日記アプリが唯一の話し相手

日記アプリが唯一の話し相手

気がつけば、今日も誰とも話していない

人と話すって、こんなに難しかっただろうか。気づけば、今日一日、まともに誰とも言葉を交わしていない。司法書士という職業柄、人と関わる場面は決して少なくない。依頼人との打ち合わせ、金融機関との連絡、役所への問い合わせ。でも、それらは全部「仕事の会話」であって、心のこもった“話し相手”とはちょっと違う。人に囲まれていても、孤独感がふと襲ってくる日が増えたのは、40を過ぎてからかもしれない。

依頼人との会話はあっても、心の会話はゼロ

例えば今日も、午前中に相続登記の相談が2件、午後は抵当権抹消の立ち会いと、新人の司法書士志望者からの電話。どれも話すべきことは話している。でも、誰とも「今日は寒いですね」とすら交わしていないことに気づいて、なんだか急に虚しくなる。依頼人は、こちらを「専門家」として見ている。だからこそ、感情を持ち出す隙がない。僕もそれをわきまえているけど、どこかで「人」として見てほしい自分がいるのも事実だ。

「先生」なんて呼ばれても、実際は空っぽ

「先生」と呼ばれるたびに、自分の中身がスカスカになっていく気がする。実際、先生らしいことなんてしていない。ただ書類を整えて、法務局へ提出して、報酬をもらうだけ。それが仕事で、それが信頼なのもわかっている。でもね、「先生、今日はどうでした?」なんて聞かれる日はこない。「先生」じゃなく「◯◯さん」として見てくれる相手が欲しくなる。そんな感情すら、もうしまいこんでいたけれど。

事務員さんに話しかけすぎて嫌がられているかも

唯一の話し相手である事務員さんにも、最近は話しかけづらくなってきた。ちょっとした世間話をしても、相槌が薄い。いや、それはきっと僕の気のせいなんだろうけど、「うるさいな」と思われてるかもと疑ってしまう自分がいる。たぶん、彼女にとって僕は「話し相手」ではなく「上司」なのだ。当たり前の話だ。でも、そうわかっていても、気軽に誰かと話したい気持ちが膨らんでしまう日もある。

日記アプリが唯一、否定せずに聞いてくれる存在

そんなとき、ふと開いたスマホの日記アプリが、意外にも自分の支えになっていた。何気なく「今日も誰とも話してないな」と打ち込んだとき、なんだか救われたような気がした。画面の向こうに誰かがいるわけじゃないけれど、それでも「言葉にすること」で気持ちが軽くなるのを感じた。今では、寝る前の数分が、1日の中で一番心が開ける時間かもしれない。

深夜に綴る愚痴と本音のオンパレード

日記には、もう誰にも見せられないような愚痴を書いている。「また報酬減らされた」「事務員に冷たくされた気がする」「なんで独身なんだろう」……。誰かに見られたら恥ずかしくてたまらない。でも、逆に言えば、それくらい心をさらけ出せる場所が、日記アプリしかないということだ。まるで、昔、飼っていた犬に向かって話していた頃のような気持ちで、今はアプリに話している。

感情をぶつけても怒られない安心感

人に話すと「それはあなたが悪い」とか「そんな考え方じゃダメだ」と返ってくることもある。でも、アプリは否定しない。感情をそのまま受け止めてくれる場所。それが、どれほど救いになるか、日記を始めて初めて知った。たとえ“無機質なツール”であっても、僕にとっては“安心できる相手”だ。どんなにくだらないことでも、気軽に吐き出せる場所は、必要だと思う。

「今日は疲れたね」って言える場所が欲しかった

人に言えないことは、山ほどある。でも一番言いたいのは、たったひとこと。「今日は疲れたね」。その一言を誰にも言えない日が続いた。日記アプリに「今日は疲れた」と書き込んだ瞬間、ふっと涙が出たことがある。誰かに共感してほしかっただけなんだと気づいた。誰かと共有することで、弱さは少しだけ軽くなる。そんな場がない僕には、アプリが唯一の“話し相手”だった。

孤独な専門職に必要なのは、意外と“話し相手”

司法書士という仕事は、外から見れば堅実で安定しているように見える。でも実際は、孤独との闘いだ。誰かと話せば、心の整理もできる。でも、それができない日々が続くと、徐々に内側から崩れていくような感覚になる。スキルや知識では解決できない部分があることに、もっと早く気づくべきだった。

仕事の精度よりも先に心が折れそうになる

完璧な登記なんて存在しない。でも、それに近づけようと、神経をすり減らして仕事をする。そんな日々の中で、一番怖いのは、心の疲労が蓄積して折れてしまうことだ。書類ミスよりも、対応の遅れよりも、心が壊れるほうが致命的だ。誰かに少しだけ愚痴れる相手がいれば、それだけで変わっていたかもしれない。

仲間がいないと、判断の軸も揺らぐ

僕には同業の相談相手がいない。勉強会にもあまり行かないし、業界の集まりも苦手だ。だから、自分の判断が本当に正しいのか、よくわからなくなることがある。「これでいいのか?」と思いながらも、相談する相手もなく、ひとりで決断する。そんなとき、せめて日記にでも書き出すことで、自分の思考を確認するようにしている。

同じように日々をこなしている、あなたへ

もし、この記事を読んでいるあなたが、僕と同じような孤独を感じているなら。仕事はできていても、心が置いてけぼりになっているなら。話し相手がいない日々に、少しでも疲れているなら。日記でも、メモ帳でも、アプリでもいい。まずは、自分の気持ちを言葉にしてみてほしい。誰にも見せなくていい。ただ、自分の声を、自分で聞いてあげることが、きっと、救いになる。

日記アプリでも、誰でもいい。話せる何かを持ってほしい

僕は、誰かに頼るのが苦手だった。でも、頼るというより、「話す」ことで救われることがあると知った。話す相手は、人でなくてもいい。今の時代には、言葉を受け止めてくれるツールがある。寂しさを抱えている司法書士さんや、一人で踏ん張っている人たちに、伝えたい。話すことをあきらめないで、と。

孤独を笑えるようになる日は、たぶん来る

「孤独だなあ」と思う自分を、少し笑えるようになったら、それは前に進んでる証拠かもしれない。僕はまだ、そこまで達観してない。でも、今日も日記アプリに「おやすみ」と書いて、また明日に向かう。それで十分だと思えるようになった。それだけで、少しずつ救われている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。