静かな依頼人の訪問
ひと気のない午後の事務所
夏の終わりを思わせる湿った風が、古びたブラインドを揺らしていた。書類の山に埋もれながら、うとうとしていたところに、ひとつの影が差した。ドアをノックする音がしたのは、その瞬間だった。
「相続のことで相談がありまして」
静かで低い声の女性が、封筒を差し出した。無地の封筒に入っていたのは、手書きの遺言書だった。
不可解な相続関係
登記簿の裏に隠れた苗字の違い
被相続人の名義が記された登記簿を確認すると、どうにも引っかかる点があった。依頼人の姓と、相続するはずの不動産の名義人の姓が微妙に違っていたのだ。
戸籍上は父と娘。だが、婚姻による改姓とも違う。登記簿の中に、別の「家」の影がちらついていた。
「このあたりが、どうもサザエさんじゃないんですよね」隣の席から冷静にサトウさんが言った。
サトウさんの冷静な推理
一筆書きの遺言に潜む矛盾
遺言書は一筆書きで簡潔にまとめられていたが、日付の記載が曖昧で、証人欄にも署名がなかった。「法的効力は微妙ですね」とサトウさん。
だがそれ以上に、遺言に書かれた内容が、不自然だった。「全財産を長女に譲る」とあるが、他に兄弟がいた痕跡があった。
「わざわざ書くってことは、何かから逃げてた可能性がありますね」その冷静な指摘に、背筋がすっと伸びた。
依頼人が語った過去
家族の記憶と消えた兄の存在
「兄がいたんです。でも十年以上前に家を出て、それっきりです」依頼人は小さく笑った。
彼女の話によれば、父親と兄は些細なことで喧嘩し、家族から離れたという。戸籍上も除籍されており、行方は掴めていなかった。
だが、その兄の存在を、父が生前隠していた理由は何だったのか。
不自然な登記履歴
三年前の名義変更の謎
法務局のデータを漁ってみると、三年前に一度だけ、不動産の名義に手が入っていた。だが、実態は所有者のままで変わっていない。
名義の付け替えを試みたが、なぜか中止されたような履歴が残っていた。
「下手な怪盗より足がつきやすいミスですね」とサトウさん。何かを隠すために動いた誰かの影が、そこにあった。
深夜の法務局
旧姓で登録された不動産情報
閉館間際の法務局で、閲覧可能な旧姓情報を調べ直した。すると、かつて兄が同じ住所で名義変更を試みていた形跡が出てきた。
「やれやれ、、、」思わず独り言が漏れる。これは、意図的な隠蔽だ。兄は名義変更をしようとし、直前で止めていた。
理由は何か?登記簿は嘘をつかない。ただ、そこに記された文字の裏を読む者が必要なのだ。
サザエさん方式の家族構成
同じ屋根の下にあった別の名字
依頼人の母親が再婚していたことが、新たな戸籍で明らかになった。兄は実子、依頼人は義理の娘という複雑な構図だった。
それぞれが別姓で、同じ家に暮らしていた。まるでサザエさん一家のように、名字の多様性に満ちていた。
「そういう複雑さって、紙の上じゃ伝わりませんからね」とサトウさんがぼそりと言う。確かに、登記簿は血を語らない。
証人喚問と古い同居人の証言
やれやれ、、、また一歩前進
近所の古い住人から得た情報で、兄が実は数年前に一度だけ家に戻っていたことが判明した。その時、父と何かを話していたと。
「それがあの遺言書と繋がるとすれば……」ピースが少しずつ埋まっていく。だが、決め手がまだ足りない。
あのとき兄は、遺言ではなく、心の整理をしに来たのではないか。そんな気がした。
最後の一通の通知
登記簿に戻った正しい名義
再調査の末、兄が死亡していたことが判明した。無縁仏として処理されていたのだ。だが、死亡届を確認することで、名義変更の正当性が確保された。
「これで、この家は本当にあなたのものになります」
依頼人は、泣くでも笑うでもなく、ただ一礼して事務所を去っていった。
誰も知らなかった家族の形
静かに閉じる登記の記録
帰り際、サトウさんがぽつりとつぶやいた。「司法書士って、地味だけど面倒ね」
「うん、誰も知らなかったことが、紙一枚で明らかになるんだからな」
静かな灯のように、登記簿は今日もまた、過去の真実を照らしている。