気づけば机の上が紙だらけになる日常
朝、パソコンの前に座ろうとすると、まず机の上の紙の束をよける作業から始まる。昨日確認しきれなかった書類、役所からの返信、依頼者からの郵便物、補正通知……そのどれもが「後で整理しよう」と思って積んだ結果だ。気がつけば、机の半分以上が紙で覆われている。しかもそれが毎日のように続くと、「片付けること」自体が億劫になり、悪循環に陥っていく。紙に埋もれながら、ふと「こんな状態で、よく仕事してるよな」と我に返る瞬間がある。
片付ける暇もないまま積み重なる現実
一日の仕事が始まると、ひとつの案件に集中している暇もなく、次々に電話や来客が押し寄せてくる。そのたびに、新しい紙が生まれ、また積み上がる。手元の書類に目を通す前に、新しいものが上に乗ってくるから、もはや優先順位もへったくれもない。最初のうちは付箋を貼ったりクリアファイルに分けたりしていたが、それすら追いつかず、気がつけば「この書類、なんのやつだっけ?」と記憶をたどる日々。
午前中だけで机の半分が埋まる
朝イチで「今日は書類整理から始めよう」と思っても、10時を過ぎる頃には、役所や金融機関からFAXや郵送が届き始め、電話で確認した内容をメモし、依頼者の資料を印刷し……とやっているうちに、机のスペースはまた狭くなっている。午前中だけで、机の半分がすでに紙で埋まり、そのうえにランチの弁当を置こうものなら、もはやバランスゲーム。紙の上で弁当を食べるなんて、本当に情けない。
「あとでやろう」の積み重ねが山を作る
結局、「あとでやろう」が一番の敵だ。午前のうちに確認しきれなかった書類は、夕方に回され、夕方になっても処理できなかった書類は、翌日に積み残される。それが一日、二日と続くと、小さな山だったものが、崩れそうな丘になり、ついには「崖」になる。崩れる前に何とかしなければと思いながら、今日も「まず急ぎの案件から…」と、目の前の火を消すことに集中してしまう。
案件と案件の間に隙間なし
本来なら、1件1件の書類をクリアにしてから次へ進みたい。でも実際は、次の案件が重なるように差し込まれ、頭の中も机の上も混線状態。1つの案件を進めるのに、3種類の書類を並べて確認していたら、いつの間にか他の案件の資料がその上に乗っていて、どれがどれか分からなくなる。事務員にも「この書類、何のですかね?」と聞かれる始末。いや、自分がわかってないんだよ……。
事務所というより倉庫のような空気
紙のにおい、インクのにおい、封筒の山。これが司法書士事務所のリアルな風景。書類に囲まれて座っていると、まるで倉庫にいるような気分になる。たまに訪れる依頼者が「お忙しそうですね」と言ってくれるけど、それは「散らかってますね」の遠回しな表現なんじゃないかと疑ってしまう。自分でさえ息が詰まるんだから、他人はなおさらだろう。だけど、この紙の山が、生活の糧でもあるのがまた皮肉だ。
紙の山に埋もれる不安と疲労感
書類の山を見るたびに、漠然とした不安が押し寄せる。「この中に大事な書類、埋もれてないか?」「返送期限過ぎてる書類、混ざってないか?」そんな疑念を抱きながらも、時間が足りなくて手が回らない。精神的にもかなりの圧迫感で、仕事が終わるころにはぐったり。自分のミスじゃないかと夜に何度も確認してしまう。日常が「確認地獄」になっている。
整理の優先順位がいつも後回し
整理しよう、整頓しよう、そう思い続けて早数年。いつも「今日はここまで終わらせたら整理に取りかかろう」と考えるけれど、その「ここまで」が永遠に終わらない。つまり、整理整頓は常に後回しになる。目の前の急ぎ対応が終わったら、次の電話が鳴って、来客が来て、もう夕方。気づけば今日も紙の山に「ごめん、また明日ね」と言って帰る自分がいる。
「効率化」って何?と思いながら働いている
IT化とかペーパーレス化とか、聞こえはいいけど、実際にやろうとするとハードルが高い。システム導入に費用はかかるし、そもそも使いこなす自信もない。結局、紙でやった方が「早い気がする」からそのまま続けてしまう。でも実際は、探し物に時間を使い、書類を何度も出し入れして、非効率極まりない。「効率化」って言葉が、遠い国の言葉に思えてくる。
どうしてこうなった?業務のクセと構造
この状況、別に突然起こったわけじゃない。気がつけば、自然とこうなっていた。そう、業務の進め方に問題があるのかもしれないし、自分のクセにも原因があるのかもしれない。「とりあえず手元に置いておこう」という考えが、少しずつ積もって、今の状況を生んだのだと思う。
