冒頭の雨と一本の電話
旧い家屋の登記簿と沈黙
雨音が事務所の窓を叩く午後、一本の電話が沈黙を破った。 受話器越しの声は震えており、「祖父の土地のことで……」とだけ告げて切れた。 なんとも歯切れの悪い依頼だが、こういう時ほど厄介なことになるのが常だ。
消えた持ち主と残された印鑑
訪ねてきた依頼人は、黒い封筒に印鑑証明と戸籍を入れて差し出した。 だが、登記簿を見ると、そこにあるはずの所有者の記録が途中で閉鎖されていた。 「祖父は行方不明なんです」と、依頼人は視線を伏せた。
依頼人の話はどこか曖昧で
不在者財産管理の依頼書
書類は一見整っていた。不在者財産管理の申立て準備も済んでいるようだ。 だが、どこか釈然としない。なぜ今になってこの土地の名義を変えたいのか。 「生活が苦しくて……売却したいんです」と彼は言った。
サトウさんの冷静なツッコミ
「それにしては、手続きが手慣れてますね」とサトウさん。 塩対応というより、推理漫画の女刑事並みの切れ味だ。 僕が口を挟む前に、依頼人は少し笑って、「司法書士さんは鋭いですね」とごまかした。
登記簿の奥に潜む過去
閉鎖登記簿と転々とした所有権
閉鎖された登記簿を法務局で取り寄せてみると、所有者が何度も変わっていた。 しかも短期間で相続や贈与が繰り返されている。まるでカモフラージュだ。 登記上はきれいに見えても、裏には意図があると僕は踏んだ。
欠落していた数ヶ月の痕跡
ある年の春、所有者が変わったという記録が空白になっていた。 この空白こそが鍵だ。何がそこで起きたのか。 僕は古い法務局職員の話を聞きに行くことにした。
隣人の証言と奇妙な一致
サザエさんに出てくる三河屋を思い出す
「昔は毎週、違う男が酒を届けに来てたんですよ」と近隣の古老。 どこかで聞いたセリフだと思ったら、サザエさんの三河屋さんを思い出した。 だが、これは笑い話ではない。男は本物の所有者ではなかった。
誰かが郵便受けを毎週のぞいていた
「誰かが毎週、郵便物だけ取りに来てた」ともう一人の証言者。 失踪したはずの男が、生きていた可能性が浮上する。 いや、それとも別人が成りすましていたのか。
僕が見落としていたただ一つのこと
やれやれ、、、またか
古いファイルをひっくり返していたら、封筒の裏に付箋が貼ってあった。 「次男へ。土地は任せた」と達筆で書かれていた。 やれやれ、、、また大事な手がかりを後回しにしていたらしい。
それはファイルの「裏」に貼られていた
まるで怪盗キッドのように痕跡だけ残して消えるやつもいる。 今回は、兄が消えて、弟が名義を使い土地を操作しようとしていた。 遺言が鍵だったのだ。
消えた男の正体は意外な人物
帰ってきたのは失踪者ではなかった
依頼人は「祖父の土地」と言っていたが、戸籍を調べると実は本人だった。 年齢をごまかし、別の名義で長く生活していたのだ。 嘘がバレる前に財産を整理したかったという。
名義人のフリをしていたのは弟だった
本当の持ち主は既に亡くなっていた。弟が兄のふりをしていたのだ。 目的は相続手続きを簡略化して、自分の利益にするため。 だが登記簿は嘘を見逃してはくれなかった。
不正登記の匂いと古い嘘
赤の他人ではなく血縁だった理由
全ては家族間での口約束と、登記のスキマを突いた嘘。 「どうせバレない」と思ったのだろう。 でも、それは司法書士にとって最大の侮辱だ。
動機は一通の遺言書の存在
「兄が死ぬ前に書いてたんだ」と差し出された遺言書。 だがそれは法的に無効だった。証人もいなければ日付もあいまい。 結局、全てがバラバラと崩れていった。
僕のミスが真実を呼び寄せた
記録の矛盾を生んだひとつの記載ミス
最初に見逃したのは、地番の末尾の数字の誤記だった。 あの時もっと注意していれば、こんな面倒には、、、 だが、逆にそのミスが今回の矛盾を浮かび上がらせたのも事実だった。
それでも正義は登記簿の中にある
登記は事実の記録であると同時に、嘘を暴く装置でもある。 司法書士はその「嘘」に気づく最後の番人だ。 地味で、評価されず、報われることもない仕事だけど。
サトウさんのひとことが痛い
「最初から気づいてましたけど」
サトウさんは、僕が全部説明し終えた後、こう言った。 「最初の電話の時点で怪しいと思いましたよ」 この人は本当に探偵漫画のヒロインか何かか?
塩対応にも慣れてきた午後四時
「次は、ちゃんと最初に裏も見てくださいね」 もう一度言おう、やれやれ、、、本当に頭が上がらない。 窓の外は、いつの間にか雨が止んでいた。
事件のあともまた日常へ
土地は無事に名義が移転され
紆余曲折はあったが、土地は正当な相続人に渡された。 依頼人だった男は、静かにどこかへ去っていった。 あの男の背中には、少しだけ罪の影が残っていた。
僕はまたファイルに囲まれている
机の上には新しい登記申請書が山積みだ。 コーヒーは冷めていたけれど、心は少しだけ温かい。 今日もまた、僕は登記簿と向き合い続ける。