鍵は開けても心は閉じたまま

鍵は開けても心は閉じたまま

仕事終わりの玄関はただの入り口

一日の業務を終えて、ようやく家に帰り着いたとき、玄関の鍵を差し込む手がふと止まることがある。何も特別なことがあったわけじゃない。登記の相談を3件こなして、午後には法務局でひと悶着、帰ってきて山積みの書類に目を通して。普段と変わらない、疲れるけど「よくある一日」だ。でもその「よくある一日」が、重くのしかかる。鍵を開けても、迎えてくれる人もいないし、話す相手もいない。部屋の電気をつけると、余計に静けさが際立って、なんだか自分が透明になっていくような気さえする。

鍵を差し込む手に力が入らない日がある

以前、冬の夜に鍵を落としたことがある。ポケットに入っているはずの鍵がなくて、コンビニの駐車場で小一時間探し回った。凍えながらしゃがみこんで、「誰か家にいたらいいのにな」と思った。でも、そんな人はいない。鍵が見つかっても、それを差し込む手に力が入らないこともある。仕事で散々気を張って、人の書類の間違いに気を配って、終わった頃には感情も擦り減っている。そんな状態で開けるドアの先に、自分を癒してくれる空間なんて、あるわけがなかった。

「ただいま」を言わない部屋の静けさ

玄関のドアを開けるたび、「ただいま」と口にする習慣がなくなった。昔は無意識にでもつぶやいていた気がする。でも、誰もいない部屋に向かって声を出すなんて、どこか虚しくて。帰ってきたという感覚より、何かを置いてきたような気持ちになる。椅子に座ってテレビをつけてみても、ニュースキャスターの声はどこか遠く、食事もコンビニ弁当で済ませてしまう。まるで「生活しているフリ」をしているようで、そこに心は置いてきぼりのままだ。

音もなく過ぎていく夜の時間

たまに、テレビも電気もつけずに、ただ布団に潜り込む夜がある。シンと静まり返った部屋の中で、時計の秒針の音だけがやけに耳に響く。こんなとき、「生きてるな」って思うんじゃなくて、「まだ今日も終わらなかったか」って感じるんだ。誰かに必要とされていた時間は日中だけで、夜になると存在が空気のようになってしまう。誰にも触れられず、誰にも聞かれず、ただ一日が終わるのを待っている。そんな夜が続くと、心に鍵をかけてしまうのも無理はない。

心に鍵をかけたまま働く日々

司法書士という仕事は、感情を抑えて冷静に手続きをこなす力が求められる。登記、相続、会社設立……人の人生の節目に関わる仕事なのに、自分の心は無関心でなければならない。感情が入り込むと、ミスに繋がるから。だから、自分の心にはいつの間にか鍵をかけるようになった。開けてしまったら、こぼれてくるものが多すぎて、手が止まってしまいそうで怖い。

誰にも弱音を吐けない司法書士という役割

同業者との付き合いもあるけれど、「最近つらくてさ」とはなかなか言えない。士業という肩書きがある分、周囲も「しっかりしてる」「頼れる人」だと思って接してくる。その期待に応えるように、こちらも笑って無理をする。ほんとは、疲れたよ、って言いたい。でもそれを言った途端に、信頼が崩れてしまうような気がする。だから今日も、心の鍵をしっかり閉めたまま、「ご依頼ありがとうございます」と頭を下げる。

事務員には言えないしお客さんにも見せられない

唯一、毎日顔を合わせる事務員の子にも、本音は言えない。彼女は一生懸命頑張ってくれているし、僕の愚痴なんか聞かされたら迷惑だろう。お客さんにも「信頼できる先生でよかった」と言われるたび、演じている自分を再確認してしまう。誰にも見せられない弱さは、心の奥にしまいこむしかない。そうやってどんどん、心の扉の前に重い錠前が増えていく。

強がりの中に隠れてる本音

「ひとりのほうが気楽です」と言いながら、内心では寂しさを感じている。「趣味に没頭してるので結婚とか考えてないんです」と言いながら、誰かと笑い合う日常に憧れている。でもそれを表に出すことが、なぜか怖い。元野球部で根性論ばかり叩き込まれたせいか、弱音を出すことは「負け」みたいに刷り込まれている。それでも時々、本音が顔を出しそうになる瞬間があって、それをまた心の奥に閉じ込めてしまう。

心の鍵を開けるにはどうしたらいいのか

このままでいいのか、と夜に思うことがある。誰にも話せないまま、仕事だけをこなして、時間だけが過ぎていく。このまま年をとっていって、ふとしたときに後悔しないのだろうか。そう思いながらも、心の鍵を開ける方法がわからない。どこに鍵を置いたのか、誰に渡せばいいのか、それすらも曖昧になってしまっている。

誰かに預ける勇気がないまま歳を重ねる

誰かを信じて、心を預けるというのは、とても勇気がいることだ。過去にうまくいかなかった恋愛や、人に裏切られた記憶があると、なおさらだ。だったら最初から閉じておいたほうが楽だと思ってしまう。だけどその「楽」が積もっていくと、いずれ「孤独」という名の荷物に変わる。鍵を預ける人がいないまま歳を重ねると、ふとした瞬間にその重さに気づいてしまう。

一人でもがく夜に必要なのは共感かもしれない

心の鍵を開けるのに、何か特別な出来事や人が必要なわけじゃない。たとえば、このコラムを読んで「自分と似てるな」と感じてもらえたら、それだけで少し軽くなる気がする。共感は、鍵穴にそっと触れるようなものだ。無理にこじ開けるのではなく、ただ「分かるよ」と言ってもらえるだけで、気持ちが緩むこともある。だからこそ、こんな文章を書いてみている。

言葉にすれば少しだけ軽くなる

心の中に溜め込んでいた思いを、言葉にするだけで軽くなることがある。口に出せなかったら、こうして文字にしてみるだけでもいい。誰かに届くかどうかは分からない。でも、鍵を開ける練習は、自分のためにやっていい。一歩ずつ、少しずつ。司法書士だって、書類だけじゃなく、心の整理も必要だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