朝一番の電話
事務所の電話が鳴ったのは、朝のコーヒーに口をつけた瞬間だった。受話器越しの声は、やけに落ち着いた女性のものだった。「相続の相談をお願いしたいんですが……」それ自体は珍しくもなんともない。問題は、相談内容だった。
「被相続人に隠し子がいるかもしれないんです」
ああ、また厄介な話だ。朝から胃が重たくなるような案件である。
亡くなった男と相続相談
亡くなったのは地元の資産家、田代豊。土地と古いアパートを所有していたが、結婚歴は一度だけで、子供はいないというのが公式な話だった。遺言も作られていて、全財産は妹の息子、つまり甥に譲ると明記されていた。
だが、依頼人は違うことを言う。「私の息子は田代の子供です」と。
戸籍に見当たらない息子の名前
戸籍を調べてみても、その名前はどこにもなかった。出生届すら提出されていない。父親欄は空欄。こんな時、司法書士は警察でも裁判官でもない。けれども、真実に近づくために、できることはある。
やれやれ、、、またサトウさんに怒られそうな案件を引き受けてしまった。
怪しい依頼人の登場
事務所に現れたのは、地味な身なりの女性だった。髪をきつく結い、黒いスーツに身を包んでいるが、目だけは異様に強かった。彼女の口から出たのは、意外な事実だった。
「田代は、私の息子を認知しようとしていました。でも間に合わなかったのです」
「遺言には名前がある」と語る女
さらに彼女は、田代の遺言状の中に「ユウマへ」という名前があるという。遺言は公正証書だ。検認不要の形式でありながら、言葉一つが証拠となりうる。しかし、戸籍がなければ、その「ユウマ」が誰か証明できない。
完全に、法の隙間で宙ぶらりんだ。
旧姓と転籍をたどる謎の系譜
依頼人の旧姓や住民票の履歴を洗っていくと、数回の転居と転籍があった。しかも転籍先が、田代の出生地にほど近い町。偶然とは思えない。母親と田代が過去に関係を持っていたのは、まず間違いない。
しかし、証明は難しい。相続というのは、真実より書類がものを言うのだ。
市役所と除籍簿との闘い
僕とサトウさんは、手分けして戸籍と除籍簿を取り寄せることにした。役所は古い書類の扱いに慎重だ。まるでコナンの事件で重要なカギを握る古文書のようだ。地味だけど、ここが一番の山場になる。
除籍簿に見つかったのは、田代豊の父母と並ぶ形で、もう一人の名前。だがすぐに抹消されていた。
見つかった昭和の記録
そこには、「養子縁組解消」とだけ書かれていた。生まれてすぐに養子として迎えられ、すぐに縁組を解かれた者の名。漢字も、生年月日も、依頼人の息子と一致していた。これは偶然ではない。
つまり、「隠し子」ではなく、一度だけ公に存在した子だったのだ。
そこにあったはずの名前が消えている
けれど、なぜその名前は今の戸籍に残っていないのか。出生届が出されていなかったのか、それとも消されたのか。これはもう、紙の上の探偵ごっこではなく、感情と時間に踏み込む必要がある。
まるで怪盗キッドの仕掛けた謎解きのようだ。鍵は、意外なところにあった。
サトウさんの冷静な推理
「養子縁組の時期と、除籍簿の内容。これ、おかしくないですか?」
サトウさんが差し出した書類を見て、僕は一瞬でピンと来た。
日付が、ずれていたのだ。
養子縁組か認知か それが鍵だ
養子縁組の後に出生届が出されていた。つまり、生まれてすぐに養子縁組をし、その後で正式に出生が記録された。普通は逆だ。これは父親の「隠す」意志が働いた痕跡ではないか。
認知もしていないのに、なぜ養子縁組したのか? いや、だからこそ養子にしたのかもしれない。
指摘された日付の不自然さ
サトウさんの言う通り、どのタイミングでどの書類が作られたのか、順番が奇妙だ。もしかしたら、田代は認知を避けるために、あえてこの手続きをとったのかもしれない。
だとすれば、遺言に名前を残したこと自体が、罪滅ぼしだったのか。
封印された認知届
調査の末、役所で見つけたのは提出されなかった認知届の下書きだった。印鑑は押されていたが、提出日は空欄。未提出のまま田代は亡くなっていた。
まるでルパンが盗む寸前で美術品を残していったような、中途半端な痕跡だった。
出生届と戸籍のタイムラグ
出生届も、通常より数ヶ月遅れて提出されていた。親の判断ひとつで、子の人生がここまで不確かなものになるのか。司法書士としての限界を感じながらも、法的に突破口はないかと模索した。