「とりあえず印刷」が染みついている
メールでも確認できるのに、つい「印刷しておこう」と思ってしまう。なぜなら、紙で見ると安心するから。スマホやPCの画面だと流し読みになってしまうし、印刷して赤ペンで書き込むことで「仕事した気」になる。でもその印刷が、どんどん溜まっていく。確認したら捨てればいいのに、それがなかなかできないのも、またクセのひとつ。
捨てる判断すら後回しになる現実
「一応取っておくか」「万が一必要になったら困るし」そうやって、捨てる決断ができずに、全ての書類が残っていく。気がつけば、机の上どころか、棚や引き出しまであふれている。まるで判断力が奪われたかのように、「保留」の山ができていく。事務員にも「これ、捨てていいですか?」と聞かれても「うーん、まだ取っとこうか」と言ってしまう始末。
案件が重なると即対応モードに
ひとつひとつ丁寧に進めたいのに、現実はそうもいかない。1つの案件に集中していたら、すぐに次の案件の電話が入ってきて、全てが中途半端になる。「これやってたけど、何がどこまで進んでたんだっけ?」と毎回思い出すところから始まる。その間にも新しい紙はどんどん届く。紙と戦いながら、自分の記憶とも戦うという、脳みそフル回転状態。
「どれが今日やるやつだっけ?」から始まる毎朝
朝イチ、机の上を見渡しても、すぐに「今日やるべき書類」がどれか判別できない。とりあえず上にある紙をめくってみるが、それは明日の予定の案件だったり、先週の確認待ちだったりする。毎朝の最初の10分が、いわば「今日の仕事探し」に費やされている。これは、本当に効率が悪い。
書類の山を前にふと立ち止まる
この状況、さすがにまずいよな……と我に返る瞬間がある。書類に埋もれながら、ふと「このままでいいのか?」と。すぐに変えることは難しいけれど、せめて少しずつでも整えたい。そんな気持ちになるのは、忙しさがピークを越えた深夜だったり、休日出勤のときだったりする。
本当にこれは必要な紙なのか
書類の中には、すでにデータ化されているものもある。でも「念のために」と印刷した紙が、机の隅に居座っている。冷静に考えれば、PDFで十分なのに、なぜか紙を持っていると安心する。その心理が、この紙の山を作り上げてしまったんだと気づく。紙って便利だけど、執着すると重荷にもなる。
スキャンすればいいけど時間がない
ペーパーレス化の第一歩として、スキャンして保存すればいい。頭では分かってる。でもその「スキャンする時間」がない。目の前の業務に追われて、スキャナーの前に立つことすらできない。そうして、また今日も紙を重ねていく。やらなきゃいけないことが増えていく一方で、整える時間はどんどん削られていく。
紙に埋もれながら「デジタル化」とつぶやく
紙の山に囲まれて仕事をしているとき、ふと「デジタル化……ねぇ……」とつぶやいてしまう。できたら楽になるのは分かってる。でもそれを実行する余裕がない。だから、今日も紙に囲まれて、ペンを持ち、スタンプを押して、封筒を折っている。そんな自分がちょっとだけ情けない。
整頓された机にあこがれるだけの自分
ネットで「士業のデスク周り」みたいな写真を見ると、信じられないほど整理整頓されている机が出てくる。書類はすべてファイリングされ、デスクは清潔で、空間に余白がある。「同じ仕事してる人間とは思えない」と思いながらも、どこかで自分もそんな環境にあこがれている。できるなら、一度でいいから「きれいな机」で一日仕事をしてみたい。
片付けられる人ってどうやって生きてるの?
本気で思うのは、「あの人たちはどうやって片付けてるんだ?」という疑問。同じように忙しいはずなのに、なぜ彼らの机はきれいなのか。日々の習慣?マメさ?性格?それとも才能?とにかく、自分にはない要素でできているような気がして、自分の不器用さに落ち込む。でも、諦めたくない。ちょっとずつでも、自分なりのやり方を見つけたい。
「机がきれいですね」なんて言われてみたい
たまに依頼者が事務所に来ると、すかさず机の上の紙を左から右に寄せたり、書類の束を下にしまったりする。でも結局バレてる。目が泳いでるし、明らかに散らかってる。それでも、「机、きれいですね」って言われたら、どんなに嬉しいだろう。そんな日がいつか来るように、今日も少しだけ、紙の山を整理しようと思う。