婚活より登記簿

婚活より登記簿

婚活より登記簿を選んでしまう夜がある

土曜日の夜。世間では「婚活イベント」や「マッチングアプリで出会った人との食事」なんて話題で盛り上がっているらしい。でも僕は、パソコンの画面に映る登記簿とにらめっこしている。ふと、これは自分で選んだ道だったのか、気づいたらこうなっていたのか、わからなくなる瞬間がある。けれど、その登記簿には正確さがあって、矛盾がなく、誰かの人生の断片が詰まっている。少なくとも、返事が来ないLINEや曖昧な笑顔に翻弄されるより、よほど誠実だと感じてしまうのだ。

気づけば登記簿と向き合っている日々

司法書士として仕事を始めてからというもの、気づけばプライベートのほとんどを仕事が侵食していた。友人との付き合いも減り、誰かと飲みに行くこともない。気がつけば、机の上に積まれた登記関連書類とだけ会話する毎日。いや、会話じゃなくて、一方的な読み取りか。事務員も一人いるけれど、僕の愚痴に付き合わせるわけにもいかないし、そもそも聞かれても困るだろう。そうなると結局、登記簿の記載事項に救いを求める自分がいるのだ。

「誰かと会う」より「どこかの名義」を追いかけている

週末になると婚活アプリの通知がスマホに届く。「マッチングしました!」なんて明るいメッセージ。でも、僕の目は「持分〇分の〇」と書かれた古い登記簿に釘付けだ。この土地は誰のものだったのか、どんな背景でこの名義になったのか…謎を解いていく作業の方がよっぽど面白く感じてしまう。誰かと過ごす未来を思い描くより、過去の所有関係にロマンを感じる自分がいる。それが良いのか悪いのか、もう自分でもわからない。

登記事項証明書の方が裏切らないと感じるのはなぜか

人と人との関係は不確かだ。笑顔の裏に何があるかなんて分からない。だけど登記事項証明書は違う。記録された事実は修正がきかないし、嘘がない。そこには時間の流れと事実だけが淡々と刻まれている。婚活で何度も空振りしてきた僕にとって、それはある意味で安心できる世界だった。だから、また今日も人と会う努力を後回しにして、登記簿と向き合ってしまう。

出会いがないんじゃない、行く気力がないだけ

よく「出会いがないんですか?」と聞かれる。でも違う。出会いなんて、探そうと思えば街にいくらでもある。婚活パーティーもあるし、アプリだって充実してる。でも、もう疲れてしまったのだ。会って、気を遣って、探り合って、うまくいかずにまた自己否定…。そんな繰り返しに、もうエネルギーが残っていない。僕の休日は、誰かと会うためじゃなく、誰とも会わなくて済むことに安堵するためにある。

婚活パーティーより法務局の方が居心地がいい

以前、同業の友人に誘われて婚活パーティーに行ったことがある。周囲は笑顔と名刺交換の嵐。僕は名刺こそ持っていたけど、どう話しかけていいかもわからず、ずっと飲み物のテーブルをうろうろしていた。法務局の方が静かで安心するし、顔見知りの職員さんと交わす短い挨拶の方が心が落ち着く。それに、法務局には嘘がない。無理して笑わなくてもいいのだ。

「独身です」と言うより「持分全部移転です」の方が自然な自分

婚活イベントで「独身です」と口にするたびに、どこか恥ずかしさや惨めさを感じる。けれど、仕事で「持分全部移転です」と言うときは、何のためらいもない。それが仕事であり、事実であり、感情を乗せる必要がないからだ。たぶん僕は、感情に向き合うことに疲れてしまったのだと思う。

登記簿は僕の生活の一部になってしまった

気がつけば、登記簿は僕の生活のリズムに溶け込んでいる。朝から晩まで登記に関する書類に目を通し、週末は過去の所有履歴に没頭する。テレビやSNSで流れる「婚活成功体験」にはもう関心が持てない。登記簿の方が、ある意味で「真実」に触れている気がする。

