事務所の蛍光灯がチカチカするだけで気持ちが沈む

事務所の蛍光灯がチカチカするだけで気持ちが沈む

事務所の蛍光灯がチカチカするだけで気持ちが沈む日常

朝、事務所に入ると、薄暗い天井の蛍光灯がチカチカと瞬いている。それだけで、「ああ、今日も始まったか」と気が重くなる。たかが蛍光灯、されど蛍光灯。忙しい日はその点滅にすら心を乱される。ほんの些細なことでも、心の余裕がないときには想像以上の破壊力を持つのだ。こんなとき、ふと「なんで自分だけこんなに疲れてるんだろう」と考えてしまう。周囲には誰も気づかないような異変が、自分にはやたらと目につく。司法書士としての責任の重さや日々のプレッシャーが、光のチカチカにすら心を侵食させてしまう。

気づけばそこにある“異変”が心を揺らす

事務所の天井にある古びた蛍光灯。普段は気にもしないのに、ある日ふと、そのチカチカが気になって仕方がなくなる。書類を読みながらも目の隅にちらつく光に集中を削がれ、次第にイライラしてくる。蛍光灯ひとつにここまで感情が振り回されるなんて、正直、自分でも驚く。だけど、その小さな異変が、心のどこか深い部分を揺さぶってくることがあるのだ。いつからこんなに繊細になってしまったのか、自問自答しながら、また一つ溜息をついてしまう。

光の点滅ひとつに敏感になる理由

蛍光灯の点滅が気になるようになったのは、たぶん心の余裕がなくなってきた証拠だ。昔は、多少の不快感があっても「そんなもんだ」と流せていたのに、今は違う。少しの音や光、気配ですら神経が張りつめてしまう。事務所にひとりでいる時間が長くなり、静けさの中で些細なことに意識が向いてしまう。こういう状態が続くと、集中力も下がり、疲労が蓄積して、負のループから抜け出せなくなる。

心の余裕がない証拠かもしれない

本来なら「電気が切れかけてるな、替えとくか」で済む話。でも、それができない。「まあいいか」と思えない。ほんの少しのことにイライラしてしまう自分が嫌になる。心に余裕がないと、日常の些細な異変も全部自分に牙をむいてくる。蛍光灯のチカチカが、まるで「お前はダメだ」と言っているように思えてしまうのだ。

「放っておけばいい」と言われても無理なものは無理

人からは「気にしすぎじゃない?」と言われることもある。でも、その言葉すら重くのしかかる。そう言われても気になるものは気になる。無理なものは無理なのだ。自分の感覚を否定されるたび、「やっぱり自分はどこかおかしいのかな」とさらに落ち込んでしまう。この感覚、共感してくれる人はいるのだろうか。

小さなストレスが積み重なる現場

司法書士の仕事は、ミスが許されない。書類の一文字の間違いが致命的になりかねない世界。だからこそ、些細なストレスが積み重なると、自分でもコントロールできなくなることがある。蛍光灯のチカチカは、そのストレスの象徴のように思える。日々の業務の中で、見過ごしていた自分の限界が、目の前の小さな現象に表れる。

書類の山と終わらない電話

朝から電話、昼も電話、午後も電話。そして、その合間に不動産の登記や相続関連の書類の作成、期限に追われる書類の山。誰にも代われない仕事ばかりで、頭も手もフル回転。それでも目の端では、まだ蛍光灯がチカチカしている。集中力はどんどん削られ、結局ミスが起きそうで怖くなる。何もかもがうまくいかない気がしてくる。

効率化なんて夢のまた夢

「もっと効率的にできないのか」と思うことは何度もある。ツールやAIの導入を検討したこともあった。でも、結局は細かいニュアンスや臨機応変な対応が求められる仕事。マニュアルでは済まされない案件ばかりで、結局アナログな方法が一番安心だったりする。そうして自分の首を絞めているのかもしれないと気づきながらも、抜け出せない。

事務員さんも無言になる午後

午後になると、事務員さんも静かになる。無言の空気が重くのしかかり、さらに気分が沈む。話しかけるタイミングもわからず、気まずさだけが募る。自分の機嫌の悪さが伝わっているのだろうかと不安にもなる。そんな中で、また蛍光灯がチカチカ……心がささくれ立つ音が聞こえてきそうだ。

