居酒屋の“おひとりさま席”に救われた夜

居酒屋の“おひとりさま席”に救われた夜

居酒屋の“おひとりさま席”に救われた夜

一日の仕事が終わったとき、誰とも話さずに静かに過ごしたい夜がある。そんな夜に救いとなるのが、あの“おひとりさま席”だ。地方で司法書士として働く私は、日々の業務と責任、依頼者とのやり取りで神経をすり減らし、夕方になると心がぽっかり空いてしまう。そんなとき、カウンターの端っこにある小さな席に腰を下ろすと、ふっと肩の力が抜けるのを感じる。あの空間は、ただの席ではない。誰からも干渉されない“避難所”だ。

電話も鳴らず、誰も来ない静けさが欲しかった

平日は常に電話が鳴っている。登記の相談、裁判所への対応、クライアントからの急ぎの案件。静かな時間なんてほとんど存在しない。事務所を出てもスマホが鳴りっぱなしで、休んだ気になれない日々が続いていた。ある日、とうとう限界が来て、「今日は誰の声も聞きたくない」と思った。そして辿り着いたのが、あの居酒屋のカウンターだった。そこは、誰にも話しかけられない場所だった。注文は一言だけで済むし、店員もこちらの気配を察して無理に笑いかけてこない。ただ黙って酒と肴が出てくる、その距離感が心地よかった。

「おつかれさま」の一言が、逆につらい夜もある

「おつかれさまです」と言われて、余計に疲れを思い出してしまう夜がある。その言葉が優しすぎて、返す元気もなくなることもある。仕事の疲れは身体より心に来る。特にミスのフォローや、感情をぶつけられた日なんかは、誰かの善意すら重く感じる。そんな夜は、言葉も交わさない“おひとりさま席”の空気がありがたい。黙って座って、黙って食べて、黙って帰る。その静かな時間が、次の日を乗り越えるための充電になる。

一人飲みという逃げ場のありがたさ

逃げ場があるということは、思っている以上に大事だ。家に帰っても誰もいない。誰にも文句を言われない自由はあるが、逆に言えば、誰にも頼れない。そんなとき、ひとり飲みできる場所の存在は救いになる。自分のために、自分で選べる時間。それがあるだけで、孤独が少し和らぐ。

カウンター席の端っこが指定席になった

常連と呼ばれるには早いが、何度か通ううちに、店員さんが気を利かせて「いつもの席、空いてますよ」と言ってくれるようになった。正直、それが少し嬉しかった。誰かに覚えられている安心感。とはいえ、詮索されることはない。名前も聞かれないし、仕事のことを根掘り葉掘り聞かれることもない。静かにしていれば静かにしていられるという、それだけの信頼関係がある。

一人で飲んでても、誰も不思議がらない世界

世間の目が気になるタイプなので、ひとりラーメン、ひとりカフェは多少抵抗があった。でも、ひとり居酒屋はなぜか違った。むしろ「ひとりで来てるのが普通」みたいな雰囲気がある。まわりも似たような雰囲気の人たちばかりで、黙って飲み食いしている。目も合わないし、話しかけることもない。それがありがたい。

「誰にも迷惑かけてない」って大事

ひとりでいると、何か悪いことをしているような気分になることがある。でも、居酒屋のカウンターではその感覚が消える。飲みたいから飲んでる、休みたいから休んでる。それだけの理由で、咎められない空間があるのは貴重だ。社会の中では「効率的に動け」「成果を出せ」と責められることが多いが、ここではただ存在するだけでいい。

黙って飲む自由がある場所

会話がないと気まずくなる場面って、世の中にはたくさんある。電車の中、エレベーターの中、職場の給湯室。でも、居酒屋のカウンターではその「沈黙」が自然だ。むしろ話さないことで、距離が保たれている。その静けさこそが、ここを選ぶ理由になる。仕事では常に誰かと話さなければならない。だからこそ、話さない自由があるのは、本当にありがたい。

