自撮りすら苦手という違和感から始まる話
「自撮りくらい普通でしょ」と言われても、どうしても慣れない。スマホを向けられると、急に動悸がして、顔の筋肉がこわばる。撮られるのが嫌なんじゃない、自分の表情を“作る”ことができないのだ。45歳、司法書士。毎日忙しく働きながら、自分の顔写真ひとつアップできないことに、密かに劣等感を抱えている。なぜこんなにも抵抗があるのか、根っこにあるのは自己肯定感の低さか、あるいは歳月が作り出した自意識過剰か。とにかく、苦手なのだ、自撮りが。
そもそも何がそんなに苦手なのか
苦手といっても、何か具体的なトラウマがあるわけじゃない。ただ、スマホのレンズ越しに自分の顔を見ると、なんとも言えない気持ちになる。写りがどうとかいうより、「ああ、これが今の自分か」と現実を突きつけられる感じ。誰かに見られる写真じゃなく、自分で撮って自分で見るだけでも苦痛なんだから、もう完全に末期だと思っている。元野球部で、集合写真や卒アルの撮影なんて余裕だった頃とは違う。
レンズ越しの自分を直視できない
試しにインカメラを開いてみたことがある。休みの日、スーツじゃない自分の顔があまりに疲れていて、驚いた。こんな顔で相談を受けているのか、と軽くショックを受けた。そもそも“整った写真”を撮るには準備も必要なのだろう。光の加減、服装、背景…。そんなの、日々追われる業務の合間に気にしていられない。気づけば「まあ、今日も載せなくていいか」の繰り返しで、数年が過ぎていた。
「写る自分」と「見せたい自分」の乖離
本当は、もう少し清潔感のある、誠実そうな印象を与えたい。そう思ってプロフィール写真を用意しようとしたが、撮れば撮るほど「これは違う」「いやこれも違う」となってしまう。結局、自分で納得できないものは載せられない。ところが他人から見れば「別に普通じゃん」と言われることも多くて、余計に混乱する。自分の理想と現実のギャップに苦しみながら、今日も無難な事務所の外観写真でごまかしてしまう。
司法書士という仕事に向いているのかと考える瞬間
書類とにらめっこするだけなら、自撮りなんて必要なかった。ところが最近は、違う。講師としてセミナーに呼ばれたり、SNSで情報発信したりと、“顔出し”が求められる場面が増えてきた。顔を出すことが信頼につながるのも理解している。けれど、気が進まない。「写っても損はしないですよ」と言われるたび、どこか遠くを見つめたくなる。
セミナーの講師依頼が地味にしんどい
数年前、地元の相続セミナーで登壇した際、会場に置かれたチラシに自分の顔が印刷されていた。白黒で、少しピンぼけしていたのがまだ救いだった。「話はよかったです」と言われる一方で、写真について何も触れられないのが逆に怖かった。「何も言われない」というのは、時に厳しい評価以上に辛い。準備や話の中身よりも、見た目で印象が決まることの難しさを感じる瞬間だった。
自己ブランディングなんて大層な話
「司法書士もブランディングの時代です」と聞いて、ため息が出た。日々の業務だけで手一杯なのに、そこに“自分自身を売る”作業まで乗っかってくるとは。SNSに自分の顔や声を出すなんて、考えただけで気が重い。同業者の中には、動画や写真を上手く活用している人もいて、羨ましくもある。でも自分には無理だ。キャラでもないし、時間もない。とにかく、顔を出すのがしんどいのだ。
苦手を押し殺してやるしかない現実
やらなければ信用を失う。でも、やりたくない。その狭間で、何年ももがいている。結局、自分の写真はホームページの片隅に1枚、証明写真のようなものを載せることで折り合いをつけた。それでも、どこか心がざわつく。こんな気持ちで仕事している人、他にもいるんだろうか?
自分の顔をプロフィールに使う必要性
一度、「顔を載せてないのはどうしてですか?」と問い合わせで聞かれたことがある。ドキッとした。「顔を出さない司法書士は、何か隠していると思われますよ」と、これもまた別の知人に指摘された。確かに、実際に相談に来たお客様のほうが「思ったより普通の人で安心しました」と言ったこともあった。やっぱり、写真って必要なのかと、わかってはいる。
写真を載せないと逆に不信感につながるという矛盾
身元の確かさを求められる仕事で、顔を出さないのは確かに逆効果かもしれない。それでも「この写真、なんか違う…」と思いながらアップすることのストレスが大きい。それなら載せないほうがマシだ、というループから抜け出せないでいる。写真ひとつでこんなにも葛藤するとは、司法書士になったばかりの頃には思いもしなかった。
まとめ 写らないことで守れるものと失うもの
自撮りが苦手、というだけで、ここまで悩む人間もそう多くはないかもしれない。でも、顔を出すことが信頼や仕事に直結するこの時代、自分の顔とどう向き合うかは無視できないテーマになってきた。写らないことで守れる自尊心もあるけれど、失う信頼もある。その狭間で、不器用に揺れながら、なんとか今日も仕事をこなしている。誰にも見られたくない。でも、本当はちょっとだけ見てほしい。そんな矛盾を抱えたまま、僕はまた、自撮りアプリをそっと閉じた。