孤独な現場、誰にも頼れない司法書士の現実

独立して事務所を構えて10年。自由と責任は表裏一体だと身にしみて感じる。頼れる上司もいなければ、愚痴をこぼせる同僚もいない。トラブルがあれば、全部自分の責任。そんな環境で、光のチカチカごときに反応してしまう自分が、余計に情けなく思える。だがそれもまた、司法書士という仕事のリアルな一面だ。

独立したはずなのに、自由はない

「独立して自由に仕事ができていいですね」と言われることがある。そのたびに苦笑いするしかない。確かに上司はいない。けれども、自由は幻想だった。案件の依頼者、登記の期日、法務局の制約……すべてが自分を縛ってくる。思い通りに進む仕事なんて、ひとつもない。独立とは、孤独との戦いでもある。

「一国一城の主」は幻想だった

事務所を持ったとき、「これで自分も一国一城の主だ」と少しだけ誇らしかった。でも、実際は毎月の家賃、設備の老朽化、クレームの対応まで全部自分持ち。誰も守ってくれない。チカチカする蛍光灯を見上げながら、そんな誇りも消えかけている。

思ってたのと違う、の連続

司法書士になったときに描いていた未来とは、ずいぶん違う。もっと穏やかで、充実感があって、社会の役に立っている実感がある仕事だと思っていた。だが現実は、ひとりで悩み、ひとりで耐え、ひとりで処理する毎日。チカチカする蛍光灯が、その現実を否応なしに突きつけてくる。

心が疲れているサインに気づく

「なんで蛍光灯ごときでこんなにしんどいんだろう」と思っていた。でも、それは心が限界に近づいているサインなのかもしれない。無理をしているつもりはなかった。でも、日々の小さなストレスの積み重ねが、心の容量をすり減らしていたのだと、ようやく気づく。

蛍光灯のチカチカが“もう無理”のサインだった

人は限界になると、意外なところにその兆候が表れる。蛍光灯のチカチカが、それだった。心に余裕があるときなら気にもならなかったはずなのに、今はそれすらも耐えられない。自分の精神が警報を鳴らしているのかもしれない。

無自覚な疲労が心を蝕んでいく

体の疲れには気づきやすい。でも、心の疲れは見えづらい。無理をしている自覚がなくても、確実にダメージは蓄積している。だからこそ、蛍光灯のような小さなストレスを侮ってはいけない。そこに潜んでいるのは、もっと大きな問題かもしれないのだから。

それでも仕事は待ってくれない

どんなに気分が落ちていても、案件は山積み。誰かが代わりにやってくれるわけでもない。事務所の蛍光灯がチカチカしてようが、気持ちが沈んでいようが、登記の締切は変わらない。しんどくてもやるしかない。それが、司法書士の現実だ。

誰かの人生に関わる責任

登記や相続、会社設立。私たちの仕事は、人の人生に大きく関わっている。だからこそ、間違いは許されない。たとえどんなに自分がしんどくても、責任から逃げることはできない。そう思うと、ますます気が張りつめてしまう。

手を抜けない書類と向き合う日々

「この程度でいいや」と思えないのがこの仕事の辛いところ。完璧に仕上げなければならないというプレッシャーは、常にのしかかる。だからこそ、心が疲れていても妥協できない。いつも神経をすり減らしながら、ギリギリで踏みとどまっている。

完璧主義と自己嫌悪のループ

完璧を求めるあまり、少しでもミスをすると自分を責めてしまう。誰にも怒られてないのに、自分で自分を追い詰めていく。そうして、どんどん自己嫌悪の沼にはまっていく。抜け出したいのに、どうしたらいいのかわからない。

共感してくれる誰かの存在

この気持ちを誰かと共有できたら、どれだけ楽になるだろう。同じように悩んでいる司法書士、あるいはひとりで働く人。そういう人とつながれたら、少しは救われる気がする。だから、こうして言葉にしてみた。

同じように悩んでいる人へ

もし、蛍光灯のチカチカで気持ちが沈んだことがある人がいたら、あなたはひとりじゃない。仕事の重圧に耐えながら、孤独と戦っている人は、きっと他にもいる。この文章が、そんな人の支えになればと思う。

「わかる」と言われるだけで少し救われる

「そんなことで?」と思われるような悩みでも、「わかる」と言ってくれる人がいれば、それだけで心が軽くなる。誰かと共感し合えること。それが、私たちのような孤独な働き手には、何よりの救いなのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。