雨と封筒とその男
朝から冷たい雨が降っていた。ジメジメとした空気が事務所の中まで染み込んでくるようで、気分は最悪だった。そこへ、ずぶ濡れの男が封筒を持って現れた。
「これ、登記の書類を取りに来たんですけど」 無精ひげと濡れたスーツ。どこか所在なげな様子が気になった。
びしょ濡れの来訪者
差し出された封筒は、水を吸って波打っていた。だが、その手つきは異様に丁寧だった。書類よりも封筒そのものが重要なのかと疑うほどに。
受け取った僕は、封を開けず、サトウさんに視線を送った。彼女は何も言わず、ただ頷いた。しっかり見ている。
依頼の内容は登記完了証の受け取り
「お名前をお伺いしても?」と尋ねると、男は少し逡巡してから名乗った。だが、記録と微妙に違っていた。たった一文字、だが決定的な違いだ。
登記完了証に記載された義務者名と一致しない。こんな些細なミス、普通は起きない。僕の勘が騒ぎ出した。
登記完了証の名前が違う
「もしかして、この完了証は他人のものじゃないですか?」そう言うと、男の表情が固まった。雨が額を伝っていたが、それ以上に顔が青ざめていく。
「いえ、そんなはずは…」男は否定したが、その口調は弱かった。
登記義務者が生きていた
この完了証の登記義務者は、すでに死亡していると聞いていた。しかし、役所の記録を確認すると、死亡届は出ていない。つまり、生きている可能性が高い。
「登記の手続きは、死亡が前提だったのでは?」僕の問いに、男は黙り込んだ。これはもう、司法書士というより探偵の仕事になってきた。
不一致の根拠に潜むもの
完了証の申請者名が、死亡を前提に書き換えられていた可能性がある。誰かが意図的に記録を操作したのだとすれば、それは重大な問題だ。
「やれやれ、、、またこんな面倒ごとに巻き込まれるとは」思わず口にした。まるでサザエさんが波平のスリッパを投げ飛ばすような衝撃だった。
サトウさんの塩対応と観察眼
「この印紙、最近貼り直された跡があります」サトウさんが言った。僕が気づかなかった部分に、彼女の視線が止まっていた。
彼女の指摘で、僕はようやく違和感の正体に気づいた。封筒に使われていた紙質も違っていた。これは偽装だ。
封筒の端に残された印紙
封筒の端に小さな切れ目があった。そこに貼られていた印紙が、古い登記案件のものだとわかった瞬間、すべてが繋がった。
この男は、他人の登記完了証を利用して、財産を自分のものにしようとしていたのだ。
さりげない一言に潜むヒント
「雨の中でも来ざるを得なかったんです」男のこの一言が決定打となった。なぜ今日、このタイミングで? 登記識別情報が期限を迎える直前だった。
つまり、彼はそれを知っていた。そして、知らなければ分からないことだった。
過去の登記記録を遡る
過去の登記情報を追っていくと、別名義で似たような住所が存在した。その名義人は、十年前に相続放棄をしていた記録があった。
そして、その放棄された名義がなぜか復活していた。誰かが手を加えたのは明らかだった。
十年前の相続放棄事件
過去に関与した別の司法書士の署名が記録にあった。僕はその先生に電話をかけ、簡単な事情を話すと、意外にも話は早かった。
「その相続放棄、本人の意志じゃなかったんですよ」 まるで漫画の伏線回収のような展開だ。
誰かが記録を書き換えた
問題の核心は、故人に見せかけた名義人が、まだ生きていたことだった。記録の改ざんは、関係者の誰かによる犯行としか考えられなかった。
そこで再びあの男の素性を洗うと、戸籍に別人の履歴が浮かび上がってきた。
雨音に紛れた嘘
雨の音はすべてを曖昧にし、言葉の裏を見えにくくする。だが、司法書士としての経験は、そういう曇りを見逃さない。
男は誰かの代理を装い、手続きに来ていた。しかし、委任状が偽物だったことがバレて観念した。
雨の日にしか現れない理由
男は過去にも、雨の日ばかりを選んで登記所に出入りしていた。それが証拠として記録に残っていた。
「雨なら人目を避けられる」とでも思っていたのか。だが、記録は常に乾いて残るものだ。
記録の改ざんともう一つの名字
調査を進める中で、男が使っていた名字が、本名と一致しないことが判明した。彼は自分の兄の名を使っていたのだ。
「兄の財産は、弟のものにはならないんですよ」僕は静かにそう言った。
登記識別情報の謎
なぜそんな危ない橋を渡ったのか。それは、兄が重病で入院しており、死を目前にしていたからだという。
自分の名義に変える前に登記識別情報を使おうとしたのだ。だが、それは完全な違法行為だった。
再発行されたタイミングの矛盾
しかもその情報は再発行されたばかりだった。本来、本人以外には手に入らないはずのもの。そこに第三者の影がちらついていた。
おそらく、病院関係者か、あるいは司法書士を装った人物が関与していた可能性もある。
本人確認書類の裏にあるもの
偽造された運転免許証。その裏にある顔写真は、加工されていた。まるで少年探偵団が作った変装キットのようだった。
サトウさんはその場で一言「やる気ない偽造ですね」とつぶやいた。冷静で怖い。
やれやれの一言と解決編
事件は不動産登記法違反として警察に引き継がれた。書類だけで犯行を試みた男の末路は、あっけなかった。
「やれやれ、、、最後にまた一仕事増えたな」 雨が止む気配はなかった。
地味だが決定的な証拠
登記簿に記された記録、印紙の貼付位置、再発行された識別情報。それらはすべて、静かに、だが確実に証拠として残っていた。
華やかな推理ではない。けれど、それが司法書士のやり方だ。
サトウさんの推理とぼくの最後の一押し
彼女は事件の全容を僕が話し終える前に、すでに結論にたどり着いていたようだった。 「まあまあでしたね」それが彼女の評価だった。
まあ、悪くない。 たまには雨も悪くない、と思えた日だった。
濡れた証書に記された真実
封筒は乾いていた。だが中にあった登記完了証は、水気を含んだように歪んでいた。 偽りの手続きが、それを証明していた。
記憶は曖昧でも、記録は嘘をつかない。だから僕たちは、それを守らなければならないのだ。
記憶よりも記録は正確だった
登記官とのやりとりを思い返しながら、僕は一息ついた。今回も何とか終わった。 サトウさんはもう次の案件に目を通していた。
仕事は続く。雨が降っても、晴れていても。
司法書士が導く静かな結末
喧騒も、血も、暴力もない事件だった。だが、そこには確かに人の欲と嘘があった。 それを炙り出すのが、僕の仕事。
濡れた証書が、今日も一枚、静かに閉じられた。