スーツを着るだけで壁ができる不思議
毎日きっちりとアイロンをかけたスーツに袖を通して仕事場に向かう。きちんとした服装をしていれば、誠実さが伝わる。そう思ってきたし、実際にその通りだとも思う。でもある日、依頼者に言われた。「スーツ姿が堅すぎて話しかけにくかった」と。笑顔を意識していたはずが、それすらも壁になっていたらしい。自分では人当たりのいいつもりでも、見た目で判断されるのがこの仕事の現実かもしれない。
「話しかけづらいですね」と言われた瞬間の虚しさ
先日、登記の相談に来られたご年配の方に「もっと怖い人かと思ってました」と言われた。笑顔で接したつもりだったが、内心では軽くショックを受けた。こちらとしては親しみやすい雰囲気を出しているつもりでも、相手に伝わっていない。そのギャップに疲れてしまうこともある。あれこれ工夫しているのに「話しかけづらい」と言われると、じゃあどうすればいいんだと考え込んでしまう。
こっちは気さくなつもりなのに
事務所では事務員さんとも冗談を言い合うし、必要以上に堅苦しくしないよう気をつけている。でも、初対面の人には「真面目すぎて近寄りづらい」と思われがちだ。やわらかい口調を心がけても、結局スーツ姿の印象が先に立ってしまう。気さくでありたいのに、その前に“司法書士”という肩書きが大きく立ちはだかっている。
「先生」と呼ばれる距離感のしんどさ
「先生」と呼ばれるたびに、なんとも言えない違和感を覚える。確かに立場上そう呼ばれることが多いが、個人的には気軽に名前で呼んでくれた方がうれしい。かしこまった呼び方をされると、無意識に自分も距離を取ってしまう。お互いに壁を作ってしまっている気がして、なんとも居心地が悪いのだ。
スーツが放つ“仕事人”オーラが仇になる
スーツ姿でいると「頼れる人」には見えるらしい。だが同時に「気軽には相談できなさそう」という印象も与えてしまう。堅実さが売りの司法書士という職業柄、ある程度は仕方ないのかもしれない。でも、もっと気楽に話しかけてほしいと思っている自分がいる。どこかで“ちゃんとしてる風”を演出しすぎているのかもしれない。
頼られるのは嬉しいが、気軽に聞いてほしい
専門家として頼られるのはありがたいこと。でも、それが「何かあったときにだけ話す人」になってしまうのは寂しい。ちょっとした疑問や雑談でもいいから、もっと気軽に声をかけてほしい。そう思って、受付に観葉植物を置いたり、ポスターを柔らかいデザインに変えてみたりと工夫している。けれど、スーツ一枚の威圧感はなかなか手ごわい。
堅苦しさ=信頼?本当にそれでいいのか
「堅苦しい=ちゃんとしてる」という信頼のイメージは根強い。でも、それって本当に信頼なんだろうか。話しかけづらくて、距離を感じているのに「信用してます」と言われても、なんだか空々しい。もっと本質的な部分で信頼されたいと願うけれど、そのためには“先生”っぽさを脱ぐ勇気が必要なのかもしれない。
お客さんとの会話がうまくいかない日
一生懸命説明しているのに、相手が不安そうな顔をしていると「やっぱり印象のせいかな」と自信をなくす。言葉は丁寧に選んでいるし、専門用語も避けているつもり。でも、その前に構えられてしまっては伝わるものも伝わらない。スーツ姿で真剣に話せば話すほど、壁が厚くなっていくような気がする。
「怖そうに見えたので…」の一言に心が折れる
最初の印象って、本当に強い。とくに年配の方や若い女性から「最初、怖い人かと思いました」と言われることが多い。無精髭もなく、声もできるだけ穏やかにしている。それでも、スーツとネクタイの組み合わせが“厳格な人”という印象を強めてしまうのだろう。内心では「そんなつもりないのに」と落ち込む日もある。
たまたま声が低いだけなんです
声が低いせいか、初対面では特に「怒ってます?」と聞かれることがある。もうこれは声帯の構造の問題だからどうしようもない。それでも、声色やトーンを意識して変えてみたり、少し高めの声であいさつしてみたりと、こっちはそれなりに努力しているのだ。そんな地味な工夫が報われる日は、なかなか来ない。
第一印象で損をしてる気がしてならない
