誰もいない部屋に「ただいま」を言う夜
仕事が終わり、夜の道をとぼとぼと歩いて帰る。ふと気づくと、ポケットの中の鍵が冷たく感じる。ドアを開けても、当然だが誰もいない。「ただいま」と口に出してみるが、それが壁に反射して戻ってくるだけ。ペットもいない、家族もいない、テレビもつけていない。静かな部屋は心を落ち着けるには程遠く、どこか寒々しい。司法書士という仕事柄、他人の人生の節目には関わるのに、自分の生活はどこか乾いている。そんな日常が、もう何年も続いている。
独身司法書士という肩書と、静まり返った部屋
司法書士になって20年近く。仕事には慣れたし、実績もそれなりに積んできた。でも、家に帰れば誰もいない。結婚もしていないし、恋人もいない。事務員は一人雇っているが、当然プライベートに踏み込むような間柄ではない。夜、家に帰るとあまりに静かすぎて、ついテレビをつける。でも、そこに流れてくるのはバラエティかグルメ番組ばかりで、虚しさを増幅させるだけだ。「誰かと過ごす時間」というものを、しばらく体験していないと、人間って感覚が鈍るものだなと思う。
ペットさえいない、癒しゼロの生活
同じ士業仲間の先輩は、チワワを2匹飼っている。毎朝の散歩がルーティンで、仕事終わりには「ワンコたちが待ってるから」とそそくさと帰っていく。僕も「ペットでも飼えばいいのに」と言われたことはある。だが、朝早くから夜遅くまで働く生活の中で、ペットにまともな世話ができる気がしない。責任感だけはあるので、中途半端なことができない。結局、何も飼わず、何も癒されず、ただひとりで生活している。せめて誰かが尻尾でも振ってくれたら、と時々本気で思う。
世話ができる自信がない、という言い訳
本音を言えば、「忙しいから飼えない」は言い訳かもしれない。本当は、ペットに頼るような自分を認めたくないだけかもしれない。自立した大人の男が、犬や猫に癒されてどうする、と心のどこかで思っている。だが、そのプライドは今や空っぽの部屋の寂しさに比べれば、何の価値もない。責任感というより、ただ傷つきたくないだけ。そんな自分の弱さに気づきつつ、何も行動を起こせないまま、月日だけが流れていく。
犬の散歩が羨ましくなる夕暮れ
夕方、散歩する人々を見かけるたびに羨ましくなる。犬と並んで歩く人、時々話しかけながら笑っている。こちらは帰り道にメールチェックして、明日の段取りを考えながら歩いているだけ。誰かのために時間を使うという感覚を忘れかけている。犬が主人を見上げるあの目が、自分をまっすぐ見てくれる存在がいるというだけで、人は少し救われるのかもしれない。司法書士として人の人生に関わっていても、自分の人生は誰にも関わられていないような気がする。
モテないし、誰かを養う余裕もない
正直に言えば、女性にモテた記憶はあまりない。真面目で優しいとは言われるが、それ以上にはならない。外見も地味だし、話も固い。婚活アプリに登録したこともあるが、何をどう話していいかわからず、結局やめてしまった。たとえ誰かと付き合えたとしても、今の生活にその人をどう迎えればいいのか分からない。時間も余裕も気力も、全部ぎりぎりで回している。
年収はそこそこでも、時間がない
地方の司法書士とはいえ、収入だけ見ればそこまで悪くはない。少なくとも生活に困っているわけではない。でも、時間がない。登記の締切、顧客対応、役所とのやりとり、さらには自分の事務所の経理まで。結局、仕事がすべてを飲み込んでいく。「お金はあるけど使う暇がない」なんて、どこかのドラマのセリフみたいだけど、現実はまさにそれ。誰かと暮らすイメージすら湧かなくなってしまうのも、無理はないと思ってしまう。
「婚活する暇がない」は本音か、逃げか
「婚活する時間がない」と言えば、聞こえはいい。でも本当は、拒絶されるのが怖いだけかもしれない。司法書士という堅い肩書きが、むしろ壁になってしまうこともある。真面目そう、取っつきづらそう、面白くなさそう。そんな印象を与えているのだと思う。昔、友人に紹介された女性から「仕事ばかりの人って疲れそう」と言われたことがある。図星だった。その言葉がずっと引っかかっている。
司法書士という仕事が「堅い」だけの壁になる
士業のイメージはどうしても堅い。特に司法書士は、行政書士ほど柔らかくもなく、弁護士ほど華やかでもない。ちょうど中間で、地味で影が薄い。そんな仕事をしている自分に、自信を持てと言われても無理がある。実際、合コンなどに行っても職業を言った瞬間に空気が止まることもあった。「聞いたことはあるけど、よく分からない」と言われるのがオチだ。恋愛市場において、司法書士という肩書はあまり強みにならない。
「紹介してあげる」と言われるたびのプレッシャー
ありがたいことに、周囲の人から「誰か紹介しようか」と声をかけられることもある。でも、そのたびに変なプレッシャーがのしかかる。「ちゃんとした人を紹介するんだから、期待に応えてね」と言われているような気がしてしまう。しかも、こちらが断ったり、うまくいかなかったときの空気がまたつらい。「せっかく紹介したのに…」とがっかりされたような顔を見ると、申し訳なさと気まずさでいっぱいになる。それなら最初から一人でいたほうがマシ、と引いてしまう。
それでも、同じように頑張っている人がいる
そんな生活を送っていると、ふとしたときに「これでいいのか?」と思うことがある。でも、最近SNSで他の司法書士や士業の方々の投稿を見ていて気づいた。自分と同じような悩みを持っている人は意外と多いのだ。「今日も誰とも話さなかった」「ペットの動画にしか癒されない」そんな一言に、なぜか深く共感してしまう。孤独はつらいが、孤独を共有できる相手がいることが、少しだけ心を軽くしてくれる。
「私も同じです」と言われることで救われる
あるとき、とある司法書士のブログで「帰っても話す相手がいないのが一番こたえる」と書かれているのを読んだ。その一文に、なぜか涙が出そうになった。自分だけが取り残されているわけではない、と感じられたからだ。人は、「自分だけではない」と知ることで救われる。司法書士という孤独な仕事のなかで、それがどれだけ大きな意味を持つことか。同業者同士で弱音を共有できる場がもっとあればいいのに、と思う。
誰かの孤独に、少しでも寄り添える言葉があれば
この文章を読んでくれている誰かが、今同じような気持ちで夜を迎えているかもしれない。そんな人に、「自分だけじゃない」と感じてもらえたなら、このコラムを書いた意味はある。愚痴ばかりの文章かもしれない。でも、それすらも、誰かの孤独を和らげる役に立つなら、十分だ。司法書士としての専門性ではなく、人としての実感や体験を言葉にして届けること。それが、ひとりの夜に少しの灯をともせたらと願っている。
司法書士だって、人間です
クライアントの前ではしっかりしなければならない。書類にミスは許されないし、時間も守る。それがプロの仕事だ。でも、そのプロも、家に帰ればただの人間。疲れて、寂しくて、誰かと笑いたくなる。そんな感情を否定せず、抱えていくこと。それが司法書士という仕事を続ける上で、必要な心のケアなのかもしれない。たまには弱音を吐いてもいいし、誰かに頼ってもいい。そう言い聞かせながら、今日もまた、誰もいない部屋で「ただいま」と言う。