたいと思った
最近、「このままでいいのか?」と自問する時間が増えた。女性と自然に話せるようになりたいし、誰かと一緒に笑える時間も持ちたい。司法書士という職業の自分も大事だけど、それだけじゃなくて、“人として”の部分をもう一度育て直してみたい。そんな気持ちが、心のどこかで芽生えてきた。
誰かに話を聞いてほしいと思う夜
夜、事務所で一人残って書類を整理していると、ふと「誰かに話を聞いてほしいな」と思うことがある。仕事じゃない話を、意味のない雑談を、誰かと交わせたら。それだけで、少しは生きやすくなる気がする。そんな夜があるから、まだ希望はある。
完璧でなくても、少しずつ人間らしく
もう完璧を目指すのはやめようと思っている。丁寧すぎる言葉も、気を遣いすぎる態度も、自分らしさを奪ってしまっていたかもしれない。少し不器用でも、自分の言葉で、自分のペースで、誰かと向き合いたい。そんなふうに思えるようになってきた。
「モテる」より「自然体」でいられる関係がほしい
若いころは“モテたい”と思っていた。でも今は違う。ただ、自分を偽らずにいられる相手がいればそれでいい。笑われても、緊張しても、それでも一緒にいられる関係。それを築くためには、まずは自分から心をほどいていかなきゃいけないのかもしれない。