相談に来られた方が、最初から緊張しているのを見るたびに思う。「また第一印象で構えさせてしまったな」と。せめて雑談から入ろうと努力はしている。でも、相手の表情がほぐれるまでには時間がかかるし、その間に肝心な話を逃してしまうこともある。印象って、ほんとうに面倒なフィルターだ。
名刺交換で笑顔を添えても届かない
名刺を渡すときには、必ず笑顔で一言添えるようにしている。「今日は暑いですね」とか「道、わかりにくくなかったですか?」とか。でも、相手の反応が固いと、その笑顔も空回りしてしまう気がする。心の中では「もっと普通に話していいんですよ」と叫んでいるのに、伝わらないもどかしさに飲み込まれてしまう。
司法書士の“先生っぽさ”を脱ぎ捨てたい
きっちりとした服装に、丁寧な言葉遣い。誠実さを伝えたい一心でやっていることが、逆に「近寄りがたい人」にしてしまっている気がする。もういっそ“先生”という立場を脱ぎ捨てて、ただの町の相談相手になれたらいいのに。そんなふうに思う日が増えてきた。
スーツじゃなくて作業着で仕事したい日もある
ときどき思う。スーツじゃなくて、作業着を着て相談に乗ってもいいんじゃないかと。汚れてもいいような服で、フランクに「どんなことでも聞いてくださいね」と言えたら、もっといろんな話ができる気がする。でも現実はそう甘くない。やっぱり“見た目”がすべてを左右してしまう業界なのかもしれない。
服装で信用を得る時代は終わってほしい
昔は「スーツを着ている=信頼できる」という時代だった。けれど今はどうだろう。詐欺師だって立派なスーツを着る時代。見た目ではなく、話し方や態度、実績で判断してほしい。そう思っているのに、こちらは今もスーツにネクタイ。なんだか矛盾を抱えながら生きている気がしてならない。
もっと気軽に頼られる存在になりたい
「何かあったら、すぐに相談してくださいね」そう伝えても、「こんなことで聞いてもいいのか迷って…」と言われることが多い。きっと、“敷居が高い”と思われてしまっているのだろう。もっと「雑談ついでに寄れる場所」になれたらいいのに。そう思って、玄関の雰囲気を少しだけ変えてみたりしている。
町の法律屋のイメージでいたかったのに
本当は、コンビニに寄るような感覚で「ちょっと教えて」と来てくれるような事務所にしたかった。けれど現実は違った。スーツ姿の男がいるだけで、足が止まるのだ。子どもが泣き出したこともある。もう笑うしかない。でも、それでも諦めずに、少しずつ変えていけたらと思っている。
本当の信頼って、なんなんだろう
スーツを着てるから、事務所を構えてるから、資格を持ってるから。それだけで信頼されてしまうことがある。でも、それって本当に信頼なのか? それとも“期待されてるだけ”なのか。ふとした瞬間に、そんな疑問が頭をよぎる。自分の中で、信頼の定義が揺らぎ始めている。
見た目より中身で勝負したいけど
やっぱり中身で見てほしい。どれだけ丁寧に対応しているか、どれだけ寄り添っているか、そういうところを評価してほしい。でも現実は、「ちゃんとしてそうだから安心」という印象が先に来る。中身が届く前に判断されてしまう。そんなもどかしさが、今日も机の上に積もっていく。
でも中身を見てもらえる機会が少ない
1回の面談で、すべてを見抜ける人なんてそういない。こっちは真剣に向き合っていても、それが伝わるまでには時間がかかる。でも、相談者はそこまで長居はしてくれない。だから、中身で勝負したくても、そもそも土俵に立たせてもらえていないことも多い。悔しいけれど、それが現実だ。
「親しみやすい司法書士」の理想と現実
目指したいのは、話しかけやすくて、頼りがいがあって、でも威圧感のない司法書士。でも、現実は「堅すぎて話しかけづらい」と言われてしまう。それでも、諦めたくない。少しでも「この人なら話しやすそう」と思ってもらえるように、今日も笑顔を忘れずにドアを開ける。
柔らかさを演出する努力はむなしい?
ネクタイを少しゆるめてみたり、シャツを明るめにしてみたり。そんな小さな工夫を繰り返している。でも、「それでも堅い」と言われることもある。もう、いっそパーカーでも着てしまいたい。それくらい、柔らかさを出すのは難しい。でも、だからこそ続ける意味があるのかもしれない。