登記のミスは修正できるけど、恋は戻らない

登記のミスは修正できるけど、恋は戻らない

登記のミスは修正できるけど、恋は戻らない

恋愛よりも簡単な「相続登記」という現実

司法書士として日々相続登記をこなす中で、思うことがある。人間関係って、案外相続よりもずっとややこしい。相続登記ならば、書類さえ揃えば手続きは進むし、万が一ミスがあっても更正登記で済む。でも恋愛はそうはいかない。一度のすれ違いや言い方ひとつで、何年も築いてきた信頼が音を立てて崩れる。あの時もう一言謝っていれば、とか、電話一本していれば、とか、後悔だけが積もる。登記のように、恋の履歴に訂正印が押せればいいのに。

書類に不備があっても、やり直せる安心感

不動産登記では、登記官から補正通知が届くことがある。内容が不十分だったり、記載ミスがあったりしても、指摘に沿って修正すれば無事に通る。最初は焦っても、冷静になって対応すれば何とかなる。その点では、恋愛よりもずっと優しい世界だ。恋愛で「補正通知」なんて届かない。気づいた時には相手のLINEはブロックされていたり、音信不通だったりする。やり直しの余地をもらえるというのは、司法書士にとって当たり前でも、人生においては貴重なのかもしれない。

相手の気持ちは訂正申請できない

ある時、少し気になる女性と連絡を取り合っていた。お互いの距離感も悪くなく、「今度食事でも」とまで話が進んでいたのに、こちらの返信が一日遅れたことで、急に相手の態度が冷たくなった。その後いくら丁寧に返しても、何も返ってこなかった。あれが「訂正申請」でどうにかなればどんなに楽だろう。恋愛には公的ルールもなければ、登記官もいない。正解のない世界で、僕はいつも迷子になる。

事務所に届くのは書類だけ、愛の手紙は来ない

朝一番でポストを開けると、大抵は司法書士会からのお知らせか、金融機関からの書類。せいぜいDMが一枚混ざっているくらいで、心が動くような手紙は来ない。今どきラブレターなんてものは期待していないが、やはりふと「僕宛の“想い”が届くことなんて、この先あるのかな」と思ってしまう。書類が届くたびに「今日は何件処理しようか」と事務モードに切り替えるが、心のどこかで、何か別のものを待っている自分がいる。

郵便受けの中身が語る孤独

ポストの中に封筒が5通、うち4通が登記完了通知。1通が市役所からの固定資産税に関する案内。こんな日は、少しだけ自分の人生が空っぽに感じる。かつて付き合っていた女性がいた頃は、何かと手紙やメモをやりとりしていたことを思い出す。今ではそんな温もりのある紙が一枚もない。業務効率は上がったが、心の温度は下がる一方だ。

ラブレターより登記識別情報通知が嬉しい自分

皮肉な話だけれど、最近ではラブレターより登記識別情報通知が届いたほうがテンションが上がる。仕事が回っているという証だから、安心もする。でも、ふと我に返ると「それってどうなんだ?」とも思う。恋愛より仕事を優先し続けた結果、気がつけば誰にも頼られないままになっていた。誰かの人生に関わる書類を整えることはできても、自分の人生のバランスは整えられない。

「共有名義」のように、気持ちも共有できたら

夫婦や親子で不動産を共有名義にするケースは多い。でも、名義を共有したからといって、気持ちまで共有できるわけではない。ましてや恋人関係なら、法的な枠もない。ただ一方的な期待と不安が交錯するだけだ。せめて「気持ちの共有割合」でも可視化できたら、どれだけ楽だろう。あの人は70%の想い、僕は90%。そうやって均衡を保てれば、すれ違いも防げたのかもしれない。

法定持分と気持ちのバランスは別物

ある依頼で、きっちり2分の1ずつの持分で登記をした夫婦がいた。「フェアにしておきたいんです」と笑って話す姿が印象的だった。だがその数年後、その夫婦は離婚した。書類上は完璧でも、心のバランスはどこかで崩れていたのだろう。恋愛も結婚も、数字では測れない繊細な世界だ。司法書士の仕事は正確さが命だけれど、感情の世界では、それがかえって邪魔になることもある。

モテる司法書士って本当にいるの?

たまに、他の士業仲間と集まると「最近どう?モテてる?」なんて冗談が飛び交う。だが、モテる司法書士って実在するのだろうか。登記や法律の話はデートには不向きだし、仕事が忙しすぎて恋愛どころじゃないというのが本音だ。自分が恋愛から遠ざかっているのは年齢のせいか、性格か、職業か。答えの出ない疑問を、夜遅くの帰り道にぼんやり考えている。

士業合コンの現実と絶望

一度だけ、「士業限定合コン」なるものに参加したことがある。弁護士、税理士、社労士と一緒に、同じような日常を送る人と出会えると思っていた。だが、集まった女性たちは「仕事が忙しそう」「付き合ったら大変そう」という印象を持ったようで、まったく盛り上がらなかった。こちらも、初対面で登記の話をしてしまったのが失敗だったのかもしれない。空回りの夜だった。

それでも、誰かの人生には寄り添っている

独り身の司法書士でも、誰かの人生に深く関わっている実感はある。相続の手続きを通じて、故人の想いや家族の葛藤に触れることもある。恋愛とは別のかたちではあるけれど、確かに「人の心」に寄り添っている仕事だと思う。ふとした瞬間に「ありがとう」と言われると、ほんの少しだけ救われたような気持ちになる。

不動産の名義を通して、見えてくる人生の節目

登記というのは単なる作業ではない。離婚後の財産分与、亡くなった親の遺産整理、新築祝いの所有権移転。どれも、その人にとって大きな人生の節目だ。そうした瞬間に立ち会えるこの仕事は、やりがいがある。たとえ恋愛はうまくいかなくても、人の人生を支える側でいることには、誇りを持ちたいと思っている。

この孤独を笑い話にするために、今日も書類を綴じる

どうにもならないことが多すぎる日々。恋愛のこと、家族のこと、自分の未来のこと。でもせめて、この孤独を笑えるようになれたらいい。誰かに「そんなこともあったんですね」と言ってもらえるような、そんな自虐ネタにでも昇華できたら、少しは楽になるのかもしれない。今日も、書類を綴じながらそんなことを考えている。

笑って話せる日は来るのか

今はまだ、自分の恋愛遍歴を語って笑う余裕はない。でも、5年後、10年後に「まあ、あの頃は大変だったよ」と言える日が来ることを願っている。そのためには、目の前の仕事を誠実にこなすしかない。そんな不器用な生き方しかできないが、それが僕のスタイルだ。

恋も仕事も、たまには間違えてもいい

司法書士はミスを恐れる職業だ。でも、人間なんだから、完璧じゃなくて当たり前。恋愛でも、仕事でも、時には間違うし、後悔もする。ただ、その経験があるからこそ、誰かの痛みに気づけるようになる。そう思えるだけでも、少しは救われる。今日もまた、誰かの人生に寄り添う書類を、一枚一枚丁寧に綴じている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。