また一人でお花見シーズンが来ました ― 司法書士、春の孤独と向き合う日

また一人でお花見シーズンが来ました ― 司法書士、春の孤独と向き合う日

満開の桜と、空っぽの心

今年もまた、桜の季節がやってきた。いつも通る川沿いの並木道も、ピンク色に染まって華やかだ。でも、私の心は逆にどんよりしている。毎年、桜は変わらず咲くのに、自分は何も変わらないどころか、年々孤独が増しているような気さえする。司法書士としての日々に追われながら、「ああ、またこの時期か」とため息をつく自分がいるのだ。

「きれいですね」と言える相手がいない現実

以前、近くのベンチに座って花見をしていたカップルの姿が印象に残っている。彼らは桜を見上げて「きれいだね」と笑い合っていた。何気ないやり取りなのに、その一言を口に出せる相手がいることが、どれだけ尊いのかを痛感した。私にはそんな相手がいない。桜を見てきれいだと思っても、その感動を共有する人がいないことが、春の空気をより冷たく感じさせる。

毎年同じ風景なのに、なぜか寂しさは増していく

桜並木の風景はずっと同じなのに、自分の感じ方は年々変わってきた。若い頃は「忙しくて花見なんてしてる暇はない」と言っていたが、今では暇ができても誰と行くわけでもなく、ただ一人で歩くだけだ。桜の美しさを味わう余裕はあるのに、それが逆に孤独を際立たせる。気づけば、スマホで写真を撮っても送る相手すらいない現実に立ち尽くしている。

事務所に戻れば書類の山、心は戻れない

花見帰りに事務所へ戻ると、机の上には未処理の書類が積まれている。毎日忙しいのはありがたいことだが、心はどこか置いてけぼりだ。依頼者の相談に真摯に応じていても、どこか心ここにあらず。桜の記憶だけがぼんやり残る。人と関わる仕事をしているのに、自分の孤独には誰も気づかない。そんな日々が続いている。

仕事は順調、だけどそれが虚しく感じるとき

司法書士としての仕事はありがたいことに順調だ。紹介も増え、業務量も安定している。でも、どこか心が満たされない感覚がある。淡々と登記手続きをこなし、相談を受け、報酬を受け取る。そんな日常の繰り返しが、ある日ふと“味のしない食事”のように思えてしまうのだ。

登記が終わっても、達成感が湧かない春

一件一件の仕事には責任を持っているつもりだ。けれど、春の空気に包まれるこの時期になると、なぜかその努力がむなしく感じてしまう。特に、桜が満開の中で急ぎの登記に追われていると、「自分は何をしているんだろう」と思ってしまう。お金のために働いているのか、誰かのためなのか、自分の心がどこにあるのかわからなくなる瞬間がある。

「感謝されない仕事」という孤独

司法書士の仕事は、基本的に“無事に終わって当たり前”とされる。登記が無事完了しても、感謝の言葉があるとは限らない。もちろん見返りを期待してやっているわけではないが、孤独な夜にふと、「誰かにありがとうと言われたいだけなんだな」と思うこともある。感情労働ではない分、心の乾きに気づきにくいのかもしれない。

事務員さんの花見写真と、無言で食べるカップ麺

先日、事務員さんが週末に行った花見の写真を見せてくれた。家族連れで楽しそうな様子が写っていた。私は「いいですね」と微笑んで応じたが、その後コンビニで買ったカップ麺を、ひとり事務所ですすりながら、妙な対比に笑ってしまった。誰も悪くない。ただ、私の“春”はそういう色なのだ。

誰かの“日常”が、こちらには“特別すぎる”

花見や家族での団らんが当たり前のように話されるのを聞くと、正直ちょっとしんどくなる。誰かにとっての“日常”が、自分には手の届かない“イベント”のように思えるのだ。別に羨んでいるわけじゃないと強がっても、内心ではやっぱり羨ましい。きっとそれが、独身という立場の“地味な痛み”なんだろう。

地元の桜は変わらないのに、自分だけが古びていく

若い頃から見てきた地元の桜並木。その姿はまるで昨日と同じように咲いている。でも、写っている自分の顔は年々老けていく。髪は少しずつ薄くなり、笑顔にも張りがなくなった。桜の前では、時間の残酷さがひときわ際立つ。変わらない自然と、変わっていく自分。そのギャップが、春をつらくさせる。

独身司法書士の春、SNSは目に毒

この季節、SNSには家族でのお花見や恋人とのデート写真があふれる。そこには笑顔と、温かな空気が漂っているように見える。見るたびに「自分には縁がなかったんだな」と思い知らされる。正直、アカウントを消したいと思うこともある。でも、完全に切ると仕事にも支障が出る。だからただ見て、心をすり減らしている。

結婚や家族に対する諦めと、時々湧き上がる嫉妬

結婚についてはもう諦めているつもりだ。けれど、春の陽気と笑い声に包まれると、その“諦め”の仮面がポロリと落ちることがある。「あのとき別の選択をしていたら」と考えても、今さら何も変わらない。それでも、少しだけ誰かを羨む自分がいることに、胸の奥がズキッと痛む。

それでも僕たちは、また明日も書類を見ている

どれだけ孤独を感じても、明日も変わらず依頼が入る。誰かの手続きを支えるために、また朝から書類を確認し、法務局と向き合う。寂しさも不安もあるけれど、この役目を投げ出すことはできない。そうやって自分を保っているのかもしれない。

桜の季節が終わっても、依頼は止まらない

花見の季節が過ぎ、街が緑に変わっても、仕事の忙しさは変わらない。季節に心を動かされる暇もなく、気づけば次の年度が始まっている。司法書士という仕事は、四季よりも“期限”が支配している。だからこそ、ふと季節の移ろいを感じた瞬間に、強烈な孤独が押し寄せてくるのだ。

一人の春に意味を持たせるのは、自分だけ

結局のところ、一人の春をどう過ごすかは自分次第だ。誰かと過ごす春がうらやましくても、それを待っているだけでは何も起きない。ならば、自分で何か意味を持たせるしかない。おにぎりを持って川沿いを歩くだけでもいい。小さな満足を拾い集めて、なんとかこの季節をやりすごす。それが今の私の精一杯なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。