居酒屋という名の“避難所”

「避難所」というと大げさかもしれないが、精神的にはその通りだ。ストレスからの避難、疲労からの避難、人間関係からの避難。誰にも見られず、誰にも追われず、ただ自分を緩められる場所。そんな場所が日常の中にあるだけで、心の持ちようがまるで違う。

酒はそんなに強くないけど

実は酒にはそんなに強くない。すぐ顔が赤くなるし、量も飲めない。それでも居酒屋に通うのは、酒が目的ではなく「雰囲気」が目的だからだ。酒は手段であり、口実。注文するのはたいてい、ビール一杯と焼き魚、小鉢ひとつ。これだけで1時間くらいゆっくりできる。その間に、少しずつ心がほどけていく。

他人の笑い声に癒やされる瞬間

隣の席から聞こえてくる笑い声が、妙に心地よいことがある。自分とは関係ない会話。だけど、その楽しそうな声に救われる。不思議なもので、他人の幸せそうな雰囲気に触れると、少しだけ自分も許されたような気分になる。うるさすぎると逆にしんどくなるけど、程よいざわめきはむしろ心のBGMになる。

隣の会話にちょっと救われる

「今度結婚するんだって」「うちの子がさー」みたいな話が耳に入ってくると、まるでテレビの中の世界みたいに感じる。自分には関係のない幸せ。でも、その存在を感じられるだけで、なんだか人間らしい気持ちを取り戻せる。自分の世界が狭くなりすぎていたことに気づかされる瞬間だ。

「また来てくださいね」が沁みる理由

帰り際、店員さんが軽く声をかけてくれる。「また来てくださいね」——たった一言。でも、それが沁みる。誰にも期待されていない日々の中で、「あなたがここに来ることを歓迎しますよ」と言ってくれているようで、胸が熱くなる。居場所のなさに疲れていた自分にとって、それは思っている以上に大きな救いだった。

司法書士の仕事と孤独感のはざまで

司法書士の仕事は、誰かの人生に関わる重い仕事だ。けれど、そのぶん、自分のことを後回しにすることが多い。気づけば、心に余裕がなくなっている。孤独を抱えたまま働いている司法書士は、意外と多いのではないかと思う。誰にも言えないストレス、誰にも見せられない弱さ。それをほんの少しだけ手放せる場所が、あの“おひとりさま席”なのだ。

誰かのために動いても、自分の居場所は見つからない

仕事では常に「誰かのために」を意識して動いている。でも、それがそのまま「自分のため」になることは、案外少ない。ありがとうと言われることもあるが、トラブルの矢面に立つこともある。やりがいと疲弊が隣り合わせの日々の中で、自分自身の気持ちを置き去りにしがちだ。

忙しさの反動が、一人飲みに出る

忙しいときほど、一人になりたくなる。人に囲まれて働いている時間が長いと、逆に誰とも関わりたくないという感情が湧く。その反動で、つい居酒屋に足が向く。誰にも話しかけられずに済む“おひとりさま席”は、忙しさの反動を受け止めてくれる、ちょっとした避難場所だ。

「誰かのため」は「自分のため」にはならない

人の役に立つことが好きで司法書士になった。でも、誰かのために動くたびに、自分が置いてけぼりになるような気がすることがある。正義感や使命感だけでは続かない。だからこそ、自分の気持ちを整える場所が必要だ。一人でいる時間は、その大事なメンテナンスなのだ。

気づかないうちに、心が擦り減っている

ある日、ふと鏡を見て「なんか疲れた顔してるな」と思った。それが、自分の心が擦り減っているサインだった。そういうときこそ、無理に頑張らず、あの居酒屋のカウンターでぼーっとする時間を取る。誰にも見られず、誰にも求められず、自分だけの時間を持つこと。それが、また次の日を生きていく力になる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。