朝起きた瞬間から、もう疲れてる
朝、スマホのアラームが鳴る音にすらうんざりする。目を開けるだけで、何かに負けた気がしてしまうような朝。別に夜更かししたわけでもないのに、疲れが抜けていない。いや、むしろ寝る前から明日のことが憂鬱で、眠れたのかどうかも怪しい。司法書士という仕事は、体よりも神経がすり減る。そのせいか、朝から「もうやめたいな」と口に出そうになる。けれど誰にも言えず、黙って顔を洗う。今日もまた、始まってしまった。
やることの多さに、目を開けるのも億劫
デスクの上には昨日の書類、メールの未読が20件、机の下には地味に期限が迫る登記申請の控え。朝の時点ですでに「詰んでる」感が漂う。それでも何かから逃げるようにコーヒーを入れ、パソコンを立ち上げる。スケジュール帳を開いた瞬間、胸がズンと重くなるのはもはや日課だ。予定がギチギチに詰まっているわけではない。ただ、1つ1つが妙に重たくて、神経を使うことばかり。目の前にある仕事の量じゃなく、圧の強さに心が沈む。
メールチェックだけで午前が終わる不思議
9時にメールを開いて、気づいたら12時。しかも、ひとつも終わってない。返信しようとして文面を3回消して、結局「後でいいか」で放置。何通かはクレームまがいの問い合わせ。自分はカスタマーサポートか?と皮肉の一つでも言いたくなる。結局、午前中の自分の労働は「気疲れ」という目に見えないゴミのようなものばかり。誰にも感謝されず、誰の目にも止まらないまま時間だけが過ぎる。そうして昼になって、「ああ、今日もまた始まってしまった」と、改めて思う。
「今、何の仕事してたっけ?」の無限ループ
作業を始めたはずなのに、気づくと何か違うことをしている。登記申請書を作ろうとして、電話が鳴り、ついでに郵便をチェックして、思い出したように請求書作って、また元の画面に戻って「何してたんだっけ?」。このループがひどい日は3回以上続く。ひとつひとつは小さな用事だ。でも、それが終わるたびに自分の集中力はゼロからやり直し。生産性なんて言葉は、うちの事務所には存在しない。こんな状態で“効率化”なんて、笑っちゃう。
相談じゃなく、ただの八つ当たり
「ちょっと聞きたいんですけど」から始まる電話が、本当に怖い。相談じゃなくて、ストレスのはけ口にされることもある。法律の話より、世間話が長い。しかも「どうせお金はかからないんでしょ?」という空気。誰にも文句を言えず、電話を切った後で天井を見つめる。こんなふうに、誰かの感情を一方的に受け止めるのが司法書士の仕事じゃないと思う日もある。だけど断れない性格だから、結局また電話に出る。そして、同じことの繰り返し。
「ちょっと聞きたいんですけど」が怖い
あの一言が来た瞬間、全神経がピンと張る。「相談」という名の雑談は、思った以上に長く、そして面倒だ。「簡単に言うと…」からが長い。こちらの時間は奪われ、話の核心は遠ざかるばかり。しかも話しているうちに相手のトーンが強くなっていくと、こちらが防戦一方になる。「専門家ならわかるでしょ?」という言葉の重さに、何度も潰されそうになる。こちらだって完璧じゃない。でも、わかってもらえることはほとんどない。
無料相談のつもりで来ないでくれ
「ちょっと聞きたいだけなんですけど」というセリフが実は一番手間がかかることを、当の本人は知らない。無料で情報を得られると思っている人の多さに、正直辟易している。中には1時間以上も話をして帰る人もいる。じゃあその1時間、他の仕事を止めて、何をしていたのか?誰が責任を取ってくれるのか?心の中では何度も叫んでいる。だけど、それを口に出した瞬間、信頼を失う。だから今日もまた、黙って笑顔を貼り付ける。
言い返せない性格だから余計につらい
怒鳴られたり、押し付けられたりしたとき、本当は「それは違います」と言いたい。でも、言えない。性格なんだろうなと思う。昔から争いごとが苦手で、理不尽なことにも黙ってしまう癖がある。だからこそ司法書士という職業が向いてる部分もあるのかもしれない。でもそれと引き換えに、心の中には溜まり続けるものがある。たまに夢の中でだけ怒鳴り返している自分が出てくる。それが唯一、ちょっとだけスカッとする瞬間かもしれない。
「今日も無事終わった」って、それだけで十分
何も劇的なことが起きなかった。怒鳴られず、書類も出し忘れず、帰宅して夕飯を食べられた。それだけで今日は「上出来」だと自分に言い聞かせる。特別なことはない。むしろ、何もないことこそがありがたい。そんなふうに、日々をこなすことに必死で、何かを成し遂げる余裕なんてない。でも、それでいいと思う。生きてるだけで、働いてるだけで、十分すごいって、誰かが言ってくれたらどれだけ救われるか。今日も、自分にそう言って寝ようと思う。
誰かに褒められなくても、生き延びただけでエラい
この仕事は成果が見えにくい。誰かに「ありがとう」と言われることも、年に何回あるかという世界。でも、地味に、確実に、人の人生を動かしている。派手じゃなくても、今日も誰かの手続きを一歩進めた。それだけでもう十分じゃないか。そう思わないと、やってられない日もある。自分で自分を褒める力がなければ、誰も認めてはくれない。だから心の中で、「よくやったな」とつぶやいて、また明日に向けて目を閉じる。
何も進まなくても、止まらなかったことに意味がある
やるべきことは山ほどある。でも、全部は終わらない。時には何も進まなかったと感じる日もある。でも、「止まらなかった」ことには価値がある。途中で投げ出さず、逃げ出さず、なんとか机に向かっていた。それだけで、十分立派だと思いたい。周りがどう言おうと、結果がどうであろうと、自分のペースでやるしかない。心が壊れないように、無理しすぎないように、今日を終えられた自分をそっと讃えたい。