答えは、協議にあった。
父と母の間に交わされた秘密の合意
依頼人が示したのは、田代からの手紙だった。「次に会った時、すべて話す」そう記されていた。そして、生前の田代が母子の生活費を一部支援していた記録も出てきた。非公式な形での認知のようなものだった。
この事実を元に、僕は動いた。
登記簿の空白が語る真実
田代名義の土地の登記簿を見ると、あることに気がついた。住所が、一度だけ依頼人の住所と重なっていたのだ。わずか半年の記録。それだけでも、関係を裏付ける材料になる。
もしかすると、田代は生前、息子のためにこの土地を残そうと考えていたのかもしれない。
遺産対象の土地の登記に異変
登記上の異変は、他にもあった。通常の評価額より低く登記されていたのだ。これは、相続税のためではなく、誰か特定の人に譲るための準備だったのではないかと考えられた。
それが「ユウマ」だったのだ。
所有者住所の記載ミスが手がかりに
さらに、登記簿に誤記があった。筆頭者住所の一文字違い。普通ならただのミス。しかし、これは意図的に情報をずらす手口として、古くからよくある。サトウさんが調べた不動産ミステリー漫画にも似た例があった。
やはり、田代は何かを隠し、残そうとしていた。
依頼人の正体
「私は、父のことを恨んでいません」
依頼人の言葉は静かだった。彼女は息子のために、父の意志を確認したかっただけなのだ。
金でも名誉でもない。ほんの少しの証明が欲しかっただけ。
涙ながらに語られる生い立ち
依頼人の息子は、ずっと父親を知らずに育っていた。けれど、なぜか父に似た野球が好きで、県大会まで進んだことがあるという。僕と同じように、、、ああ、やめておこう。
人生って、意外なところでつながっている。
父の最後の電話と一通の手紙
田代が亡くなる数日前、依頼人に電話をかけていた記録が残っていた。そして、手紙の中に「司法書士に相談しろ」と書かれていた。どうやら、僕が選ばれたのは偶然じゃなかったらしい。
「やれやれ、、、面倒な役回りだ」思わず独り言が漏れる。
やれやれの真相解明
僕が用意したのは、全相続人による遺産分割協議書。そこに「ユウマ」の名前を載せてもらう。法的には限界があるが、全員が合意すれば、非嫡出子でも相続の一部を得ることは可能だ。
甥が意外にも快諾した。「伯父さんに子がいたなら、当然のことです」と。
実子の証明と法の壁
結局、正式な認知はできなかった。だが、全員の気持ちがそろえば、法律の壁も少しだけ動く。そういう瞬間を見られるのも、この仕事の面白いところだ。
サトウさんが横で「たまには役に立ちますね」と笑った。
真実は認められても戸籍は動かない
結末は、なんとも不完全燃焼だった。戸籍は変わらない。息子としては記載されない。だが、父からの遺産の一部は受け取れるようになった。わずかでも、血の証明にはなった。
それで、よかったのだと思いたい。
司法書士の苦い結論
また一つ、誰かの過去に踏み込んでしまった。正直、こういう案件は疲れる。だけど、逃げるわけにはいかない。僕たちの仕事は、物語を終わらせるための手続きだ。
その先に、少しでも救いがあれば、それでいい。
法の網の目をすり抜けた過去
田代が選んだ方法は、法律を避ける道だった。だが、そこにあったのは冷たさではなく、不器用な優しさだったのかもしれない。僕には、そんなふうに見えた。
まあ、どうでもいいけどね。
それでも遺産分割協議に光を
最終的に、公証役場と法務局で手続きを終えた帰り道、コーヒーがやけに美味く感じた。やっぱり、自販機の缶コーヒーが一番落ち着く。
「シンドウさん、次の相談者来てますよ」
現実は、待ってくれない。
静かに閉じる一章
戸籍の裏にあった、小さな物語がひとつ終わった。それでも、きっと世の中には、まだまだ記録されていない人生がある。
僕たち司法書士の仕事は、そういう人生の痕跡を、そっと拾い上げることかもしれない。
影として生きた者に贈る最後の権利
人は、記録されないと存在しないような錯覚を受けるけど、本当は違う。誰かが思い出してくれる限り、その人は、ちゃんとここにいたんだ。
その証明のために、今日も僕は書類を作る。
事務所に戻るとサトウさんはもう次の依頼に
事務所に戻ると、サトウさんがパソコンを打ちながら、ひとこと。「今度は未登記建物の相続ですって」
やれやれ、、、また胃薬の出番か。