朝、布団から出ただけで立派だと思う
正直、朝は地獄だ。寒い日なんて特にそう。布団のぬくもりを振り払って、誰も起こしてくれない部屋で、ただ一人むくっと起き上がるだけで相当の気力がいる。やる気なんてものは出てこないし、頭の中では「今日は休もうかな」「誰か代わりにやってくれないかな」と思っている。でも、それでも布団から出る。出なきゃ仕事は回らないし、事務員さんひとりに全部背負わせるわけにもいかない。この小さな一歩を、誰も褒めてくれなくても、俺は知ってる。これは立派なことなんだ。
やる気ゼロでも仕事は待ってくれない
司法書士という仕事にやる気は不要かもしれない。いや、必要なんだけど、なくてもやらなきゃいけないことが山積みで、やる気を問うてる場合じゃない。朝起きて、顔を洗って、メールを開いて、役所やお客さんとのやり取りをする。やる気があるかないかなんて、誰も気にしてくれない。こなして当たり前、抜かりがあれば責任は自分。だから、「やる気ないなぁ」と思いながらも、結局いつも通り業務を始めている自分に、ちょっとだけ感心してしまう。
「今日休みたい」と思う朝のルーティン
朝、アラームを止めたあと、一番最初に考えるのは「今日、何か言い訳して休めないかな」だったりする。熱っぽい気もするし、ちょっとお腹も痛い気がする。でも、時計を見るともうギリギリ。そんなとき、コーヒーを淹れて、無理やりテレビの天気予報を見ることで、「今日は曇りか…」と、どうでもいい情報で意識を現実に引き戻す。まるで儀式のような朝のルーティン。それを終えたとき、やっと現実に戻って、動けるようになる。
無理やりでも顔を洗うのが儀式
寝ぼけたまま鏡の前に立つ。髭の伸び具合もどうでもいい。とにかく冷たい水を顔にぶっかけて、眠気を吹き飛ばす。たぶん、俺のスイッチはここで入る。お湯だとダメだ。冷たい水じゃないと「やるぞ」という気分にはならない。毎朝やってるこの一連の流れは、誰にも見られないけれど、戦闘準備みたいなもんだ。たった数分のことかもしれないけど、自分を立て直す大事な時間だ。
誰にも言われないけど、ちゃんとやってる
誰かに褒められるわけでもなく、表彰されることもなく、毎日同じような書類を作って、提出して、電話をかけて、また書類を作る。ミスがないことが当たり前。でも、当たり前の中に、どれだけ気を配っているかは、同業者にしか分からないかもしれない。そんな見えない努力に、せめて自分くらいは気づいてあげたい。
見えない努力を誰が見てる?
誰にも見られていない仕事って、評価されづらい。でも、司法書士の仕事なんて、まさにその典型だ。書類の一字一句に気を配り、印鑑の位置や封筒の書き方まで、完璧じゃなきゃならない。それでも「ちゃんとしてて当然」と言われる世界だ。こっちは命削ってやってるのに、感謝の言葉もなし。それでもやり続けてる自分が、たまにかわいそうに思える。
完了報告のない仕事の虚しさ
書類提出しても、誰も「ありがとう」なんて言ってくれないことが多い。登記が完了しても、それが当たり前とされている。たまにクレームが入るときだけ、強く反応される。報われないなと思うけれど、それでも「滞りなく終えた」ことに意味があるはずだと信じている。終わっていく仕事の数々に、自分の痕跡は何一つ残らない。それが寂しくもあり、同時に誇らしい。
それでも淡々と処理していく現実
たとえば雨の日でも、風邪気味でも、事務所に来てパソコンを立ち上げ、提出期限を確認し、役所へ出かける。誰かに頼まれたわけじゃない、自分で決めた責任だからこそ、手を抜けない。そんな毎日を何年も続けてきた。それって本当は、ものすごくすごいことなんじゃないかと、最近ふと思った。誰も言ってくれないから、自分で言うしかない。「今日もおつかれ、俺」って。