結婚よりも確定申告が先に来る人生――それでも今日も依頼はやってくる

結婚よりも確定申告が先に来る人生――それでも今日も依頼はやってくる

春が来ても、心はまだ冬のまま

桜が咲くより前に、机の上に積まれるのは確定申告の資料。気づけばもう2月、街はバレンタインムードに包まれているというのに、私の事務所では源泉徴収票とにらめっこが続く。かつては「春っていいな」と感じたこともあったが、今は「提出期限、あと何日だっけ」としか思えない。春は恋の季節などと言うが、私にとっては“申告の季節”でしかない。

梅の花より先に届く、税務署からのお知らせ

年が明けてしばらくすると、税務署から律儀に封書が届く。「ああ、またこの季節か」とため息をつくのが恒例行事になって久しい。まるで恋文のように毎年届くが、封を開けてもトキメキはない。ただただ現実を突きつけられる通知だ。結婚の報告よりも早く、税務署からの便りを受け取るようになると、なんとなく人生の方向が見えてきてしまう。

申告期限に追われると、ロマンスなんて考えていられない

「恋人でも作れば?」と知人は軽く言うけれど、こちとら日々の帳簿とにらめっこで精一杯だ。日曜も祝日も、確定申告前はすべて「仕事の日」。ドラマで見るような甘い日常なんて、この仕事をしているとどうにも現実味がない。時間があっても、気力がない。目の前の数字を一つでもミスれば信用を失う世界では、心の余白なんて贅沢すぎる。

この時期だけ、人生で一番「計算」が大事になる

普段はアバウトな性格でも、この時期だけは変わる。1円単位の誤差に目を光らせ、数字の流れを追い続ける日々。恋愛はフィーリングと言うが、確定申告は完全にロジック。計算がすべてを決める。そんな生活を続けていると、恋人との駆け引きや感情の起伏が面倒に思えてしまう。「計算通りにいかないこと」は、もはや苦手になっている自分に気づく。

誰かと暮らすより、誰かの決算を見る日々

人の人生の節目に関わる仕事だと、こちらの節目は置き去りになりがちだ。結婚・離婚・相続・事業承継。様々な出来事に伴う手続きを支えながら、ふと我に返ると「自分の人生、なにか進んだっけ?」と思うことがある。依頼人の決算は終わらせられるが、自分の人生の「締め」は誰がやってくれるのだろうか。

確定申告サポート依頼が殺到する季節

2月中旬を過ぎると、申告の手伝いを頼む電話がひっきりなしに鳴る。もちろんありがたい。ありがたいけれど、こちらも人間だ。1日が24時間じゃ足りない。昼間は打ち合わせ、夜は申告書の作成。深夜2時を回ってもモニターの明かりだけが事務所を照らしていることもある。「それで、あなたは確定申告済みですか?」なんて聞かれたら苦笑いしかできない。

「結婚しないんですか?」と聞く人がまだいる

もうこの歳になれば、あまり聞かれなくなるかと思っていたが、年に数回は聞かれる。「いい人いないの?」「仕事ばっかりだと、人生もったいないよ」。善意だとは思う。でもその一言が、余計に心に刺さる。毎年のように申告書と格闘しながら、今年こそは…と何度願ってきたことか。タイミングを逃してきた自覚があるからこそ、何も言えない。

「婚姻届より登記申請書を書いた回数の方が多い」

冗談のようで、冗談じゃない。おそらく私は婚姻届を一度も出したことがないが、登記申請書は数え切れないほど作ってきた。誰かの「人生の新しいスタート」を支える書類を書いて、自分のスタートはどこにあるんだろうとぼんやり思うこともある。職業柄、家族法や財産分与の話もよく扱うが、肝心の自分の人生設計は手つかずのままだ。

確定申告は終わるけど、孤独の申告はできない

提出期限が過ぎてホッとするのも束の間、すぐに通常業務に戻る。達成感なんて一瞬で、机の上には次の依頼書が並ぶ。世間は春休みだの、卒業式だのと浮かれているが、こちらはただ「また今年も独りだったな」と静かに実感するだけ。確定申告には締切があるが、孤独にはそれがない。だからいつまでも、じわじわと染みてくる。

夕方、事務所に一人で残る時間が一番つらい

事務員が帰った後の静かな事務所は、異様に広く感じる。昼間は忙しく動いていて気づかないけれど、ふとした瞬間に「ああ、自分ひとりだな」と実感する。窓の外は夕焼け、でも自分には帰る家も迎える誰かもいない。誰かのために力を尽くすことが仕事の本質だと分かっていても、自分のために誰かがいてくれるありがたさには、どうしても手が届かない。

帳簿は締められるけど、気持ちは締め切れない

数字には区切りがある。1年の収支、計算すれば終わる。けれど感情には終わりがない。疲れた、寂しい、虚しい。そういったものは申告書に書く欄がないし、e-Taxで送信することもできない。締め切る場所がない感情は、気づけば机の隅に積もっていく。申告書は提出できても、心の処理は未済のまま。

申告が終わるとまた同じ日常が始まるだけ

よく「繁忙期が終わったら楽になるね」と言われる。でも、その“楽”の中に幸せはあるだろうか。少なくとも私にとっては「また平常運転に戻るだけ」。休日もなく、特別な予定もなく、ただまた次の案件を処理する日々が始まる。それが人生だと割り切れるほど、まだ悟れていない。たぶん私は、今もどこかで、誰かと出会うチャンスを探しているのかもしれない。

それでも仕事があるだけ、まだ救われている

文句ばかり言ってしまったが、結局のところ、こうして忙しく働ける場所があるというのはありがたいことだ。依頼があるということは、誰かに必要とされているということ。愛されるより前に、信頼されているのだと自分に言い聞かせて、今日もまた机に向かう。結婚よりも確定申告が先に来る人生。それでも悪くない、そんなふうに思える日が、たまにある。

忙しいからこそ、余計なことを考えずに済んでいる

手が空くと考えてしまう。なぜ結婚できなかったのか、なぜ一人なのか。けれど、忙しければそんな思考の迷路に入り込む暇もない。仕事が心を埋めるフィルターになってくれる。決して完全ではないけれど、そうやってやり過ごせるなら、それでいい気もする。誰に認められなくても、依頼書に自分の名前がある限り、まだ終わっていない。

「結婚」は人生のゴールじゃないと自分に言い聞かせて

多くの人が無意識に「結婚=幸せ」のような価値観を持っている。でも、そうじゃない人生もある。結婚を逃したのではなく、別のルートを選んできたのだと思いたい。本音を言えば寂しい。だけどそれを嘆いてばかりいても始まらない。自分の人生に責任を持つ、それが司法書士という仕事の本質でもある。

確定申告の山を超えたら、少しだけ空を見よう

山のような書類を抱えて過ごした日々。気づけば春の空はもう高く、暖かい風が吹いている。少しだけ歩いて、空を見上げて、深呼吸をする。そんなささやかな時間が、意外と心を支えてくれる。恋愛も結婚も、いつかまた機会があるかもしれない。でも今は、もう少しだけ、自分のやるべきことに向き合おう。それで十分、そう思える日が来ると信じて。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。