ときどき全部リセットしたくなる

ときどき全部リセットしたくなる

ときどき全部リセットしたくなる

「全部やめたい」と思う夜がある。地方の司法書士として開業して十年以上経つが、ふとした瞬間に頭の中で「もういいかな」という声がこだまする。地味で地道な仕事。失敗は許されないのに、感謝は目立たない。心のどこかで「このまま続けていて、どこに行くのだろう」と、冷めた自分がひょっこり顔を出すことがある。がんばってきた積み重ねさえ、時に重荷に感じる夜。そんなとき、何もかもゼロにして、知らない土地で知らない仕事をしてみたい――そんな妄想に救われることもある。

仕事を頑張るほど、どこかで虚しくなる

やればやるほど「何のためにやってるんだろう」という気持ちになる日がある。依頼を受けて書類を整え、登記を申請し、無事に完了したときの達成感は確かにある。でも、誰かに拍手されるわけでもないし、成果が形になるわけでもない。しかもこちらはひとりで、誰とも喜びを分かち合えない。最近、コンビニでレジを打っていた学生アルバイトが、笑顔で「お疲れ様です」と言ってくれた。その一言に救われた。そんな自分に気づいて、ますます虚しさを覚えた。

忙しさに埋もれて、自分がどこにいるかわからなくなる瞬間

忙しく働いていると、自分が機械の一部のように感じることがある。朝から電話、役所、銀行、クライアント訪問。昼飯もコンビニのおにぎりを立ったまま食べて、また移動。夕方には役場の窓口に駆け込んでギリギリの申請。家に帰ってシャワーを浴びると、もう夜の10時。そこから晩酌をしながら「何やってんだろうな」と独りごちる。自分の人生を生きている感覚が希薄になるとき、自分が「ただの業務処理装置」になった気がして、怖くなる。

毎日仕事があるのに、なぜ「生きてる感じ」がしないのか

「忙しい=充実している」なんて、誰が決めたんだろう。仕事があるのはありがたいことだけど、それだけで心が満たされるわけじゃない。毎日、ひたすら予定をこなしているだけで、自分の心がどこか遠くへ行ってしまっている感覚がある。仕事を終えて寝床に入っても、「あれ、今日何か楽しいことあったっけ?」と考える。気づけば、何ヶ月も自分のために時間を使っていない。それなのに「仕事してるから偉いでしょ」と胸を張るのは、どこか違う気がしてしまう。

リセットしたくなるのは、逃げじゃない

「全部やめたい」と感じる瞬間に、逃げてる自分を責めるのはやめた方がいい。心が限界を知らせてくれてるんだと思う。かつて、同業の先輩が突然事務所をたたんで旅に出たことがあった。「しばらく帰ってこない」とだけ言い残して。彼は逃げたんじゃない、自分を取り戻しに行ったんだと、今なら思う。誰だって、時には立ち止まって、方向を見直したくなる。それを許せる自分でいたいと思う。

「もう全部投げ出したい」の正体は、たぶんSOS

クライアントのトラブルが連続して、役所の対応も悪く、スタッフとの関係もぎくしゃくしていたある日。何もかもに嫌気がさして、事務所のドアを閉めた瞬間、自然と涙が出たことがあった。原因はひとつじゃなく、積み重なっていたストレスと孤独感の爆発だったと思う。そういうとき、「全部投げ出したい」は単なる怠慢ではなく、心が出すSOSのサインだ。誰かに助けてほしい、ちょっと休ませてほしい。そう言えるだけで、もう少し楽になれるかもしれない。

「全部やめたい」の裏にある、ちゃんとした理由

実際、「全部やめたい」という気持ちの奥には、「このまま続けていて本当に大丈夫だろうか」という不安が潜んでいる。収入の不安定さ、人手不足、年齢的な体力の衰え、社会的信用の重圧…。どれも目を背けたい現実だけど、無視できない。だからこそ、「やめたい」と口に出すことは、自分とちゃんと向き合っている証なのかもしれない。問題を抱えている自分を否定せず、まずは認めてやることが、第一歩だと思う。

地方でひとりの開業司法書士という現実

東京のように案件が多いわけでもない、同業者が多すぎるわけでもない。地方には地方の孤独がある。相談は減る一方で、手続きだけが機械的にやってくる。人との交流も限られ、気づけば一日誰とも会話していない日もある。こんな働き方、社会的には「自由」と言われるかもしれないが、実際は「孤立」に近い。自由であることが、こんなにも寂しいなんて、開業前は知らなかった。

お客様に感謝されても、なんだか心は満たされない

「助かりました、本当にありがとうございました」――お客様のそういう言葉に嘘はないと思う。けれど、それで自分が満たされるかというと、また別の話だ。承認欲求や達成感とは違う、「誰かとちゃんと繋がっていたい」という欲が、心のどこかで疼いている。それを仕事だけで満たそうとするのは、無理があるのかもしれない。人と関わっているようで、実際は一方通行なこの職業の特殊性が、じわじわと精神を削ってくるのを感じている。

成果が見えにくい仕事の中で、自分をどう保つか

司法書士の仕事は、「うまくやったほど目立たない」という不思議な性質を持っている。完璧に処理すれば何も起きない。クレームもない。けれど、トラブルが起きたときだけ注目され、責任を問われる。そんな構造の中で、日々の自分の頑張りをどう評価すればいいのか、悩む。誰も気づかない成果を、誰よりも自分が認めてやらなければ、心がもたない。そういう意味で、自分自身のいちばんの味方になる練習をしているのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。