笑顔が出ない朝に思う「また今日も戦いか」
朝、鏡の前で歯を磨きながら、ふと目が合う自分の顔に、うっすらとした疲れの色が浮かんでいる。別に夜更かししたわけでも、寝不足だったわけでもない。なのに、重たいまぶたと、引きつる口元に「今日も頑張るぞ」と言う気には到底なれなかった。司法書士という仕事は、たとえ感情が追いつかなくても、締め切りも義務もやってくる。毎日が戦い。そう思えば思うほど、笑顔というものはどこか遠い世界のもののように感じられてしまう。
コーヒーの味がしない月曜日
月曜日の朝、事務所に着いていつものようにドリップしたコーヒーを口に含んだ瞬間、「あれ、味したっけ?」と一瞬思う。疲れているのか、心がどこか麻痺しているのか。事務所の空気は変わらず静かで、事務員さんが「おはようございます」と声をかけてくれる。でも、その声に笑顔を返す余裕がない日もある。コーヒーの苦味も、挨拶の温度も、全部がどこか遠く感じる朝。人間って、こんなに自分の内側と外側がズレるもんなんだな、って思う。
「先生、元気そうですね」って言われたときの気持ち
依頼者から「先生、いつもお元気ですね」と言われると、正直なところ、少しだけ胸が痛む。「そう見せてるだけですよ」と冗談っぽく返すこともあるが、本音を言えば「笑ってるように見せてるだけです」が正しい。相手の不安を和らげるため、安心してもらうために、無理にでも口角を上げる。だけど、その笑顔が返って自分の心をすり減らす日もある。笑顔を武器にしてきたけど、もう刃こぼれしてるなって思う瞬間が、最近増えてきた。
無表情でもちゃんと働いているつもりです
世の中には「笑顔が素敵な人」がいて、それは本当にすばらしいことだと思う。でも自分はその対極。口数も少なく、どちらかと言えば無愛想な部類。とはいえ、誠実さでは負けていないつもりだ。淡々と業務をこなし、必要な説明は丁寧に伝える。そういうやり方でも信頼は得られると信じている。笑顔を売るサービス業ではないからこそ、無理に明るくしなくてもいい。そう思う一方で、やっぱり「先生、いつも怖い顔してますね」と言われると、ちょっとだけ落ち込む。
司法書士に“感情”は邪魔になることもある
ときどき、感情が顔に出てしまいそうになる。たとえば、相続の手続きで揉めに揉めた家族の立ち会いをしているとき。依頼者の一方がひどい暴言を吐いていると、こちらも人間だから腹が立つ。でも、そこを顔に出したら負けなのだ。中立でなければならない。だからこそ、感情を押し殺すクセがついていく。その結果、普段から表情がなくなっていく。笑うのを忘れたわけじゃない、ただ、感情を動かさないことに慣れすぎてしまったのかもしれない。
淡々と進めることが求められる職業病
司法書士の仕事は、感情よりも正確さが求められる。「早く・正しく・間違えずに」が基本。そのせいか、日々の業務でも“感情の起伏”は不要という意識が強くなりすぎている。気づけば、依頼者の前で喜びも悲しみも見せなくなった。誰かが泣いていても、ただ「はい、では次の書類です」と言っている。心の中では寄り添いたい気持ちもあるけれど、下手に感情を出すと、逆に仕事に支障が出る。それがわかっているから、笑顔さえ抑えてしまう。
ひとり事務所の孤独と責任のバランス
地方で一人事務所を構えて十数年。事務員さんは一人いるけど、実質的にはすべての責任を背負っている感覚。どんなに忙しくても、ミスが起きれば「先生の責任です」となる。だからこそ、気を張り続けている。孤独は慣れてきた。でも、誰にも言えない愚痴は、じわじわと心を蝕む。笑顔が出ない日には、この“ひとり”という構造が余計にしんどく感じる。
気軽に弱音を吐ける人がいない
友人はほとんど他業種だし、同業者とは仕事の話ばかり。しかも、地方だと横のつながりも少なく、何か話せる相手が限られてしまう。ふとした瞬間に「今日、つらかったな」と言える人がいないのは、思った以上に重たい。LINEを開いても、誰に何を送ればいいかもわからない。そんな日は、夜にコンビニで缶ビールを買って、テレビをぼーっと見ながら寝落ちするだけ。それでまた次の日の朝、笑えない顔で鏡を見る。
事務員さんに愚痴を言えない日々
