会話より沈黙が増えてきた日々

かつてはもう少し、笑い声があった気がする

事務所というのは、静かな方が仕事がはかどる。そう思っていたはずなのに、最近はその静けさが少しだけ重たい。開業して数年、事務員との会話も、当初はちょっとしたミスの話で笑い合ったり、お昼に何を食べるかで盛り上がったり、そんな日常があった気がする。でも今は、その笑い声すらも、遠い昔のように感じてしまう。

最近の事務所は、本当に静かだ。パチパチというキーボードの音と、プリンターの読み取り音だけが淡々と響いている。仕事は捗る。だけど、ふと手を止めたときの静けさが、なんだか胸に刺さる。以前はその音の隙間に誰かの咳払いだとか、独り言まじりのつぶやきがあった。今はそれすらない。

お互い忙しいというのは言い訳のようでもあり、実際そうなのかもしれない。登記の処理が山積みで、相談者からの電話が鳴りっぱなし。終わったと思えば別の案件。そんな繰り返しの中で、「そういえば最近、雑談してないな」と思ってしまう自分に、何とも言えない虚しさを覚える。

「おはようございます」から一日が始まるのは変わらない。けれど、それは今や業務開始のスイッチのようなもので、それ以上でも以下でもない。会話の糸口になっていたあの一言が、いつの間にか形式的になってしまっていた。いや、してしまったのかもしれない。

たとえば朝のニュースで話題になっていた出来事。以前なら「今朝の地震、すごかったですね」くらいは口に出していた。今は、それを飲み込んで仕事に入ってしまう。「言っても仕方ない」と思っている自分と、「話したいけど、面倒くさい」と思っている自分の間で、言葉が迷子になる。

事務員も特に困っている様子はない。むしろこの空気に慣れてしまっているようにも見える。互いに余計な感情を出さず、効率よく仕事をこなす関係。悪くない。でもふと、「あれ、なんでこんなに言葉が少なくなったんだろう」と思ってしまう瞬間がある。その疑問を口に出す相手も、今はいない。

朝から晩まで、書類と向き合っていると、次第に感情の起伏がなくなっていく。怒ることもない代わりに、笑うことも減っていく。忙しさの中で一番失ってはいけないのは、きっと優しさなんだろうけど、それを考える余裕すらなくなっていく。無表情で業務をこなしている自分が、他人のように見えるときがある。

相談者からの電話。事務員からの確認事項。どれも急ぎではないことも多いのに、つい「後で」とか「それ、急ぎ？」なんて言ってしまう自分がいる。本当は、ちゃんと聞いてあげたい。でも、焦りが言葉をせかす。「聞くこと」は相手を思いやる行為だと思うのに、その時間すら削ってしまっている。

かつては仕事が終わるたびに「ありがとうございます」「お疲れさまでした」と声を掛け合っていた気がする。今は、目が合ったら軽く会釈。それだけ。言葉にすることで気持ちは伝わると分かっていても、口に出すのが面倒になることがある。それは甘えかもしれないし、疲れかもしれない。

話すことで、自分の考えがまとまったり、気づきがあったりする。それが会話の力だと思う。けれど話す相手がいなければ、思考は内側にこもって、同じところをぐるぐる回るだけになる。言葉がなければ、自分の存在すら曖昧になるような気がしてくる。

最近、自分の声を聞く機会が増えた。といっても、それは他人との会話ではなく、独り言。「これ終わったら次は…」「あー、またやり直しか」そんな小さな呟きが、無意識に出ている。気づいたとき、少し怖くなった。「話す相手がいない」とは、こういうことなのかと。

事務員との会話が減った今、唯一まともに言葉を交わすのは、相談者とのやり取りだ。とはいえ、それはあくまで業務上のもの。形式的な質問と答えの応酬。そこに感情はほとんど介在しない。それでも、人と話すということに、少しだけ安心する自分がいる。