ふと立ち止まると、こらえていた涙がこぼれた日

ふと立ち止まると、こらえていた涙がこぼれた日

朝の通勤途中、なぜか涙が止まらなかった

あの日の朝は、特に何があったわけでもなかった。ただ、事務所に向かう途中の信号待ちでふと足を止めたとき、不意に目頭が熱くなった。車のエンジン音、人の流れ、焼けるような日差し、どれも変わりない日常だったはずなのに。自分でも驚いた。なぜ泣いているのかもわからないのに、頬を伝うものが止まらなかった。「ああ、疲れてたんだな」とそのとき、はじめて気づいた気がした。

日常に紛れた感情の堆積

日々の業務はルーティンのようで、実は小さな感情の積み重ねだ。登記申請の確認、相続相談、法人設立――冷静にこなすしかない作業の裏側で、「ありがとう」と言われない寂しさや、ほんの一言に傷つく心がずっとあったのかもしれない。笑顔で「任せてください」と答えながら、心の中では「またか」とため息をついていた。そんな小さな違和感が日々蓄積されていった結果が、あの涙だった気がする。

忙しさでごまかしてきた心の違和感

「仕事があるだけありがたい」と自分に言い聞かせながら、何か大事なものを置き去りにしていたように思う。電話は鳴りやまず、書類は山のように積まれ、事務員からの確認も後回しにするような毎日。やるべきことに追われているうちは、自分の気持ちを見なくて済む。けれど立ち止まったとき、そのごまかしがすべて剥がれ落ちる。あの涙は、見て見ぬふりをしていた自分からのSOSだったのかもしれない。

人に弱音を吐けない仕事だからこそ

司法書士という肩書には、妙な強さが求められる。依頼人にとっては「先生」だし、ミスは許されない。だからこそ、泣くことも、愚痴ることも、誰かに甘えることもためらってしまう。だけどそれは本当に正しい姿勢なのだろうか。人間として当たり前の感情まで押し殺して、ただ「強くあること」だけがこの職業の美徳なのか。あの朝、自分が流した涙は、そんな問いかけでもあったように思う。

泣ける場所がない職場の日々

事務所では常に「平常心」が求められる。相談者には安心を、事務員には信頼を与える立場でいなければならない。でも、自分が崩れそうになったとき、どこにも逃げ場がないのがこの仕事の辛さだ。トイレにこもっても、携帯を見つめても、涙を拭いた後にはまた「先生」としての顔に戻らないといけない。それがつらくて、でも誰にも言えなくて、結局心にだけどんどん傷が増えていく。

事務員の前で感情を見せるわけにはいかず

事務所には事務員が一人だけ。年下で気配りのできる子だが、だからこそ弱い姿を見せられない。「頼りになる先生」でいなければという気持ちが強く、無理をしてしまう。相談対応で疲弊していても、疲れた顔は見せられない。時折、彼女のほうが先に「今日はお疲れですね」と言ってくれることもあるけれど、「いや、大丈夫だよ」と反射的に返してしまう自分がいる。

「先生」なんて呼ばれるけど中身はボロボロ

この肩書き、「先生」と呼ばれることの裏には、誰にも見せられない孤独がある。周囲からは「しっかりしてそう」「自信があるんでしょう」と言われるけれど、実態は毎日ギリギリでなんとか保っているようなものだ。疲れも不安もごまかし続けているうちに、何が本当の自分なのかすら、よくわからなくなってきた。きっと涙が出たのは、その仮面がひととき外れた証だったんだと思う。

「この仕事、向いてるのかな」と思った瞬間

開業してからずっと、目の前のことに精一杯で、「向き不向き」を考える余裕なんてなかった。でもここ数年、ふとそんな疑問が浮かぶようになった。向いていないんじゃなくて、続けすぎて擦り切れてしまっただけかもしれない。情熱を持って始めたこの仕事も、いつの間にか義務感と責任感に押し潰されている。「これでいいのか?」という声が、自分の中で大きくなっている。

成功の裏側にある不安と孤独

たしかに仕事はある。紹介も増えた。数字だけ見れば「安定している事務所」なのかもしれない。でも、心の中ではぽっかりと穴が空いている。喜びよりも疲労感、達成感よりも虚無感のほうが強く感じる日もある。数字の裏にあるこの孤独や不安を、誰に話せばいいのかわからない。ただ黙って、また次の案件に向かう。そんな日々が続いている。

依頼はあるけど、喜びが薄れていく感覚

開業したばかりのころは、ひとつの依頼が本当に嬉しかった。どんなに小さな案件でも、「自分を信頼してくれたんだ」と誇らしく感じた。でも今は、依頼が来るたびに「またか」と思ってしまうことがある。こんなふうに感じるようになった自分に、失望すら覚える。司法書士としての原点を忘れてしまったのか、それともただ疲れているだけなのか。答えは出ないまま、今日もまた印鑑を押している。

感謝されるたびに、なぜか落ち込んでしまう

「ありがとうございました」と言われるたびに、自分の無感動さに気づかされる。喜ぶべき瞬間なのに、心が反応しない。その空虚さがさらに自分を追い詰める。昔は、感謝の言葉ひとつで数日頑張れたのに、今はそれすら届かなくなってしまった気がする。感謝されることが「当たり前」に感じられるようになったとしたら、それはきっと、どこかが壊れている証なのかもしれない。

それでも、今日も仕事場に向かう理由

こんなふうに心が折れそうになる日もある。それでも毎朝、目をこすって顔を洗い、事務所のドアを開ける自分がいる。逃げ出していないことが偉いわけではない。ただ、やっぱり自分にとってこの仕事は、どこかで大切なものだからだと思う。誰かの人生のほんの一部にでも関われているという実感が、心の奥底で自分を支えている。

誰かの人生を支えているという実感

ときどき、数年前に手続きを手伝った方が事務所にお菓子を持ってきてくれることがある。「その節はありがとうございました」なんて言われると、正直なところ驚いてしまう。「そんなに大したことしてないのに」と思いつつ、じわじわと胸が熱くなる。きっと、そういう瞬間のために、この仕事を続けているのかもしれない。

目立たなくても、必要とされている存在

テレビに出るわけでも、大きな拍手を浴びるわけでもない。でも、必要としてくれる人はちゃんといる。役所で迷っていた人が「先生のおかげで助かりました」と言ってくれたとき、「いてもいいんだ」と思えた。司法書士って、表には出ないけど、縁の下で支える仕事だ。その重みと誇りを、忘れずにいたい。

「ありがとう」の一言が支えになる

お金でも地位でもなく、最後に支えになるのは誰かからの「ありがとう」かもしれない。それを心から受け取れるようになるには、まず自分を認めることから始めるべきなのかもしれない。完璧じゃなくても、揺れても、涙をこぼしても、それでも「自分」を続けていくことが、この仕事をするうえで一番大切なことなのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。