最近、人と会うのがしんどい。そんな司法書士の日常

最近、人と会うのがしんどい。そんな司法書士の日常

ふと気づいたら、誰にも会いたくなくなっていた

以前は誰かに会うのがそこまで苦ではなかった。むしろ、多少なりとも「話すことで気がまぎれる」と思っていた。それが最近は、誰かと予定が入っているだけで気が重くなる。「またか」「断れないかな」と思ってしまう。約束を守るのは当然だと思っている自分がいる反面、心はまるで子どものように駄々をこねている。「会いたくない」の感情が頭を支配するのだ。

ひとりでいるのが心地いい——それっておかしいこと?

昼休み、コンビニの駐車場に車を停めて弁当を食べる時間がいちばん落ち着く。窓を閉め、エアコンを弱めに効かせて、無音の空間に身を置くと、自分がまるで壊れかけのラジオから解放されたように感じる。誰かと一緒に食事をすると、会話の間、気配り、表情の作り方にエネルギーを取られてしまう。黙っていられるのは、ひとりでいるときだけだ。こんな自分を「変かな」と思うこともあるが、もう無理はしたくない。

人間関係の「休憩」が必要なときもある

まるで電車の各駅に止まるように、対人関係にも「途中下車」が必要だ。走り続けるのではなく、少し降りて、空を見上げて、呼吸を整える時間。最近は、電話の着信にすらびくつくことが増えた。着信音が鳴った瞬間、心拍数が上がる。こんなふうに人間関係がしんどくなってきたら、それは「人と会わない時間をつくるサイン」なのかもしれない。

誰と会っても疲れるのは、自分のせいなのか

「もしかして、自分が悪いのかな」と思ってしまう癖がある。相手の顔色を気にしすぎて、余計な配慮をして、自分がすり減っていく。若いころは「気が利くね」と言われて嬉しかった。でも今はその“気の利かせ方”が、ただただ重荷だ。もう少し、不器用でもよかったのかもしれない。そう思う夜もある。

司法書士という職業の「孤独」がにじむ瞬間

事務所のドアを閉めると、音が消える。それが心地よいと感じる日もあれば、やけに静かすぎて心細くなる日もある。司法書士という職業は、意外と孤独だ。相談者の前ではしっかり話を聞いて、専門知識を提供して、それなりの表情も作る。でも、終わった後は魂が抜けたようになることもある。ひとり事務所というのは、自由である反面、寄りかかる壁もない。

仕事のなかでは、会話もすべて“義務”になる

相談者との会話も、職員とのやり取りも、「何かしらの用件」があって発生する。だからこそ、言葉のやりとりにはいつも責任がついてくる。「この表現で伝わるか」「不安にさせていないか」「専門用語が多すぎないか」——ひとつひとつ、気を使う。誰かと話しても、仕事以外の気楽な会話というものがなくなってきた。そうすると、言葉を交わすだけで疲れてしまう。

相談者の感情に引きずられて、どっと疲れる日

相続や離婚の相談は、感情が大きく揺れている人が多い。私はその話を受け止めながら、頭の中で書類の流れや法的手続きを整理していく。でも、相談が終わったあと、何ともいえない“重さ”が残る。まるで人の人生を少し背負わされたような気になるのだ。私自身の人生もそんなに軽くないのに、背中に誰かの人生が乗っかっているような錯覚すらする。

笑顔で対応しながら、心の中では「早く終われ」と思っている

人当たりは良いとよく言われる。でも、それは職業上のスキルに過ぎない。心の中では「今日はこの件だけで勘弁してくれ」と思っているときも多い。会話中にタイミングを見て話を切り上げようとする自分がいる。笑顔の裏側には、疲労と焦りと、そして「もう話す元気がない」という思いが隠れている。

「会うのが億劫」な自分を、少しだけ許してあげたい

「人と会いたくない」と思ってしまう自分を、以前の私は責めていた。でも、今は少し違う。「会わない勇気」も、心を守る方法だと思えるようになってきた。無理して人に会って疲れるよりも、会わない選択をして少しでも心が安らぐなら、それでいいじゃないか。そう思えるだけで、少し呼吸がしやすくなった。

気力が湧かないときは、無理に会わなくていい

「今日、どうしても気が乗らない」そんなときは、無理して誰かと会わない。その代わり、散歩をして空を見上げたり、部屋で一杯のコーヒーをゆっくり飲んだりする。その静けさのなかで、自分が戻ってくるのを感じる。気力が戻るタイミングは、人それぞれ違う。だからこそ、自分のリズムを優先したい。

自分のペースで生きることも、立派な選択肢

司法書士としての責任も、社会人としての礼儀も大事。でも、それ以前に、自分が壊れてしまっては意味がない。ひとりで過ごすこと、自分をいたわること、それらもまた「ちゃんと生きる」ことの一部なのだと思う。自分のペースでやっていく。そう思えるだけで、少し楽になれる。

それでもまた、人とつながる日はくる

どれだけ人と距離を取りたくなっても、どこかで誰かと笑って話せる日がまた来る。今はその準備期間なのだろう。人に疲れることも、人が恋しくなることも、どちらも自分にとって大切なサイン。焦らず、無理せず、ぼちぼちでいい。

疲れた心にも、回復のリズムはある

落ち込むときもあれば、自然と元気が出るときもある。誰とも話したくない日もあれば、ふと誰かに声をかけたくなる夜もある。それはきっと、人間らしさなんだと思う。司法書士だからって、感情を抑え込まなきゃいけないわけじゃない。疲れたら、しばらく止まってもいい。

次に誰かと会うときは、少し素直でいたい

「疲れてたけど、今日は会ってよかった」そう思える日が、また来ると信じている。次に誰かと会うときは、作った笑顔じゃなくて、自然な表情で話せたらいい。ひとり時間を大切にして、自分を回復させたその先で、また誰かと笑い合えたら。それだけで、人生は少し報われる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。