肩書より名前で呼ばれたい夜もある
「先生、お世話になります」。電話口でそう呼ばれることに、最初の頃は誇らしさもあった。でも、10年、20年と経ってくると、それがただの“役割”の一部に感じられてくる。仕事が終わって、事務所の灯りを消すと、ふと、「ああ、自分は今日、一度も“名前”で呼ばれていないな」と思う夜がある。名前で呼ばれるというのは、ただの言葉以上に、人と人との温度を確かめるような行為だ。司法書士という肩書が生活を支えてくれてはいるけれど、それだけじゃ心の乾きは癒えない。
誰かに「○○先生」と呼ばれ続けて見失うもの
「先生」と呼ばれるのはありがたい。信頼の証でもあるし、立場的に当然ともいえる。でも、それが当たり前になると、自分自身の“人間らしさ”が削がれていくような気もしてくる。「先生はどう思いますか?」「さすが先生ですね」と言われるたびに、求められる像に応えなければいけないという圧が積み重なる。名刺に書かれた肩書ではなく、その向こうにいる“ただの自分”の存在が、薄くなっていく。
「敬称」が嬉しいのは最初だけだった
開業当初は、「先生」と呼ばれるたびに、少し誇らしい気持ちがあった。大学を出て、修習して、やっとの思いで司法書士になった。その称号がついたことで、ようやく自分が社会の一員になれたような気がしていた。でも、時が経つと「それ以外の自分」がどんどん置いてきぼりにされていく。仕事の話しかしない日々、敬語と丁寧語で塗り固められた対人関係。人間らしい雑談や冗談ができないまま、時が過ぎていく。
肩書が自分を支えてくれる反面、縛ってもくる
司法書士という肩書がなければ、今の生活はなかった。だからこそ、感謝もしているし、誇りもある。でも、「肩書に人間が飲まれる」というのは、まさにこのことだ。クライアントは“私”ではなく、“司法書士”に相談してくる。悩みも怒りも、すべて肩書で受け止めなければいけない。たまに、ひとりの人間として、「それはしんどいよね」と言ってほしい。それだけで、また次の日も頑張れる気がするのに。
「先生」と呼ばれても、結局は孤独な一人暮らし
「お忙しいんですね、先生」と言われても、帰宅しても誰かが待っているわけじゃない。冷蔵庫にはいつ買ったか分からないお惣菜と、賞味期限ギリギリの納豆だけ。事務所では頼られ、街では一応“先生”として知られているかもしれないが、自宅に帰れば誰もいない。テレビの音がやけに大きく感じる夜は、むしろ無音のほうがまだマシだと思えてくる。孤独と肩書は、妙に相性がいい。
仕事が終わっても、会話が終わらない夜
家に帰っても、頭の中は依頼者の相談の続きを勝手に始めてしまう。「あれ、あのケースはもう少し調査が必要か」「あの書類、明日中に回収しなければ」と、夜中にふと目が覚めてスマホを確認する。まるで脳内会議。結局、肩書を引きずったまま布団に入って、夢の中でも書類をチェックしている自分がいた。こんな生活がずっと続くのかと不安になる夜もある。
誰にも名前を呼ばれずに一日が終わる感覚
ふとした時に、「あれ、今日は誰にも“名前”で呼ばれてないな」と気づく日がある。事務員さんからも「先生」、依頼者からも「先生」、電話越しでも「先生先生先生」。人としてじゃなく、役職でしか見られていないような気がしてくる。昔、母が電話口で「たっくん」と呼んでくれた記憶が急に蘇る。肩書じゃない自分に戻りたくなる夜って、案外あるもんだ。
優しさが裏目に出ることもある
司法書士の仕事は人と人との間に立つ仕事でもあるから、どうしても“聞き役”に回ることが多い。つい、相手の事情に共感して、予定外の業務も引き受けてしまう。優しいと言われることもあるけれど、それは「断るのが苦手」なだけかもしれない。相手の感情を優先するあまり、自分の限界を見失う日もある。優しさが自分を追い詰めることもあるのだ。
つい依頼者の無理を断れない性格
「今日中にお願いできませんか?」と言われて、「無理です」と言えないことが多い。心のどこかで「断ったら悪いな」「他を当たられたら困るな」という気持ちが湧いてくる。自分を守るために断るべき場面でも、相手の都合に合わせてしまう。結果、心身ともに限界を迎えてしまうのは、自分なのに。
自分の感情を後回しにしてしまうクセ
「疲れたな」「今日はもう無理だな」と思っても、それを口に出せる相手がいない。事務員さんに心配をかけたくないし、依頼者には関係のない話だと思ってしまう。だから、自分の感情はぐっと飲み込んで、仕事を続ける。そうして積み重なった“しんどさ”は、名前で呼ばれたいというささやかな願いになって現れる。
肩書よりも、名前で呼んでくれる存在が欲しい
たとえ恋人じゃなくてもいい。家族でも、友人でもいい。ただ、「○○さん」とか、「おかえり」とか、そういう当たり前の言葉で名前を呼んでくれる人が一人いるだけで、救われる気がする。肩書を脱ぎ捨てて、ただの人として関われる関係性が、この仕事には何より必要なんじゃないかと、最近よく思うようになった。
名前を呼ばれるだけで救われる夜もある
たとえばコンビニの店員さんが、レシートを渡しながら「○○さん、いつもありがとうございます」と言ってくれた日、胸がじんと熱くなった。名札を見て、名前を呼んでくれるだけで、こんなにも嬉しいものなのかと驚いた。小さなことだけど、それだけで「また明日も頑張ろう」と思える。それが人間らしさだと思う。
司法書士ではなく、ただの人として関わりたい
「司法書士としては優秀」でも、「人として孤独」では、本末転倒な気がする。少し弱音を吐いても、名前で呼んで笑ってくれる誰かがいたら、それだけでずいぶんと違ってくる。この仕事は、確かに“名前”で食っていく職業かもしれない。でも、最後に支えてくれるのは、“人と人との名前で呼び合える関係性”なんじゃないかと、そんな風に思っている。