誰かと住むより、誰かの名義を整理する日々

家に帰れば一人。だけど、仕事では毎日のように誰かの家や土地に関わっている。皮肉な話だ。誰かと一緒に暮らす人生は遠のくばかりで、誰かが残した不動産の名義を整理する日々。婚姻届じゃなく、登記申請書ばかりが僕の机の上に積まれていく。

「未来のパートナー」より「過去の共有者」に詳しくなる

仕事では夫婦や親族、時には離婚した元配偶者の名前も登場する。僕はその関係性を正確に把握し、登記を進める。そうして過去の共有者に詳しくなる一方で、未来のパートナー像はどんどん霞んでいく。気づけば、誰かの人生の整理ばかりを請け負い、自分の人生は「保留中」だ。

一人事務所の現実はロマンもモテもない

地方の小さな司法書士事務所。夢も希望も大それた目標もない。ただ、今日来た依頼を淡々とこなす。それだけの毎日。人手もない、モテもしない。ロマンなんてものは、開業前に使い果たしてしまったのかもしれない。

事務所に響くのはキーボードの音とため息

午前中からPCを叩き、電話に出て、事務員に指示を出す。ふと一息つくと、静まり返った室内に響くのは自分のため息。外は晴れていても、心の中はどこかくすんでいる。自分で選んだ道とはいえ、「これでよかったのか」と思う瞬間は、一日に何度もやってくる。

事務員さんに気を使いながら、心のどこかで愚痴る

一人雇っている事務員さんには、本当に助けられている。けれど、愚痴を言う相手としては適さない。立場があるし、気を遣わせたくない。だから、今日も自分の中でぐるぐると愚痴をこね回す。出し口のないまま、心の奥に溜まっていく。誰かに話したいけれど、誰にも話せない。それが現実。

孤独だけど、司法書士として続けている理由

不安もあるし、孤独もある。でもこの仕事には、わずかに誇りがある。誰かの役に立っていると実感できる瞬間が、たまにある。その一瞬のために、また明日もやっていこうと思うのだ。

誰にも気づかれない仕事だからこその意地

この仕事は地味だ。目立たないし、感謝されることも少ない。それでも、誰かの手続きを滞りなく終えることができたとき、静かな達成感がある。舞台に立つ役者ではない。裏方の裏方。でも、いないと困る存在。そう思ってもらえるなら、続ける意味はある。

「ありがとう」と言われる日もある

たまに、依頼人から「本当に助かりました」と言われることがある。その一言が、何日も心に残る。婚活で得るドキドキとは違うが、それでも人とつながれたと感じる瞬間だ。人との縁は、仕事の中にもあるのかもしれない。

でも大体は無言でハンコを押されて終わる

ただし、それは本当に「たまに」だ。ほとんどは、確認して、ハンコを押して、終わる。会話もなく、感情の起伏もない。だからこそ、稀に交わす笑顔や感謝の言葉が、何倍にも嬉しく響くのだ。

それでも明日は登記簿と向き合う

婚活をやめたわけじゃない。希望がゼロになったわけでもない。でも今の僕には、登記簿の方が向いている。淡々と、正確に、そして静かに。そんな世界で今日も働いている。そしてたぶん、明日も同じように、登記簿を開いている。

恋愛じゃ得られない達成感が、そこにある

恋愛にはドキドキもあれば、がっかりもある。うまくいけば幸せだけど、うまくいかないと自己否定に繋がる。でも登記は違う。ゴールが明確で、手順を踏めば完了する。結果が出る。そのシンプルさが、今の自分にはちょうどいい。

婚活より地味で、でも確かな世界

婚活の世界は華やかで、人と人との化学反応が必要だ。でも、僕にはもうそのエネルギーがない。登記の世界は地味で、ルール通り。でもそこに安心がある。きっと、同じように感じている人もいるんじゃないだろうか。そう思いながら、今日もまた登記簿を開く。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。