事務員さんは本当に頑張ってくれている。こちらが忙しいときも、黙って支えてくれる。でも、そのぶんこっちが弱音を吐けない。上司として、雇用主として、しっかりしなければという意識が邪魔をする。以前、一度だけつい「今日はほんと疲れたな」と言ったら、「先生でもそんなことあるんですね」と返された。それ以来、なるべく弱音は飲み込むようにしている。
「先生は大丈夫ですよね」と思われている空気
「先生は大丈夫」「先生はしっかりしてるから」——こういう“信頼”の形に、自分が押しつぶされそうになる日がある。もちろん信頼されるのはありがたい。でも、こっちだって人間。笑えない日もあるし、逃げたくなる日もある。そんな自分を見せる場がないからこそ、このコラムを書く意味があると思っている。誰か一人でも、「自分だけじゃなかった」と思ってくれたら、それでいい。
笑わない日があっても、信頼は守ってるつもり
笑顔が出ない日も、仕事の手は止めない。それが、せめてもの誠意。依頼者に対して笑顔は出せなくても、間違いのない書類を仕上げること、期限を守ること、説明を丁寧にすること。それで信頼は作れると信じてきた。理想を言えば、明るく朗らかで、優しい先生でいたい。でも現実は、無表情で黙々と仕事をしてる自分。それでも、依頼者が「またお願いしたい」と言ってくれる限り、自分なりのやり方で続けていこうと思う。
「顔より結果」を信じたい自分
結局のところ、笑顔よりも大事なのは「ちゃんとやってくれる人かどうか」だと思う。特に司法書士のような職業では、その傾向は強い。表情が乏しくても、説明が明確で、処理が的確なら信頼は得られる。自分がそう信じているからこそ、笑顔を無理に取り繕わなくてもやってこれた。だけど、心の奥では「もっと人間味のある先生だったらな」と思われてる気がして、ふと寂しくなることもある。
笑顔が少なくても、依頼者には誠実でいたい
感情の波が激しい日でも、依頼者の前ではなるべく誠実でいようと思う。それは笑顔ではなく、言葉の丁寧さだったり、話を聞く姿勢だったりに表れる。相手の困りごとをちゃんと受け止める。それができれば、たとえ笑っていなくても、心は通じるんじゃないか。そんなふうに思うようになった。無理に笑うことはやめた。でも、誠実さは忘れないようにしている。
笑顔が戻る瞬間だってある
ずっと笑顔が出ないわけじゃない。ある日ふとした瞬間に、自然に笑えるときもある。誰かの何気ない言葉だったり、ほんの些細な出来事だったり。そんな小さなきっかけが、少しずつ自分をほぐしてくれる。笑顔を作ろうとしなくても、心が動けば顔にも出る。そういうときは「ああ、まだ大丈夫かもな」と思える。
ちょっとした「ありがとう」に救われる
依頼者から「先生、本当に助かりました」と言われたとき、不意に心が温かくなる。たった一言で、それまでの疲れや無表情が溶けていくような気がする。こちらは当然の仕事をしたつもりでも、相手にとっては人生の節目を支えたことになる。その事実に気づかされると、また明日も頑張ろうという気持ちが湧いてくる。笑顔は義務じゃないけど、自然と出るときにはちゃんと出てくれる。
笑顔じゃなくても、伝わる想いがある
ある高齢の依頼者が、手続きのあとにぽつりと「先生、なんか安心したわ」と言ってくれた。そのとき、自分は笑ってなかったと思う。ただ、丁寧に説明し、相手のペースに合わせて進めていただけ。でも、それでも安心してもらえたなら、笑顔以上のものが伝わったんだろうと思えた。無理に笑わなくても、相手の立場に立てば、ちゃんと届くものはある。
独身の夜にラジオから流れてきた励まし
ある夜、事務所で残業していたとき、ふと流していたラジオからパーソナリティの言葉が耳に入った。「笑えない日もあるけど、それもあなただから」。その瞬間、涙が出そうになった。誰にも言えなかったことが、電波越しに代弁された気がした。家に帰って、テレビもつけずにしばらく天井を見ていた。「明日もまた頑張ろう」ではなく、「今日はもう頑張らなくていいや」と思えた。
「今日だけは泣いてもいい」と言ってくれた言葉
そのラジオの最後に流れたのは、ちょっと古いバラードだった。歌詞に「強がらなくていいよ」というフレーズがあって、不覚にも泣いた。泣いたら、少し楽になった。司法書士という仮面は、いつも笑ってなきゃいけないわけじゃない。仮面を外して、泣いてもいい。そんな日があっても、自分はダメにならない。そう思えた夜のことを、ふと思い出すたびに、また一歩だけ前に進める気がする。